ビクトル・マルキン
獲得メダル | ||
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ソビエト連邦 | ||
陸上競技 | ||
オリンピック | ||
金 | 1980 モスクワ | 400m |
金 | 1980 モスクワ | 4×400mR |
世界陸上競技選手権大会 | ||
金 | 1983 ヘルシンキ | 4×400mR |
ヨーロッパ陸上競技選手権大会 | ||
銅 | 1983 アテネ | 400m |
銅 | 1983 アテネ | 4×400mR |
ヴィクトル・フョードロヴィチ・マルキン(ロシア語: Виктор Фёдорович Маркин, ラテン文字転写: Viktor Fyodorovich Markin、1957年2月23日 - )は、ソビエト連邦ノボシビルスク州出身の陸上競技選手。1980年モスクワオリンピックの金メダリストである。
経歴
[編集]マルキンは高校卒業後、19歳のときにノボシビルスクの製薬工場に就職する。ここから彼の陸上競技のキャリアがはじまった。彼はモスクワオリンピックまで全く無名の選手であった。
マルキンは、モスクワオリンピックが開催される1980年の4月に46.96秒の自己ベストを記録。7月には、45秒34まで記録を向上させ、オリンピック出場を果たす。そして、400mに出場したオリンピックでは、200mを通過したところで5位をキープ。第4コーナーを回って最後の直線に入ったところで、トップを走っていた東ドイツのフランク・シャファーから3m後方の位置をキープ。ここからマルキンは力強くシャファーを追い抜きトップに立つと、44.60秒のヨーロッパ新記録のタイムで金メダルを獲得。この記録はいまだにロシア記録として残っている。マルキンは4×400mRにも出場。アンカーを務め、東ドイツのアンカーのフォルカー・ベックと激しい競り合いの末、2つめの金メダルを獲得した。
モスクワオリンピックの後、薬学の勉強のためしばらく競技を中断していたが、1982年のヨーロッパ選手権で国際大会に再登場。この大会で、400mと4×400mRの2種目で銅メダルを獲得。翌年の第1回世界選手権にも出場し、4×400mRで金メダルを獲得。しかし、翌年の1984年ロサンゼルスオリンピックに、ソ連が出場ボイコットを決めたため、マルキンは引退を決意した。
主な実績
[編集]年 | 大会 | 場所 | 種目 | 結果 | 記録 |
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1980 | オリンピック | モスクワ(ソビエト連邦) | 400m | 1位 | 44秒60 |
1980 | オリンピック | モスクワ(ソビエト連邦) | 4×400mR | 1位 | 3分01秒1 |
1982 | ヨーロッパ陸上競技選手権大会 | アテネ(ギリシャ) | 400m | 3位 | 45秒30 |
1982 | ヨーロッパ陸上競技選手権大会 | アテネ(ギリシャ) | 4×400mR | 3位 | 3分00秒80 |
1983 | ユニバーシアード | エドモントン(カナダ) | 400m | 2位 | 45秒38 |
1983 | 世界陸上競技選手権大会 | ヘルシンキ(フィンランド) | 4×400mR | 1位 | 3分00秒79 |
外部リンク
[編集]- ビクトル・マルキン - Olympedia