フリッパー上原
基本情報 | |
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本名 | 上原 晴治 |
階級 | フェザー級 |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1952年2月8日(72歳) |
出身地 | 沖縄県那覇市 |
家族 | 上原康恒(兄) |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 19 |
勝ち | 13 |
KO勝ち | 4 |
敗け | 5 |
引き分け | 1 |
フリッパー上原(フリッパーうえはら、1952年2月8日 - )は、日本のプロボクサー。本名は上原 晴治(うえはら はるじ)。沖縄県那覇市出身。興南高校卒、日本大学文理学部体育学科中退。協栄ボクシングジム所属。元日本フェザー級王者。
来歴
[編集]日大一年1970年、全日本アマチュアボクシング選手権大会・フェザー級で優勝を果たした。同年、兄・康恒もライトウェルター級で優勝している。
大学を3年で中退して協栄ボクシングジムに入門、1973年1月11日、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスでプロデビュー。ロサンゼルスで4戦4勝し、同年10月28日に5戦目で日本デビュー。
1974年10月21日、のちのWBC世界ジュニアフェザー級王者リゴベルト・リアスコと対戦し、10回判定負け。
1975年3月9日、12戦目で日本フェザー級王者牛若丸原田に挑戦し、2-1のスプリットデシションで10回判定勝ちし王座を獲得。6月27日、ダイレクトリターンマッチで牛若丸原田と再戦し、再度2-1のスプリットデシションで判定を制し初防衛に成功。
1976年3月6日、15戦目で世界王座初挑戦。WBC世界フェザー級王者デビッド・コティ(ガーナ)と敵地・アクラで対戦し、11回TKO負けで王座獲得ならず[1]。
1976年10月10日、山梨県甲府市の山梨学院大学体育館にて吉田秀三との日本王座の3度目の防衛戦に臨み[2]、10回判定負けで王座から陥落した。12月11日、吉田と再戦し、10回判定勝ちで王座を奪回した。同王座は防衛戦を行うことなく返上した。
1977年5月29日、地元・沖縄の那覇市奥武山体育館でWBA世界フェザー級王者ラファエル・オルテガ(パナマ)に挑戦し、15回判定負けで2度目の王座挑戦も失敗し[1]、この試合を最後に現役を引退した。
戦績
[編集]19戦 13勝(4KO)5敗1分
戦 | 日付 | 勝敗 | 時間 | 内容 | 対戦相手 | 国籍 | 備考 |
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1 | 1973年1月11日 | 勝利 | 4R | KO | モイ・サンチェス | メキシコ | プロデビュー戦 |
2 | 1973年3月8日 | 勝利 | 4R | KO | モイ・サンチェス | メキシコ | |
3 | 1973年4月5日 | 勝利 | 10R | 判定 | ヘクター・ロドリゲス | アメリカ合衆国 | |
4 | 1973年7月5日 | 勝利 | 9R | 負傷判定 | レオンシオ・メサ | メキシコ | |
5 | 1973年10月28日 | 勝利 | 7R | KO | 徳治 | 日本(本多) | |
6 | 1973年11月29日 | 勝利 | 10R | 判定 | コルネリオ・メミン・ベガ | メキシコ | |
7 | 1974年3月26日 | 勝利 | 12R | 判定 | チェ・ユンホ | 韓国 | |
8 | 1974年5月28日 | 勝利 | 10R | 判定 | イ・クァンウォン | 韓国 | |
9 | 1974年7月15日 | 敗北 | 4R | KO | ウーゴ・バラサ | コロンビア | |
10 | 1974年9月10日 | 引分 | 10R | 判定 | サミー・ゴス | アメリカ合衆国 | |
11 | 1974年10月21日 | 敗北 | 10R | 判定 | リゴベルト・リアスコ | パナマ | |
12 | 1975年3月9日 | 勝利 | 10R | 判定 | 牛若丸原田 | 日本(笹崎) | 日本フェザー級タイトルマッチ(獲得) |
13 | 1975年6月29日 | 勝利 | 10R | 判定 | 牛若丸原田 | 日本(笹崎) | 日本フェザー級タイトルマッチ(防衛1) |
14 | 1975年10月12日 | 勝利 | 10R | 判定 | 足立茂雄 | 日本(本多) | 日本フェザー級タイトルマッチ(防衛2) |
15 | 1976年3月7日 | 敗北 | 11R | TKO | デビッド・コティ | ガーナ | WBC世界フェザー級タイトルマッチ |
16 | 1976年7月26日 | 勝利 | 9R | KO | 竹森三城 | 日本(三迫) | 日本フェザー級タイトルマッチ(防衛3) |
17 | 1976年10月10日 | 敗北 | 10R | 判定 | 吉田秀三 | 日本(協栄河合) | 日本フェザー級タイトルマッチ(王座陥落) |
18 | 1976年12月11日 | 勝利 | 10R | 判定 | 吉田秀三 | 日本(協栄河合) | 日本フェザー級タイトルマッチ(獲得) |
19 | 1977年5月29日 | 敗北 | 15R | 判定 | ラファエル・オルテガ | パナマ | WBA世界フェザー級タイトルマッチ |
テンプレート |
獲得タイトル
[編集]- 第21代日本フェザー級王座(防衛2)
- 第23代日本フェザー級王座(防衛0=返上)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]前王者 牛若丸原田 |
第21代日本フェザー級王者 1975年3月9日 - 1976年10月10日 |
次王者 吉田秀三 |
前王者 吉田秀三 |
第23代日本フェザー級王者 1976年12月11日 - 1977年(返上) |
空位 次タイトル獲得者 スパイダー根本 |