ピョートル・ボロトニコフ
獲得メダル | ||
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ソビエト連邦 | ||
陸上競技 | ||
オリンピック | ||
金 | 1960 ローマ | 男子 10000 m |
ピョートル・ボロトニコフ (ロシア語:Пётр Григорьевич Болотников、ローマ字:Pyotr Grigorevich Bolotnikov、1930年3月8日 - 2013年12月20日)は、旧ソビエト連邦の陸上競技選手。1960年代前半に活躍した長距離選手。1960年ローマオリンピックの男子10000m金メダリストである。ロシア連邦モルドヴィア共和国出身。
経歴
[編集]ボロトニコフが長距離ランナーになったのは遅く、20歳で軍隊に入隊してからである。スパルタクに所属しトレーニングを開始した。
ボロトニコフは、1956年メルボルンオリンピックに出場しているが5000mで9位、10000mで16位という成績であった。その後力をつけ、1957年には10000mで、前年のメルボルンの5000m、10000mで2冠を達成したウラジミール・クーツを10分の2秒差下し初めての国内タイトルを獲得。翌年からボロトニコフは6年連続5000m、10000mの2種目制覇を果たす。
ボロトニコフは、1960年ローマオリンピックには10000mに出場。レースは終始ボロトニコフがコントロールし、ドイツのハンス・グロドッキやニュージーランドのマレー・ハルバーグといった強豪を抑え完勝した。さらに同年の10月5日には、キエフで行われた10000mのレースで、クーツが持っていたそれまでの記録を約12秒更新する28分18秒8の世界新記録を樹立した。
1962年のヨーロッパ選手権の2週間前の8月11日、モスクワで行われた10000mのレースで、自身の世界記録を0.6秒更新する28分18秒2の世界新記録を達成。ヨーロッパ選手権においても、10000mは余裕で優勝を果たす。しかし5000mでは3位という結果に終わった。
ボロトニコフは、1964年にも国内選手権の10000mを制し、東京オリンピックに出場を果たすが、26位と惨敗。翌1965年に現役を引退した。
世界新記録
[編集]主な実績
[編集]年 | 大会 | 場所 | 種目 | 結果 | 記録 |
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1956 | オリンピック | メルボルン(オーストラリア) | 5000m | 9位 | 14分22秒4 |
1956 | オリンピック | メルボルン(オーストラリア) | 10000m | 16位 | TNT |
1960 | オリンピック | ローマ(イタリア) | 10000m | 1位 | 28分32秒2 |
1962 | ヨーロッパ陸上選手権 | ベオグラード(ユーゴスラビア) | 5000m | 3位 | 14分02秒6 |
1962 | ヨーロッパ陸上選手権 | ベオグラード(ユーゴスラビア) | 10000m | 1位 | 28分54秒0 |
1964 | オリンピック | 東京(日本) | 10000m | 25位 | 30分52秒8 |
- TNTはタイム計測せず
外部リンク
[編集]- ピョートル・ボロトニコフ - Olympedia