プリンセスルーニー
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プリンセスルーニー | |
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欧字表記 | Princess Rooney |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牝 |
毛色 | 芦毛 |
生誕 | 1980年 |
死没 | 2008年10月8日 |
父 | ヴェルベイティム |
母 | パリッシュプリンセス |
母の父 | ドローン |
生国 |
アメリカ合衆国 (ケンタッキー州) |
生産者 | パリッシュ・ヒル・ファーム |
馬主 | ポーラ・タッカー |
調教師 |
フランク・ゴメス(アメリカ) →ニール・ドライスデール(アメリカ) |
競走成績 | |
生涯成績 | 21戦17勝 |
獲得賞金 | 134万3339ドル |
プリンセスルーニー (Princess Rooney) はアメリカ合衆国の競走馬、繁殖牝馬である。1984年のブリーダーズカップ・ディスタフに優勝した。
略歴
[編集]1982年の2歳時は6戦6勝でフリゼットステークスを勝利。3歳時(1983年)はケンタッキーオークスなど6戦5勝。4歳時(1984年)は9戦6勝で、最終戦のブリーダーズカップディスタフは7馬身差の圧勝だった。同年にはエクリプス賞最優秀古馬牝馬を受賞した。
翌1985年に繁殖牝馬となり、同年ダンジグの仔を受胎したままキーンランド・ノベンバーセールに上場されると550万ドルという史上3番目の高値でテキサス州のジョージ・オービンに売却された。しかし繁殖成績は振るわず、10年後にケンタッキー州レキシントンに近いジェントリー・ブラザーズ・ファームに13万ドルで転売されている。
2008年8月、プリンセスルーニーは馬原虫性脊髄脳炎 (EPM) を患っていることが発覚する。投薬治療が行われたが症状は改善せず、10月8日に繋養先のジェントリーブラザーズファームで安楽死処分が施された[1]。
競走成績
[編集]- 1982年(2歳)6戦6勝。フリゼットステークス(米G1)、ガーデニアステークス(米G2)
- 1983年(3歳)6戦5勝。アッシュランドステークス(米G2)、ケンタッキーオークス(米G1)
- 1984年(4歳)9戦6勝。ヴァニティ招待ハンデキャップ(米G1)、チューラヴィスタハンデキャップ(米G3)、スピンスターステークス(米G1)、ブリーダーズカップ・ディスタフ(米G1)
血統表
[編集]プリンセスルーニーの血統(プリンスキロ系 / Nasrullah 4x4=12.50%、 Princequillo 4x5=9.38%、 Blue Larkspur 母内5x5=6.25%) | (血統表の出典) | |||
父 Verbatim 1965 黒鹿毛 アメリカ |
父の父 Speak John1958 鹿毛 アメリカ |
Prince John | Princequillo | |
Not Afraid | ||||
Nuit de Folies | Tornado | |||
Folle Nuit | ||||
父の母 Well Kept1958 鹿毛 アメリカ |
Never Say Die | Nasrullah | ||
Singing Grass | ||||
Bed o'Roses | Preciptic | |||
Pasquinade | ||||
母 Parrish Princess 1971 芦毛 アメリカ |
Drone 1966 芦毛 アメリカ |
Sir Gaylord | Turn-to | |
Somethingroyal | ||||
Cap and Bells | Tom Fool | |||
Ghazni | ||||
母の母 Puzzesca1962 アメリカ |
Law and Order | Nasrullah | ||
In Bloom | ||||
Refurbish | Bold Venture | |||
Renew F-No.1-x (1-s) |
脚注
[編集]- ^ Champion Princess Rooney Dead Archived 2008年10月10日, at the Wayback Machine. - Bloodhorse.com