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ピアッジオ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Piaggio & C. SpA
種類
公開会社
市場情報 BITPIA
業種
  • オートバイ製造
  • オートバイ販売
  • エンジン製造
設立 イタリア、セストリ・ポネンテ (1884年1月24日 (1884-01-24))
創業者 リナールド・ピアッジオ
本社
イタリア
事業地域
全世界
主要人物
  • ロベルト・コラニンノ, Chairman and CEO
売上高 増加 1,295 million (2015) [1]
営業利益
増加 € 161.8 million (2015)[1]
利益
増加 11.9 million (2015)[1]
従業員数
7,510 (2014)[2]
子会社
ウェブサイト piaggiogroup.com/en

ピアッジオ: Piaggio & C. S.p.A., ピアジオピアッジョとも)は、イタリアの自動車メーカーであり、ピアッジオの他に4つのブランド、ベスパ(Vespa)アプリリア(Aprilia)モト・グッツィ(Moto Guzzi)デルビ(Derbi)の下で、様々な二輪自動車と小型商用車を生産している。本社はイタリアのポンテデーラにある。1884年にリナルド・ピアッジオによって設立され、当初は機関車鉄道車両を生産していた。

ピアッジオとその子会社は合計7,053人の従業員を雇用し、2014年には合計519,700台の車両を生産した[1]。6つの研究開発センターを持ち、50カ国以上で事業を展開している [3]

社史

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1884年、創業者リナールド・ピアッジオにより船舶用パーツメーカーとして設立された。鉄道車両から航空機など事業を拡大し、戦時には航空機やそのエンジンを多数製造した。戦後の1946年スクーターの代名詞とも言えるベスパの生産を開始した。現在もベスパブランドを生産し、その他ピアッジオブランドのスクーターやモペッドマイクロカーを生産している。

1964年フィアットのオーナーであるアニェッリ家へ買収され、ピアッジオはフィアットの傘下へ入った。同年、ピアッジオはオートバイ部門と航空部門を分社化され、航空部門はIAM リナルド・ピアジオとして独立した。その後、IAM リナルド・ピアジオはフェラーリピエロ・ラルディ・フェラーリに買収され、ピアジオ・エアロ(Piaggio Aero)としてイタリア資本へと戻った。 引き続きオートバイの製造を行っていたピアッジオは1969年ジレラを買収した。

1992年から2002年までダイハツ工業と提携し、軽貨物車ハイゼットピアッジオ・ポーターの名称でライセンス生産した。

1999年中国で合弁事業をはじめたが、失敗した。イタリアでも1500万ユーロ(1940万ドル)を投資して新型のオートバイを開発を開始したが、プロトタイプの製造後、中止された。2002年には1億2900万ユーロの損失を出したことにより、巨額の債務を抱えた。しかし、敵対的買収でテレコム・イタリアを傘下に収め、不動産会社IMMSIを通して経営権の獲得に乗り出したロベルト・コラニーノ2003年に会長に就任した。コラニーノはリストラを行わないまま、あらゆるスクーターを製造できるよう日本式に倣った工場の組立てラインへと一新し、利益率と顧客満足度の基準に基づいたボーナス支給など同社の改革を実施した[4]2006年にミラノ証券取引所へ再び上場した。

2021年3月、ホンダ、ヤマハKTM(オーストリア)、ピアッジオ(イタリア)の4社は電動二輪車のUNECE規格に沿った互換性のある交換式バッテリーの共同開発事業を立ち上げると発表した[5][6]

三輪車

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インドでは、ベスパ・カーを起源とする三輪自動車の生産を続けており、有力メーカーの一つとなっている[7]

日本での販売

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日本においては本社の出資により設立されたピアッジオグループジャパン株式会社が取り扱っている。かつては株式会社成川商会が輸入元となっており、ピアッジオ日本法人の設立以降もデルビ、ジレラブランドは2015年まで取り扱っていた。

ブランド

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製品一覧

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脚注

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関連項目

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外部リンク

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