ヒカリ屋
表示
ヒカリ屋の旧ロゴ(右側、草津駅東口のエルティ932(旧ヒカリ屋草津店)にて撮影。同ロゴは撤去済み) | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
本社所在地 |
〒525-00 |
設立 | |
業種 | スーパーマーケット[3] |
代表者 | 代表取締役会長 佃あや子 |
資本金 | |
売上高 | 237億円(1989年(平成元年))[4][5] |
従業員数 |
245[2] ↓ 343[3] |
決算期 | 1月期[2] |
関係する人物 | 佃光蔵(創業者)[2][3] |
ヒカリ屋(ひかりや)は、滋賀県草津市で食料品店から発展したスーパーマーケットである。1986年(昭和61年)には売上高100億円を上げて、滋賀県内に本社を置く小売業で平和堂の1,358億円に次ぐ2位となった[6]。
沿革
[編集]- 1949年(昭和24年)3月[2] - 佃光蔵が滋賀県草津市大路527番地で[1]繊維小売を創業[2]。
- 1961年(昭和36年)2月26日 - 資本金150万円で「株式会社 主婦の店ひかりや」を設立し、法人化[1]。
- 1968年(昭和43年)
- 1987年(昭和62年)4月 - 佃光蔵(社長〈創業者〉)が死去し[8]、佃あや子が社長に就任[注 1][10]。
- 1989年(平成元年)4月 - 草津店開店に際し、ダイエーと業務提携を行う[4]。商品供給や仕入・人材の受け入れなどを行った[4]。
- 1990年(平成2年)[4] - ダイエーが当社の株式の過半を約90億円で取得して子会社化し[5]、社長にダイエー出身の山崎誠一専務が昇格してダイエーの傘下となる[4]。この株式の譲渡により、佃あや子が滋賀県の高額納税者番付で1位となり[11]、全国の高額納税者番付では8位となった[9]。
かつて存在した店舗
[編集]滋賀県
[編集]- 売場面積169 m2[13]
- 敷地面積約13,791 m2[22]、鉄骨一部鉄筋コンクリート造地上4階建て塔屋1階[22]、延べ床面積約21,453 m2[22]、店舗面積約8,340 m2[22](当社店舗面積約4,551 m2[22])、駐車台数約1,000台[22]。
- 瀬田駅前に出店していた[24]。
京都府
[編集]- 敷地面積約3,573 m2[27]、鉄骨鉄筋コンクリート造地上4階建て塔屋1階[27]、延べ床面積約7,479 m2[27] → 約8,974 m2[28]、店舗面積約4,476 m2[27](当社店舗面積約2,563 m2[27]) → 約5,142 m2[29]、駐車台数約600台[27]。
- この節の加筆が望まれています。
大阪府
[編集]過去に存在した関連会社
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e 『全国繊維企業要覧 昭和43年版』 信用交換所大阪本社、1967年9月15日。pp978
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『全国繊維企業要覧 昭和45年版』 信用交換所大阪本社、1970年。pp2583
- ^ a b c d e f g 『滋賀年鑑 昭和59年版』 京都新聞社、1983年11月。 pp657
- ^ a b c d e “ストアニュース”. 総合食品 1990年5月号 (総合食品研究所) (1990年5月).pp101
- ^ a b “各社各様に拍車かかる大手チェーンの投資計画”. 販売革新 1990年6月号 (アール・アイ・シー) (1990年6月).pp83-86
- ^ a b 『データ・ハンドブック 1987年版』 商業界、1987年6月15日。pp20
- ^ a b c d e 『日本繊維商社銘鑑 1970年版』 信用交換所大阪本社、1970年。pp1333
- ^ “佃 光蔵氏 死去”. 京都新聞 (京都新聞社). (1987年4月9日). pp25
- ^ a b “1990(平成2)年長者番付”. 月間基礎知識2003年8〜9月号 お金があることとステイタスの現代史用語集「長者」. 自由国民社 (2003年7月). 2023年4月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年8月12日閲覧。
- ^ “佃 あや子さん(六十) ヒカリ屋 ゛趣味は仕事です″ 来年度売り上げ300億円へ”. 中日新聞 (中日新聞社). (1988年12月27日). pp滋賀版
- ^ “湖国の高額納税者 上位は土地と株 公示者も最高”. 京都新聞 (京都新聞社). (1990年5月2日). pp滋賀版
- ^ 『日本繊維商社銘鑑 1970年版』 信用交換所大阪本社、1970年。pp798
- ^ a b 『日本セルフ・サービス年鑑 1968年版』 日本セルフ・サービス協会、1967年11月10日。pp301
- ^ a b c 『日本セルフ・サービス年鑑 1970年版』 日本セルフ・サービス協会、1970年3月20日。pp271
- ^ 『全国都市統計総覧』 東洋経済新報社、1982年9月。pp961
- ^ a b 『滋賀県地域防災計画附属資料 昭和48年1月修正』 滋賀県防災会議、1973年1月。pp186
- ^ a b “開店予定情報”. ショッピングセンター 1989年4月号 (日本ショッピングセンター協会) (1989年4月1日).pp67
- ^ “撤退を正式決定 ヒカリ屋草津店 衣料品と食品売り場 今月末に営業停止”. 中日新聞 (中日新聞社). (2005年11月15日).滋賀版
- ^ “JR草津駅前に商業施設開設へ 「エルティ」内に21日オープン”. 京都新聞(京都新聞社). (2007年9月15日)
- ^ “旧ヒカリ屋店舗改修「まちかど情報館」に 本町商店街活性化へ 八日市”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (1996年2月8日). pp滋賀版
- ^ “かつての市場再現 まちかど情報館オープン 八日市”. 中日新聞 (中日新聞社). (2016年4月21日). pp滋賀版
- ^ a b c d e f g h 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp1051
- ^ 『新修大津市史 第10巻 年表・便覧』 大津市、1987年11月29日。pp404
- ^ 『新修大津市史 第6巻 現代』 大津市、1983年8月7日。pp422
- ^ a b c 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2010年版』 東洋経済新報社、2010年。pp1224
- ^ a b 『流通会社年鑑 1984年版』 日本経済新聞社、1983年10月31日。 pp159
- ^ a b c d e f g h 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp1076
- ^ a b 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2006年版』 東洋経済新報社、2006年。pp1192
- ^ 二場邦彦 “京都の小売商業と大型店 凍結宣言満了後の動向”. 京都地域研究 VOL.9 (立命館大学人文科学研究所京都地域研究会) (1994年11月30日).pp20
- ^ 『滋賀年鑑 昭和49年版』 京都新聞社、1973年10月25日。 pp508
- ^ a b c 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2009年版』 東洋経済新報社、2009年。pp1277