花の中三トリオ
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花の中三トリオ(はなのちゅうさんトリオ)とは、オーディション番組『スター誕生!』(日本テレビ系)から歌謡界にデビューした同世代(同い年、同学年)の森昌子、桜田淳子、山口百恵の3人の中学三年生当時(1973年度)の呼び名である。
概要
[編集]『スター誕生!』の草創期にデビューし、初期の決戦大会合格者の中でも特に目を引く存在[注 1]だった森昌子、桜田淳子、山口百恵が偶然にも同学年だったことから、1973年8月26日の『スタ誕』の100回記念特番の時、チーフ・プロデューサーの池田文雄により、“花の中三トリオ”と命名された。これは池田が、人気歌手の美空ひばり・江利チエミ・雪村いづみによる“三人娘”に着想を得たもの。この命名直後に、『月刊明星』が大々的に中三トリオを特集したことから広く定着し[1]、それ以降中三トリオは1970年代のアイドルブームを牽引することとなった[2]。
その後中三トリオの呼称は、3人が進級するごとに、花の高一トリオ・高二トリオ・高三トリオと呼び名を変え、高校卒業時の1977年3月にトリオ解散となった。ただし、3人でトリオを組んでいた訳ではなかったため、「解散」と称するのは厳密には間違いである。
メンバー
[編集]- それぞれの人物の詳細・ディスコグラフィは、各人物名の項目を参照のこと。
森昌子
[編集]→詳細は「森昌子」を参照
- 愛称: マコ
- キャッチフレーズ:"あなたのクラスメート"
- 本名: 森田昌子 → 森内昌子 → 森田昌子
- 生年月日: 1958年10月13日
- 血液型: A型
- 配偶者: なし(1986年10月に森進一(歌手)と結婚、2005年4月離婚)
- 子供: 長男・森内貴寛(現・Taka)(歌手)、次男(テレビ東京勤務)、三男・森内寛樹(Hiro、歌手)
- 1971年『スター誕生!』に出場。初代グランドチャンピオンになる。1972年7月1日「せんせい」で歌手デビュー。翌年の1973年に「せんせい」でNHK紅白歌合戦に初出場。
桜田淳子
[編集]→詳細は「桜田淳子」を参照
- 愛称:淳ぺい[3]、ジュンペイ、淳ペー
- キャッチフレーズ:"さわやか淳ちゃん" "そよ風の天使"
- 本名: 桜田淳子 → 東淳子
- 生年月日: 1958年4月14日
- 血液型: O型
- 配偶者: あり(一般人)
- 子供: 長男、長女、次女
- 1972年『スター誕生!』に出場。同年9月、第4回決戦大会でグランドチャンピオンになる。1973年2月25日「天使も夢みる」で歌手デビュー。翌年の1974年に「黄色いリボン」で紅白歌合戦に初出場。
山口百恵
[編集]→詳細は「山口百恵」を参照
- 愛称:百(もも)さん[3]、モモタロー
- キャッチフレーズ:"ひとにめざめる14才" "大きなソニー、大きな新人"
- 本名: 山口百惠 → 三浦百惠
- 生年月日: 1959年1月17日
- 血液型: A型
- 配偶者: 三浦友和(歌手・俳優)
- 子供: 長男・三浦祐太朗(歌手・俳優)、次男・三浦貴大(俳優)
- 1972年『スター誕生!』に出場。同年12月、第5回決戦大会で準優勝。1973年の映画「としごろ」に出演し、同年5月21日に同名の主題歌「としごろ」で歌手デビュー。翌1974年に「ひと夏の経験」で紅白歌合戦に初出場。
概要
[編集]- デビューは森昌子が1期早い。
- ホリプロ創業者の堀威夫社長(当時)は、自社の森・石川さゆり(なお、石川は1958年1月30日の早生まれ)と三人娘を結成したいために山口をスカウトしたが、結果的には石川を外して桜田(サンミュージック)を加え、事務所の枠を超えたトリオとなった。
- 3人が揃って「NHK紅白歌合戦」に出場したのは、高一トリオだったときの1974年・第25回から解散後の1979年・第30回までで、合計通算6回(6年連続)だった。
- 3人が揃っての主演映画『花の高2トリオ 初恋時代』が1975年8月2日に劇場公開されたが、シリーズ化されることなくこれが唯一の映画となっている。企画には『スター誕生!』(以下:スタ誕)のチーフプロデューサー・池田文雄が企画に関わり、スタ誕の当時のレギュラー・黒部幸英も「クロベー」名義で共演している。この作品は2011年8月31日に公開から26年後に初めてDVDとして商品化された。
- 3人が高校を卒業する1977年3月27日、日本武道館で3人共演の解散コンサートが開かれた。この模様は日本テレビの『木曜スペシャル』で放送され、同年に番組と同じ内容のドキュメンタリー映画『昌子・淳子・百恵 涙の卒業式〜出発〜(たびだち)』(東宝邦画系)も公開された。この作品は2011年8月31日に公開から24年後に初めてDVDとして商品化された。
- 若い女性3人をくくる発想は、かつての「三人娘(ジャンケン娘)」(主に1950年代後半、美空ひばり、雪村いづみ、江利チエミ)や「スパーク3人娘」(主に1960年代中盤、中尾ミエ、伊東ゆかり、園まり)、「新三人娘」(主に1970年代前半、小柳ルミ子、南沙織、天地真理)と同系統といえよう。
- 山口は1980年、森は1986年に結婚のため芸能界を引退。桜田も1992年の結婚から間もなくして表舞台から去っている。森は2005年の離婚を機に、翌2006年に芸能界へ一時復帰し、13年の間森一人のみ歌手活動等を続けたが、2019年末限りで再引退した。
- 結成して1年後の1974年には、スタ誕でデビューした伊藤咲子・小林美樹・石江理世を、「中三トリオ」の妹分として売り出そうと企画、トリオ名をスタ誕視聴者から公募し、「花の末っ子トリオ」と命名した事が有った。なお石江はその後、同じスタ誕出身者の黒木真由美・目黒ひとみとトリオ歌手「ギャル」を結成、再びトリオ中の一人となった。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 初代グランドチャンピオンとなった森はデビュー曲『せんせい』がヒットし、桜田と山口はスタ誕でのスカウト数がそれぞれ25社、20社と合格者の中でも特に多かった。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 週刊現代(週刊現代Specaial) 2018年1月2日発売「熱討スタジアム/「スタ誕」が生んだアイドル「花の中三トリオ」を語ろう 」 - ホリプロ代表堀威夫、経済学者の田中秀臣、元日本テレビディレクター吉岡正敏の3人による回顧記事。