フレッシュ三人娘
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フレッシュ三人娘(フレッシュさんにんむすめ)は、1977年にデビューした女性アイドル歌手、榊原郁恵・清水由貴子・高田みづえ(歌手デビュー順)の3人を指す。同年3月に「花の中三トリオ」[1](1973年度~1976年度、森昌子、桜田淳子、山口百恵)が高校卒業時の1977年3月に解散したため、その後継として期待された。しかし当三人娘は、わずか1年ほどで自然消滅的に解散した。
メンバー
[編集]- それぞれの人物の詳細・ディスコグラフィは、各人物名の項目を参照のこと。
榊原郁恵
[編集]- デビュー前の愛称: ブーヨン
- デビュー後の愛称: なし
- キャッチフレーズ: 「一億円のシンデレラ」
- 本名: 榊原郁恵→渡辺郁恵
- 生年月日: 1959年5月8日
- 血液型: B型
- 配偶者: 渡辺徹(俳優)
- 子供: 長男・渡辺裕太(俳優・タレント)と次男
- 1976年「ホリプロタレントスカウトキャラバン」(NET)に出場。初代グランプリチャンピオンになる。1977年1月1日「私の先生」で歌手デビュー。翌1978年に「夏のお嬢さん」で『NHK紅白歌合戦』に初出場、通算6回出場。
清水由貴子
[編集]- デビュー前の愛称: シミチョロ
- デビュー後の愛称: ユッコ
- キャッチフレーズ: 「ほほえみスイング まこごろハミング」
- 本名: 清水由貴子
- 生年月日: 1959年9月7日
- 没年月日: 2009年4月20日(享年49)
- 血液型: A型
- 配偶者: なし(未婚)
- 子供: なし
- 1976年、日本テレビのオーディション番組『スター誕生!』に出場。決戦大会で最優秀賞(グランドチャンピオン)になる。1977年3月1日「お元気ですか」で歌手デビュー。『NHK紅白歌合戦』の出場はなし。
高田みづえ
[編集]- デビュー前の愛称: ミーコ
- デビュー後の愛称: なし
- キャッチフレーズ: 「超えてる16歳」
- 本名: 高田みづえ→日高みづえ
- 生年月日: 1960年6月23日
- 血液型: A型
- 配偶者: 現荒磯親方の若嶋津六夫(本名:日高六男)
- 子供: 長男・勝信(元俳優)と長女・アイリ(タレント)
- 1976年、フジテレビ系列オーディション番組『君こそスターだ!』に出場、第18回グランドチャンピオンになる。1977年3月25日「硝子坂」で歌手デビュー。同年に「硝子坂」で『NHK紅白歌合戦』に初出場、通算7回出場。
概要
[編集]芸能雑誌『明星』が1977年7月号で「フレッシュ3人娘!」と銘打って、3人の特集を組んだ。先代の「三人娘(ジャンケン娘)」「スパーク3人娘」「花の中三トリオ」などのように、揃って映画やドラマに出演する機会[2]はなく、歌番組も新人賞レース以外での3人が揃う番組が少なく、同期の歌手仲間かつライバル、という趣きが強い。
新人賞レース以外で3人が揃って出る歌番組は、『第3回 ヤング歌の祭典』[3](NHK、1977年5月5日放送)、『歌のグランド・ショー―9月芸能10大ニュース ―アイドルに何が起きたか―』[4](NHK、1977年9月28日放送)、『第5回 オールスター寒中水泳大会』(フジテレビ、1978年2月7日放送)、『第8回 オールスターものまね王座決定戦』[5](フジテレビ、1978年4月11日放送)などがある。
1年が経過した1978年春頃から知名度が低くなり、3人全てが番組で共演することはほとんどなくなった。代わりに番組俗称ではあるが、1979年代の『NTV紅白歌のベストテン』において榊原郁恵・大場久美子・石野真子が「新3人娘」と呼ばれた時期もあった[6]。
脚注
[編集]- ^ のち高校進学時には「花の高一トリオ」(1974年度)、「花の高二トリオ」(1975年度)、「花の高三トリオ」(1976年度)と、それぞれ呼び方を変えている。
- ^ 三人娘による映画『ジャンケン娘』(1955年公開)、スパーク3人娘による『ハイハイ3人娘』(1963年公開)、花の中三トリオが高校2年生時の『花の高2トリオ 初恋時代』(1975年公開)など。
- ^ 第3回 ヤング・歌の祭典 NHKアーカイブス
- ^ 歌のグランド・ショー―アイドルに何が起きたか― NHKアーカイブス
- ^ 第8回 オールスターものまね王座決定戦ものまね王座決定戦データベース
- ^ 週刊TVガイド 1979年7月13日号 169頁記事、など。