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プリモジュ・ペテルカ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
獲得メダル
男子 スキージャンプ
オリンピック
2002 ソルトレークシティ ラージヒル団体
FISノルディックスキー世界選手権
2005 Oberstdorf ノーマルヒル団体

プリモジュ・ペテルカ(Primož Peterka 、1979年2月28日 - )は、スロベニアリュブリャナ近郊プリカニツァ (si:Prikrnica) 出身のスキージャンプ選手。スロベニアで最も活躍したスポーツ選手の一人。1997-1998年のスロベニアスポーツマン・オブ・ザ・イヤーを受賞している。

プロフィール

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リュブリャナの北東30キロにある Moravče のスモールヒル (K-20m) でジャンプを始め、クラーニ (kranj) の商業中学校時代はTriglavスキークラブでジャンプを続けた。

W杯へのデビューは1996年1月4日のジャンプ週間第3戦インスブルックで、チームメイトの代役であったが、いきなり8位となって周囲を驚かせた。

このシーズンはポーランドザコパネスウェーデンファルンで優勝し、総合で10位に入った。ジュニア世界選手権ではドイツミヒャエル・ウアマンに次いで銀メダルを獲得した。

翌1996/1997シーズンは彼にとって最高のシーズンであった。スキージャンプ週間で総合優勝を飾るなどシーズン7勝をあげ、ドイツのディーター・トーマを押えてワールドカップ総合優勝のタイトルを獲得した。 2月9日のオーストリア・クルムにおいてスロベニア人として初の200メートルジャンパー(203メートル)となった。しかし約1ヵ月後プラニツァでのフライングでゴラン・ヤヌスが206メートルを飛びスロベニア記録を更新した。

1997/1998シーズンは当初やや不調であったが、シーズン4勝(スロベニア人初のホルメンコーレン大会優勝を含む)をあげ、最終戦地元のプラニツァで日本の船木和喜、オーストリアのアンドレアス・ビドヘルツルらの追撃を振り切って2シーズン連続の総合優勝を果たした。 このシーズンの長野オリンピックではノーマルヒル6位、ラージヒル5位に入賞した。

若くして成功したジャンパーがその後スランプに陥るのはよくあることだが、ペテルカも例外ではなかった。 1997/1998シーズン後に陥ったスランプは深刻なものでおよそ3年に渡って低迷した。 そんな中でも2000年のフライングでは自己ベストの212メートルを記録、これは2年後にロベルト・クラニエッツが222.5メートルを記録するまでスロベニア記録であった。 この間、彼はガールフレンドのRenata Bohinc(1996年Beauty Queen of Sloveniaに選ばれた)と共にクラーニへ移り住んだ(2003年に結婚)。2001年には長男のMajが生まれて心機一転、2001/2002シーズンには一流ジャンパー復帰への手がかりを掴む。ソルトレークシティオリンピックでロベルト・クラニエッツ、ダミヤン・フラス、ペテル・ゾンタと共にラージヒル団体で銅メダルを獲得(これはスロベニア史上初のオリンピックメダルであった)した。

2002/2003シーズンも調子は上向きとなり、ワールドカップで2勝をあげ、総合7位になった。 しかしその後のシーズンはナショナルチームから外されるなど振るわないシーズンが続いている。

2005年、ドイツ・オーベルストドルフの世界選手権ではノーマルヒル団体戦でユレ・ボガタイ、ロク・ベンコビッチ、イエルネイ・ダミヤンと共に銅メダルを獲得した。

2010/2011シーズンをもって現役を引退。

ペテルカに関して2本のドキュメンタリー映画が製作されている。

  • 1997年ベノ・ハバラ (Beno Hvala) による "Vleci, Primož" ("Insist, Primož")
  • 2002年ヴラド・スカファー (Vlado Škafar) による "leto odločitve" ("Peterka: a Year of Decision")

主な成績

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  • オリンピックのスキージャンプ競技・メダリスト一覧
    • 1998 長野 ラージヒル個人 5位
    • 1998 長野 ノーマルヒル個人 6位
    • 1998 長野 ラージヒル団体 10位
    • 2002 ソルトレイクシティ ラージヒル個人 15位
    • 2002 ソルトレイクシティ ノーマルヒル個人 10位
    • 2002 ソルトレイクシティ ラージヒル団体 銅
    • 2006 トリノ ラージヒル個人 34位
    • 2006 トリノ ノーマルヒル個人 30位
    • 2006 トリノ ラージヒル団体 10位
  • 世界選手権
    • 1997 トロンハイム(ノルウェー)ラージヒル個人 13位
    • 1997 トロンハイム(ノルウェー)ノーマルヒル個人 31位
    • 1997 トロンハイム(ノルウェー)ラージヒル団体 6位
    • 1999 ラムソー(オーストリア)ラージヒル個人 36位
    • 1999 ラムソー(オーストリア)ノーマルヒル個人 22位
    • 1999 ラムソー(オーストリア)ラージヒル団体 5位
    • 2003 バルディフィエンメ(イタリア)ラージヒル個人 15位
    • 2003 バルディフィエンメ(イタリア)ノーマルヒル個人 18位
    • 2003 バルディフィエンメ(イタリア)ラージヒル団体 6位
    • 2005 オーベルストドルフ(ドイツ)ラージヒル個人 24位
    • 2005 オーベルストドルフ(ドイツ)ラージヒル団体 4位
    • 2005 オーベルストドルフ(ドイツ)ノーマルヒル個人 32位
    • 2005 オーベルストドルフ(ドイツ)ノーマルヒル団体 銅
  • FISスキーフライング世界選手権
    • 1998 オーベルストドルフ(ドイツ)個人 6位
    • 2002 ハラコフ(チェコ)個人 12位
    • 2004 プラニツァ(スロベニア)個人 31位
    • 2004 プラニツァ(スロベニア)団体 6位
    • 2006 クルム(オーストリア)個人 26位
    • 2006 クルム(オーストリア)団体 5位
  • スキージャンプ・ワールドカップ
    • 総合優勝2回 (1996/1997, 1997/1998)
    • 通算15勝(2位10回3位7回)
  • スキージャンプ週間
    • 総合優勝1回 (1996/1997)
  • ホルメンコーレン国際スキー大会
    • 優勝1回(1998年)

外部リンク

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