ハリ・ロバンペラ
ハリ・ロバンペラ | |
---|---|
2005年キプロス | |
基本情報 | |
国籍 | フィンランド |
生年月日 | 1966年4月8日(58歳) |
出身地 | フィンランド ユヴァスキュラ |
WRCでの経歴 | |
活動時期 | 1993年 - 2006年 |
所属チーム | セアト、プジョー、三菱、シュコダ |
出走回数 | 111 |
チャンピオン回数 | 0 |
優勝回数 | 1 |
表彰台回数 | 15 |
ステージ勝利数 | 77 |
通算獲得ポイント | 171 |
初戦 | 1993 1000湖ラリー |
初勝利 | 2001 スウェディッシュ・ラリー |
最終勝利 | 2001 スウェディッシュ・ラリー |
最終戦 | 2006 ウェールズ・ラリーGB |
ハリ・ロバンペラ(芬: Harri Rovanperä, 1966年4月8日 - )はフィンランド・ユヴァスキュラ出身のラリードライバーである。
「ハリ・ロバンペッラ」と表記されることもあるが、母国語の発音では「ハッリ・ロバンペラ」に近い[1]。
経歴
[編集]1989年4月3日にサンビーム・アヴェンジャーで最初のラリーに参加し、世界ラリー選手権(WRC)には1993年に初参戦した。1995年にオペル・アストラを駆りフィンランド・ラリー選手権の下位クラス(aクラス)のチャンピオンとなり、1996年のRACラリーにセアト・イビサ・キットカーでスポット参戦した。その後もWRCのF2クラスにセアトチームから参戦し続け、1998年にはコルドバWRCで終盤4戦に参戦した。翌1999年にはフル参戦を果たし、この年の最終戦グレートブリテンでは初の表彰台となる3位を獲得した。
しかし2000年、セアトチームはディディエ・オリオールとトニ・ガルデマイスターをレギュラードライバーに選択したためシートを失い、この年はトヨタ・カローラWRCで4戦にスポット参戦したのみだったが、ポルトガルで4位、母国フィンランドでは3位を獲得した。
2001年に、当時トップチームだったプジョーに加わり、206WRCをドライブした。プジョーチームから出場する初めてのラリーとなったスウェディッシュ・ラリーで初優勝を果たし、かつ他のレギュラーメンバーも優勝したこともあり、2連覇のマニュファクチャラーズタイトルに貢献した。この年にはレース・オブ・チャンピオンズにおいても優勝を果たした。 その後も2004年までプジョーのグラベル/スノーラリー要員として参戦を続け安定した成績を残し、エースドライバーのマーカス・グロンホルムと1・2フィニッシュを何度か記録した。
2005年に三菱に移籍し、レギュラードライバーとしてフル参戦した。熟成の進んだランサーWRCを駆り中段グループで安定してポイント獲得を続け、最終戦ラリー・オーストラリアでは2位表彰台を獲得したものの、その後三菱本社の経営方針の変更に伴って三菱のWRC撤退が決まり、シートを失った。
2006年はレッドブル・シュコダからファビアWRCで6戦にスポット参戦したが、テストも行われないチーム体勢でマシンのパフォーマンスは一向に向上せず、ポイント獲得には至らなかった。この年をもってWRCを離れた。
2007年はフィンランド・ラリークロス選手権にフォード・フォーカスやボルボ・S40で参戦し、2010年にはアメリカのデザート・レース3戦にフォード・ラプターで参戦するなど、ラリー活動を続けている。
その他
[編集]- 2005年ラリージャパンで、松岡修造をナビシートに乗せて体験走行を行った。
- 息子のカッレ・ロバンペラが2010年(当時8歳)にトヨタ・スターレットKP61で雪道をドライブしている動画が公開されており、父譲りのドライビングテクニックを伺うことができる[2]。その後カッレは着実に経験を積み、2016年にプロデビューして16歳でラトビア選手権を制覇[3]。2017年はWRC2で最年少優勝を遂げ、2022年にはWRCで最年少ワールドチャンピオンとなった
脚注
[編集]- ^ How to pronounce Finnish names
- ^ Youtube: Kalle Rovanperä the next rally phantom ?
- ^ “16歳のカッレ・ロバンペラ、特認でフィンランド選手権参戦へ”. Rally+.net. (2017年1月31日) 2017年11月23日閲覧。
外部リンク
[編集]- http://www.rovanpera.com/ - 公式サイト