バラエティ (日本の雑誌)
バラエティ | |
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ジャンル | 映画・サブカルチャー |
刊行頻度 | 月刊(毎月21日) |
発売国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
定価 |
190円(創刊号) 390円(休刊号) |
出版社 | 角川書店 |
刊行期間 | 1977年10月号 - 1986年6月号 |
『バラエティ』は角川書店から1977年から1986年まで刊行された月刊雑誌である。角川書店の自社PR誌[1]。映画、文芸、マンガ、音楽等に関する記事が多かった。
概要
[編集]創刊されたのは角川書店が映画製作に乗り出して間もない頃であり、実際、角川映画に関する記事が誌面を占める割合は高かったが、角川以外の邦画や洋画に関する記事も充実していた[2]。角川映画の宣伝雑誌の側面もあったが、角川映画に対する批判も隠されることなく掲載されていたと書かれたネット記事がある[3]。が、角川映画に対する批判記事はほとんど書かれていない[要出典]。根本的に『バラエティ』というのは映画批評がほとんどないグラビア雑誌である[要出典]。
映画監督・樋口真嗣が、宮崎駿や大友克洋の名前を知ったのは、映画雑誌『キネマ旬報』やアニメ雑誌『アニメージュ』ではなく、角川のカルチャー情報誌『バラエティ』のインタビュー記事や連載だった[4]。貴重な個性派俳優佐藤慶や成田三樹夫のインタビューが載ることもあった[4]。
杉作J太郎は「頭を下げて雑誌や新聞に書いてもらうより、自分ちで雑誌を作ればいいだろと作った、ほとんど全ページ自社の映画の宣伝、解説という雑誌だった。当時のほかの雑誌の半分程度の値段だったと記憶する安い本で、『なんでェ、宣伝ばっかじゃねえの!』とそう思いながらも映画のことが頭に刷り込まれていった。唸りたくなるなるほど大胆かつ冴えた商売である。薬師丸博子のかわいいポートレートなんかも載ってまして、ずいぶん世話になった奴もいた模様です」などと評している[5]。
角川春樹事務所に所属する薬師丸ひろ子・原田知世・渡辺典子のファン・マガジンとしての役割も果たしていた[6]。マスコミへの露出を抑えていた3人の近況を伝える唯一の雑誌だった[7]。事務所の方針で薬師丸はファンクラブを持たないといった事情もあった[8]。同年齢の薬師丸・杉田かおる・荻野目慶子の3人の対談が掲載されることもあった[7]。
マンガに関する記事も充実していて、いしいひさいち・いしかわじゅん等のマンガ作品が掲載されていたばかりでなく、大友克洋・吾妻ひでお等によるユニークな連載(マンガ作品にあらず)もあった。「綺譚社」社長もつとめていた、フリー編集者の秋山協一郎(高野文子の夫でもある。)が編集を担当していた時期もある。
主な連載
[編集]- ド田舎ストーリー(安彦良和)1982年9月号-1982年11月号
- ひでおと素子の愛の交換日記(吾妻ひでお、新井素子)1981年4月号-1986年3月号
- 饅頭こわい(大友克洋)1979年8月号-1983年2月号
- 変人十二面相(小林信彦)1980年9月号-1981年4月号(「中三時代」の連載を引き継いだ。)
- シンボーズ・オフィスへようこそ(鏡明、南伸坊、関三喜夫)
- 凄ノ王伝説・火神子(永井豪)1985年6月号-1986年3月号
- 久住昌之の人生読本(久住昌之)
出典
[編集]- ^ 小山道郎「ルンルン雑誌論」『噂の眞相』1983年3月号、噂の眞相、59頁。
- ^ 中川 & 2014honto, 26%.
- ^ “40周年記念映画祭開催!角川映画はいかにして昭和後期の日本映画界を改革していったか?(後編)”. シネマズ. 松竹 (2016年7月30日). 2016年8月28日閲覧。 “当時発行されていた角川映画の宣伝雑誌「バラエティ」では、角川映画批判を口にする映画人の発言を隠すこともしませんでした”
- ^ a b 樋口真嗣 (2023年8月12日). ロードショー編集部: “『幻の湖』への失望の後、大作を経て、樋口真嗣の心に映画作りへの自我が生まれる。「俺のほうがうまく作れるのでは?」という、修羅の道への志が!【『海峡』】”. 集英社オンライン. 集英社. 2023年8月12日閲覧。 “宮崎駿も大友克洋も、その名を知ったのは『キネマ旬報』や『アニメージュ』ではなく、『バラエティ』のインタビュー記事や連載でした。佐藤慶、成田三樹夫といった個性派俳優のインタビューが読めるのも……。”
- ^ 映画秘宝「BOMB! 『新幹線大爆破』『柳生一族の陰謀』 超大作は遠き日の花火大会(タンパ玉必須) 文・杉作J太郎」『底抜け超大作 映画秘宝vol.6』洋泉社、2012年、241-242頁。ISBN 9784896915532。
- ^ “【ああ懐かしの雑誌黄金時代】「バラエティ」 時間と予算ふんだんで記憶にのみ残る番組生まれる - 芸能 - ZAKZAK”. 夕刊フジ (2016年2月24日). 2016年2月24日閲覧。 “薬師丸ひろ子や原田知世ら角川映画でスターになっていった女優たちのファンマガジンの役割も果たしていた。”
- ^ a b “時代を彩った「角川映画」とは何だったのか?”. 東洋経済オンライン (2016年7月30日). 2016年8月28日閲覧。 “この雑誌は「キネマ旬報」にいた方が編集長に就任していて、映画の匂いをちりばめながら、本人たちの近況をそこで伝えていく形でした。ちょうど、杉田かおるさんと荻野目慶子さん、そして薬師丸さんが同い年なので、3人の対談とかよくやってましたね。”
- ^ 「1978 - 1981 HIROKO DOCUMENT」『バラエティ』1981年(昭和56年)8月臨時増刊号、角川書店、1981年、81頁。
参考文献
[編集]- 中川右介『角川映画 1976‐1986 日本を変えた10年』角川マガジンズ、2014年3月。ISBN 4-047-31905-8。
- honto版(2014年3月8日刊行本が底本・2014年2月28日ダウンロード)