フランシスコ・シャビエル・ド・アマラル
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フランシスコ・シャビエル・ド・アマラル Francisco Xavier do Amaral | |
任期 | 1975年11月28日 – 12月7日 |
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首相 | ニコラウ・ドス・レイス・ロバト |
出生 | 1937年12月3日 ポルトガル領ティモール トゥリスカイ |
死去 | 2012年3月6日(74歳没) 東ティモール ディリ |
政党 | 東ティモール独立革命戦線 ティモール社会民主協会 |
フランシスコ・シャビエル・ド・アマラル(Francisco Xavier do Amaral、1937年12月3日 - 2012年3月6日)は、東ティモールの政治家。ティモール社会民主協会(ASDT)党首。国民議会議員。
人物
[編集]アイレウ地方トゥリスカイのマヌファヒ県フルル村の領主(リウライ)の家系に生まれる。高校教師ののち、1974年のフレティリン創設に参加。フレティリンの初代党首であり、1975年11月28日、ポルトガルからの一方的な独立宣言の時に宣誓をして「大統領」となった。
1976年、インドネシアが東ティモールに侵攻すると山中での抵抗運動を行うが、1977年インドネシアとの対話を主張し党首を解任され追放された。その後、インドネシア軍の交渉役をするが、フレティリン中央委員会に拘束される。
1978年8月、再び追放され、インドネシア軍に即座に拘束され、最初はバリ島に、1983年から1999年のインドネシア軍の撤退までジャカルタに軟禁される。東ティモールに戻り、2000年、ASDTを創設し党首となる。彼が東ティモールでも伝統を重んじる地方のリウライの家系である為、アイレウ、アイナロ、マヌファヒで安定した地盤を持つ。
2001年の制憲議会選挙でASDTは、6議席を獲得。2007年の大統領選挙に立候補し14.39%の票を獲得。直後に行われた国民議会選挙で社会民主党(PSD)と連合を組み11議席を獲得した。
2012年3月6日、病気のためディリの病院で死去[1]。74歳没。
脚注
[編集]- ^ East Timor founding father Francisco Xavier do Amaral dies Herald Sun 2012年3月7日閲覧