フランソワ=セラフィン・デルペシュ
フランソワ=セラフィン・デルペシュ rançois-Séraphin Delpech | |
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カルル・ヴェルネによって描かれたデルペシュの版画店 | |
生誕 |
1778年 フランス、パリ |
死没 |
1825年4月25日 フランス、パリ |
フランソワ=セラフィン・デルペシュ(François-Séraphin Delpech、1778年 - 1825年4月25日)は、フランスの美術評論家、版画家である。フランス第一帝政期に活動した版画家で、歴史上の人物や、同時代の人物の肖像版画を出版したことで知られている。
略歴
[編集]パリ16区のシャイヨ地区 (Quartier de Chaillot)で生まれた。はじめ文芸誌、『メルキュール・ド・フランス』の美術評論家として働いた後、パリのヴォルテール通りに版画店を開いた。この店を描いた版画を後にカルル・ヴェルネが制作している。
1819年に版画家としてマリ=フィリップ・クーパン・ド・ラ・クーペリー(1773-1851)を雇い、「フランスの画家による版画集(Album lithographique ou recueil de dessins sur pierre, par des artistes français)」を出版し、肖像版画家として成功した。版画家のベリアール(Zéphirin Belliard: 1798-1871)や画家のルイ=レオポルド・ボワイー(1761-1845)とも仕事をしたとされる。デルペシュの出版社は、88枚以上の多色刷り版画を掲載した版画集『1200年から1820年までのフランス王政の民間および軍用の衣装(Costumes civils et militaires de la monarchie française depuis 1200 jusqu’à 1820)』の出版によって全国的に有名になった。
ランソワ=セラフィン・デルペシュは1825年に胸の疾患によってパリで亡くなったが、デルペシュの出版社は未亡人の指揮で、1823年からにデルペシュが制作を始めた200枚の肖像画からなる『同時代の図像(Iconographie des contemporains )』(1832年出版)などの出版活動を続けた[1]。
作品
[編集]-
バレエ『プルソニャック氏』から
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大臣の衣装
脚注
[編集]- ^ Notice biographique, in: Dictionnaires des imprimeurs-lithographes, ENC.
参考文献
[編集]- Examen raisonné des ouvrages de peinture, sculpture et gravure exposés au salon du Louvre en 1814, vol. 1-11, Paris, Martinet, 1814.
- L’Auteur des « Deux gendres » pris en flagrant délit, ou Réponse au précis de M. Hoffman, par F. S. D. [in-8°, 20 p.], Paris, J.-G. Dentu, 1812.
- Bénézit, 1999