パウル・ヴァインガルテン
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パウル・ヴァインガルテン | |
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基本情報 | |
生誕 |
1886年4月20日 オーストリア=ハンガリー帝国 モラヴィア辺境伯領 ブルノ[1] |
出身地 | チェコ |
死没 |
1948年4月11日(61歳没) オーストリア ウィーン[1] |
学歴 | ウィーン音楽院 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | ピアニスト |
担当楽器 | ピアノ |
パウル・ヴァインガルテン(Paul Weingarten, 1886年4月20日 - 1948年4月11日)は、チェコ出身のピアニスト。
経歴
[編集]ブルノの出身で、ウィーン音楽院でグイド・アドラーに音楽学、エミール・フォン・ザウアーにピアノ、ロベルト・フックスに音楽理論を学び、博士号を取得した。1922年から1938年まで母校のウィーン音楽院に在職して教鞭をとったが、そのうち1936年4月から1938年3月まで日本の東京音楽学校で傭外国人教師となった[2]。同年帰国し、その後はアンシュルス各地を演奏して回った。1945年にウィーン音楽院の教職に復帰し、ウィーンで亡くなるまで奉職した。
門下にはモーラ・リンパニー、ペーター・シュタドレン[3]、イングリット・ヘブラー、ロラント・ラウペンシュトラウフ、永井進[4]、山口喜久子[4]、水谷達夫[5]などがいる。
脚注
[編集]- ^ a b “Weingarten, Paul”. The MusicSack. 2020年1月3日閲覧。
- ^ 東京芸術大学百年史 東京音楽学校篇 第2巻 2003.
- ^ [1]
- ^ a b “二宮裕子 第3回「母 喜久子のピアノ史」”. ピティナ. 2020年3月5日閲覧。
- ^ 木下保の藝術~信時潔、團伊玖磨 歌曲集~ CD ライナーノーツ
参考文献
[編集]- 東京芸術大学百年史編集委員会 編 編「第3章 大正・昭和の東京音楽学校. 第5節 教職員. 2 外国人教師. (13) パウル・ヴァインガルテン Paul Weingarten」『東京芸術大学百年史 東京音楽学校篇 第2巻』音楽之友社、2003年、1253-1262頁。ISBN 978-4-2760-0615-7。