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ゼイビア・ネイディ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ハビエル・ネイディから転送)
ゼイビア・ネイディ
Xavier Nady
ワシントン・ナショナルズ時代
(2012年6月23日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州サリナス
生年月日 (1978-11-14) 1978年11月14日(46歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
215 lb =約97.5 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手一塁手
プロ入り 2000年 ドラフト2巡目(全体49位)でサンディエゴ・パドレスから指名
初出場 2000年9月30日 ロサンゼルス・ドジャース
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ゼイビア・クリフォード・ネイディ6世(Xavier Clifford Nady VI, [1] 1978年11月14日 - )アメリカ合衆国カリフォルニア州サリナス出身の元プロ野球選手。右投右打。現在は、MLBのサンディエゴ・パドレス傘下A+レイクエルシノア・ストームの打撃コーチを務める。

叔父は現役ボクシングレフェリーを務めるジェイ・ネイディ(ネバダ州アスレチック・コミッションのレフェリー資格を持ち、主要4団体の試合を裁くことができる[2]国際レフェリー)。

経歴

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プロ入り前

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1997年セントルイス・カージナルスからドラフト4巡目で指名されたが、入団せずカリフォルニア大学バークレー校へ進学。

パドレス傘下時代

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2000年にドラフト2巡目でサンディエゴ・パドレスの指名を受け入団。入団後マイナー・リーグを経験しないまま同年9月30日にメジャーデビューを果たした。

2001年はA級でプレイ。9月にトミー・ジョン手術を受けた。

2002年はA級とAAA級でプレイした。

2003年3月31日に3年ぶりにメジャーの試合に出場した。

メッツ時代

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2005年11月18日マイク・キャメロンとのトレードでニューヨーク・メッツへ移籍した。

パイレーツ時代

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2006年7月31日ロベルト・ヘルナンデスオリバー・ペレスとのトレードでピッツバーグ・パイレーツへ移籍[3]。まったく打てなかった右投手に対応できるようになり、2006年は打率・打点・本塁打の打撃3部門で自己ベストをマーク[4]

2007年のスプリングトレーニングで原因不明の下痢に悩まされ、いとこにクローン病の人がいるため、腸のクローン病が疑われた。大騒ぎとなるも、検査の結果はウイルス性の大腸炎であった[5]。レギュラーシーズンでは自己最高の20本塁打を記録。また、守備ではアダム・ラローシュの加入により外野を守る機会が増えた。

2008年は開幕から好調で打率・打点・本塁打・安打・二塁打などで自己ベストを更新するペースをマーク。6月にフェンスに激突し肩を痛め一時離脱したが、好調を維持。しかし、オールスターに選出されず、チームメイトのジェイソン・ベイは「運が悪かった。あれだけ数字を残しているのだから、自分が選ばれなかったより残念だよ」と発言[6]。選出に漏れた理由にパイレーツは弱いからという声もあった[6]

ヤンキース時代

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好調なためトレードの噂が出るようになり[6]松井秀喜を故障で欠いているニューヨーク・ヤンキースへ7月26日にトレードで移籍[7]。 2008年は自己最多の成績だった。

2009年はヒジの故障により、チームがワールドシリーズを制覇する中、ネイディは、シーズンを棒に振った。オフの11月9日にフリーエージェント(FA)となった。

カブス時代

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怪我の回復の目処が立ち、2010年1月27日シカゴ・カブスと1年契約を結んだ。同年は、外野手・一塁手・指名打者などをこなしながら119試合に出場。規定打席には到達しなかったものの、打率.256・6本塁打・33打点という成績を残し、復活して見せた。

ダイヤモンドバックス時代

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2010年12月15日アリゾナ・ダイヤモンドバックスと1年契約を結んだ。

2011年シーズン終了後の10月30日にFAとなった。

ナショナルズ時代

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2012年3月18日ワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結び[8]、4月にメジャーに昇格したが、7月21日にDFAを受け[9]7月29日に解雇された。

ジャイアンツ時代

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2012年8月5日にサンフランシスコ・ジャイアンツと契約。ワールドシリーズのロースターにも入ったが、活躍の場はほとんど得られなかった。オフの10月29日にFAとなった。

ロイヤルズ傘下時代

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2012年12月14日カンザスシティ・ロイヤルズとマイナー契約を結んだ[10][11]

2013年3月26日に契約を解除され、翌日に再契約。AAA級オマハ・ストームチェイサーズで71試合に出場し、11本塁打43打点1盗塁、打率.309だった。6月29日に放出された。

ロッキーズ傘下時代

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2013年6月30日にコロラド・ロッキーズとマイナー契約を結んだ[12]。AAA級コロラドスプリングス・スカイソックスで53試合に出場し、4本塁打22打点3盗塁、打率.278だった。11月5日にFAとなった。

パドレス復帰

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2014年1月7日に古巣・パドレスとマイナー契約を結んだ[13]。3月29日にパドレスとメジャー契約を結び、開幕ロースター入りした。開幕後は22試合に出場し、3本塁打を記録したが、打率は.135と落ち込み、5月5日にDFAとなった[14]。5月8日にAAA級エル・パソ・チワワズへ降格したが、5月11日に契約を破棄し、FAとなった[15]

引退後

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2015年6月20日に、古巣サンディエゴ・パドレス傘下A+レイクエルシノア・ストームの打撃コーチに就任する事が発表された[16]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
2000 SD 1 1 1 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1.000 1.000 1.000 2.000
2003 110 404 371 50 99 17 1 9 145 39 6 2 2 1 24 0 6 74 14 .267 .321 .391 .712
2004 34 84 77 7 19 4 0 3 32 9 0 0 1 0 5 0 1 13 4 .247 .301 .416 .717
2005 124 356 326 40 85 15 2 13 143 43 2 1 1 0 22 1 7 67 5 .261 .321 .439 .760
2006 NYM 75 292 265 37 70 15 1 14 129 40 2 1 1 1 19 4 6 51 7 .264 .326 .487 .813
PIT 55 220 203 20 61 13 0 3 83 23 1 2 1 0 11 3 5 34 5 .300 .352 .409 .760
'06計 130 512 468 57 131 28 1 17 212 63 3 3 2 1 30 7 11 85 12 .280 .337 .453 .790
2007 125 470 431 55 120 23 1 20 205 72 3 1 0 4 23 2 12 101 16 .278 .330 .476 .805
2008 89 360 327 50 108 26 1 13 175 57 1 0 0 3 25 1 5 55 9 .330 .383 .535 .919
NYY 59 247 228 26 61 11 0 12 108 40 1 1 0 1 14 1 4 48 5 .268 .320 .474 .794
'08計 148 607 555 76 169 37 1 25 283 97 2 1 0 4 39 2 9 103 14 .305 .357 .510 .867
2009 7 29 28 4 8 4 0 0 12 2 0 0 0 0 1 0 0 6 2 .286 .310 .429 .739
2010 CHC 119 347 317 33 81 13 0 6 112 33 0 0 1 4 17 0 8 85 12 .256 .306 .353 .660
2011 ARI 82 223 206 26 51 11 0 4 74 35 2 0 0 4 10 1 3 46 4 .248 .287 .359 .646
2012 WSH 40 109 102 6 16 3 0 3 28 6 1 0 0 0 7 2 0 24 3 .157 .211 .275 .486
SF 19 57 50 6 12 3 1 1 20 7 0 0 0 0 6 0 1 13 5 .240 .333 .400 .733
'12計 59 166 152 12 28 6 1 4 48 13 1 0 0 0 13 2 1 37 8 .184 .253 .316 .569
2014 SD 22 42 37 4 5 1 0 3 15 4 0 0 0 0 5 0 0 9 4 .135 .238 .405 .644
通算:12年 961 3241 2969 365 797 159 7 104 1282 410 19 8 7 18 189 15 58 626 95 .268 .323 .432 .755

背番号

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  • 22 (2000年 - 2006年途中)
  • 25 (2006年途中 - 同年途中)
  • 22 (2006年途中 - 2008年途中)
  • 29 (2008年途中 - 同年途中)
  • 22 (2008年途中 - 2011年)
  • 21 (2012年 - 同年途中)
  • 12 (2012年途中 - 同年途中)
  • 68 (2012年途中 - 同年終了)
  • 21 (2014年 - 同年終了)

脚注

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  1. ^ Xavier Is a Household Name. At Least It Is in the Nady Household” (英語). 2008年7月30日閲覧。
  2. ^ 主にWBCWBOの試合を裁くことが多いが、統一戦や統一タイトルマッチの場合は他の団体も裁く資格を持つ。
  3. ^ Xavier Nady Transactions” (英語). Baseball-Reference.com. 2008年7月30日閲覧。
  4. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』廣済堂出版、2007年、373頁頁。ISBN 978-4-331-51213-5 
  5. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008』廣済堂出版、2008年、391頁頁。ISBN 978-4-331-51300-2 
  6. ^ a b c 「MLB30球団レポート ピッツバーグ・パイレーツ / PIT 自己最高のシーズンながら球宴に呼ばれず」『スラッガー』2008年9月号、日本スポーツ企画出版社、2008年、雑誌15509-9、85頁
  7. ^ Yanks complete deal for Nady, Marte” (英語). MLB.com. 2008年7月30日閲覧。
  8. ^ Nationals sign Xavier Nady to minor-league deal” (英語). washingtonpost.com. 2012年8月4日閲覧。
  9. ^ Xavier Nady designated for assignment, John Lannan added to pitch Saturday” (英語). washingtonpost.com. 2012年8月4日閲覧。
  10. ^ Royals Sign Xavier Nady MLBTradeRumors.com
  11. ^ http://kansascity.royals.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20121214&content_id=40652656&vkey=news_kc&c_id=kc Veteran outfielder Nady signs Minor League deal
  12. ^ Thomas Harding (June 30, 2013). “Rox ink veteran Nady to Minor League deal”. MLB.com. February 1, 2014閲覧。
  13. ^ Corey Brock (January 7, 2014). “Padres give Nady Minors deal with spring invitation”. MLB.com. February 1, 2014閲覧。
  14. ^ Corey Brock (May 5, 2014). “Nady DFA'd; Black hopes to retain outfielder”. MLB.com. May 6, 2014閲覧。
  15. ^ Tim Powers (May 11, 2014). “Padres could shift Ross, break up lefty starters”. MLB.com. May 12, 2014閲覧。
  16. ^ Xavier Nady hired as Storm hitting coach MiLB 英語 (2015年6月20日) 2015年6月21日閲覧

関連項目

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外部リンク

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