バヤコア
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バヤコア | |
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品種 | サラブレッド |
性別 | 牝 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1984年 |
死没 | 1997年6月14日 |
父 | コンサルタンツビッド |
母 | アルセア |
母の父 | グッドマナーズ |
生国 | アルゼンチン |
生産者 | ハラス・プリンシパル |
馬主 | ホワイタム夫妻 |
調教師 |
O・L・フィナレッティ(アルゼンチン) →ジョージ・マチャド(アメリカ) →ロン・マッカナリー(アメリカ) |
競走成績 | |
生涯成績 | 39戦21勝 |
獲得賞金 | 285万6414ドル(ドル換算) |
バヤコア (Bayakoa) はアルゼンチン生まれの競走馬。アルゼンチンとアメリカ合衆国で調教を受け、1989年・1990年のブリーダーズカップ・ディスタフを連覇した。
略歴
[編集]アルゼンチンで1987年にデビュー。パレルモ大賞典の優勝を含む8戦3勝のあと、1988年にアメリカ合衆国へ移籍した。同年は1勝どまりだったが、1989年にはブリーダーズカップ・ディスタフを含むG1競走7勝を挙げ、1990年にはG1競走を4勝してブリーダーズカップ・ディスタフへ駒を進めた。3歳馬のゴーフォーワンドと一騎討ちになったが、最後の直線でゴーフォーワンドが故障発生し転倒するのを尻目に6馬身4分の3差で圧勝した。1991年は3戦0勝で引退。1989年と1990年にはエクリプス賞最優秀古馬牝馬を受賞した。
引退後はアメリカ合衆国で繁殖牝馬となったが4頭の産駒を残し1997年に蹄葉炎で死亡した。
1998年にはアメリカ競馬殿堂入りを果たした。競馬雑誌「ブラッド・ホース」による20世紀のアメリカ名馬100選では95位。
おもな勝利
[編集]- 1987年:パレルモ大賞典(アルゼンチンG1)
- 1989年:サンタマルガリータ招待ハンデキャップ(アメリカG1)、アップルブロッサムハンデキャップ(アメリカG1)、ミレイディハンデキャップ(アメリカG1)、ヴァニティハンデキャップ(アメリカG1)、ラフィアンハンデキャップ(アメリカG1)、スピンスターステークス(アメリカG1)、ブリーダーズカップ・ディスタフ(アメリカG1)
- 1990年:サンタマリアハンデキャップ(アメリカG1)、サンタマルガリータハンデキャップ(アメリカG1)、ミレイディハンデキャップ(アメリカG1)、スピンスターステークス(アメリカG1)、ブリーダーズカップ・ディスタフ(アメリカG1)
血統表
[編集]孫のフォートラーンドは2012年のブリーダーズカップ・クラシックに優勝している。
バヤコアの血統ボールドルーラー系 / Nasrullah 4×4×4 = 18.75% | (血統表の出典) | |||
父 Consultants Bid 鹿毛 1977 アメリカ |
父の父 Bold Bidder1962 鹿毛 アメリカ |
Bold Ruler | Nasrullah | |
Miss Disco | ||||
High Bid | To Market | |||
Stepping Stone | ||||
父の母 Fleet Judy1963 鹿毛 アメリカ |
Fleet Nasrullah | Nasrullah | ||
Happy Go Fleet | ||||
Solid Miss | Solidarity | |||
Henpecker | ||||
母 Arlucea 1974 鹿毛 アルゼンチン |
Good Menners 1966 鹿毛 アメリカ |
Nashua | Nasrullah | |
Segula | ||||
Fun House | The Doge | |||
Recess | ||||
母の母 Izarra1964 栗毛 アルゼンチン |
Right of Way | Honeyway | ||
Magnificent | ||||
Azpeitia | Corindon | |||
Bidasoa F-No. 9 |
外部リンク
[編集]- 競走馬成績と情報 JBISサーチ、Racing Post