プロジェクト‐ノート:アウトリーチ/ウィキペディアタウン

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コツ[編集]

掲載誌を確保しておく
文化財ではなく文化施設などを執筆対象とする時は、複数の掲載誌を確保しておくといい。「資料が欲しい」だけでは、パンフレット等の自己出版物しか出てこない。「掲載誌が欲しい」と言いましょう。--Akaniji会話2014年1月26日 (日) 03:53 (UTC)[返信]

集会所[編集]

らっこさん、お疲れ様でした。赤レンガ倉庫が大変だったみたいですね。もしかしたら、現状の記事はこの際無視して、全面改稿(いわゆる「リライト」)しちゃってもいいかもしれませんね。--Akaniji会話2014年2月22日 (土) 22:52 (UTC)[返信]

お疲れ様です。横浜赤レンガ倉庫のガイドツアーにご参加いただいた方々はいずれも編集経験がなく、当日にアカウントを作成されたので、なるべく私が直接手を出さずに、検証する際の複数資料の比較や、その都度質問されたことに応じる、ツアーを通して私が感じた横浜赤レンガ倉庫の百科事典的な特筆すべき要素(歴史的建造物を保ちつつ商業施設展開をしていることそのものが非常に珍しい)を加筆する余地があることなどを中心に進めたために、その場での編集成果に至りませんでした。全面改稿についてもお話はしましたが、編集に慣れてきてじっくり時間をかけたのちの選択肢であるという位置づけでお話をしました。加筆すべきポイントは一か所ずつでも反映させてるほうが編集に対するハードルも低くなると考え、帰宅後に情報を一つだけ加筆しました。これをご覧になって今回の参加者の方が進めてくれることを期待しています。あとガイドのお姉さんがとても可愛かったです--海獺会話2014年2月23日 (日) 01:28 (UTC)[返信]
確かに、全面改稿はハードルが高いかもしれませんね。継続的に書き貯めることのできるように、草稿場所を明示してみました(プロジェクト:アウトリーチ/ウィキペディアタウン#目標と進捗)。赤レンガ倉庫は横浜のシンボルだと思いますので、継続的な目標として据えるに値すると思います。たまに上京すると、都会の女性たちの美しさにときめきますね。--Akaniji会話2014年2月23日 (日) 01:45 (UTC)[返信]

二子玉では、編集競合にかなり悩まされました。今回はウィキペディアタウン下のサブページでの作業を試みましたが、これはあまり良くなかったかも。起稿には利用者サンドボックスを用い、{{工事中}}を貼った標準名前空間で統合・添削の後に工事中タグを外す、という手順が良さそう。途中での出来映え確認は、各利用者サンドボックスを標準名前空間でトランスクルージョンして表示するといいかな。

あと、今回試みた「文献の後付け」は結構良かった印象です。丸写し抑止のための試みでした。思い思いに書けるということで起稿はスムーズに始まりましたし、せっかく書いた文章を消されまいと、文献調査にも精力的に取り組んでもらえました。ただし、これをやるには4つ条件があります。

  1. 起稿時には、文献を見せないこと。
  2. 起稿前に、参加者がメモをとれるような解説をしてくれる人を確保すること。
  3. 文献を知り尽くしている人がいなければなりません(今回は世田谷トラストさん)。
  4. 「文献による裏付けのない情報は私が後で消します」と予め伝え、実際にコメントアウトを実行する必要があります。

--Akaniji会話2014年2月22日 (土) 23:40 (UTC)[返信]

質問[編集]

当該ウィキペディアタウン・プロジェクトについて1点質問(といいますか提言)です。プロジェクトの内容としては、「新規記事の立ち上げ」と「既存記事の拡充」の2パターンの活動があると思うのですが、特に後者の場合、既存記事をこれまで編集してきた編集者に対する配慮は十分に考慮されているでしょうか。

一編集者に記事の所有権は無いとする方針は認識していますが(Wikipedia:記事の所有権)、一方で既存記事の記述にはある程度配慮をする必要があるとも認識しており(Wikipedia:編集方針#記事の改善を試みて下さい、但し慎重さも忘れずに, Wikipedia:ページの編集は大胆に#ただし、配慮を忘れない)、その点で、初めて活動される方々が大挙して既存記事を大幅に編集をするシステムで必ずしも「当該記事の質の前進」が図られているだろうか、と考えてしまいます。あと一編集者としての感想ですが、ウォッチリスト上で突然大挙して編集がなされるので、まずびっくりします。そしてそれがウィキペディアタウン・プロジェクトであることに気付くと、今度は既編集者としてその編集内容をどうしたものかと悩みます。なぜならば、例えば(さすがに特筆性の薄い記述だと思っても)プロジェクトで実施されたものを無碍に扱うのには抵抗があり、また、その対応として当該アカウントと対話を試みようと思ってもその多くがプロジェクト後に活動を停止してしまうからです。

もちろんプロジェクトのシステムが成熟して、参加者の方々が編集後も記述内容に一定の責任を持って頂く等であれば別ですが、このまま進むと色々な既存記事で既編集者との軋轢が生じてしまうように思いますので、失礼ながら書かせて頂きました。プロジェクト自体については推進者の皆様方に敬意を表します。--Saigen Jiro会話2017年4月9日 (日) 15:57 (UTC)[返信]

コメントこんにちは。「新規記事の立ち上げ」と「既存記事の拡充」について、ですね。
おおむね、企画者は新規記事の立ち上げを好みますし、加筆は新規よりも既存の記述にあわせる必要があるため難易度が高く、元があまり大きくない記事や、出典をつけることを主眼とした編集以外では、既存記事の拡充は、あまり行われていないように思います。
編集する記事については、まず特筆性の問題があるので、できるだけ事前に相談するようにしています。加筆の際の「配慮」については、個々の編集内容によるものですから、個別に対応するような感じで進めています。今ある記事は無視しちゃっていいんですか、いやそれはーみたいなやりとりはしたことあります。
「当該記事の質の前進」については、それがマイナスに働いたものがあれば、ご掲示ください。初回のインド水塔ほかから今回の新規記事長塚古墳 (沼津市)まで、初めて編集する人たちで作った記事として、おおむねウィキペディア日本語版の質としては、水準をクリアしていると捉えています。また、高尾山古墳は、スタブ以上の記述がある記事への加筆ですが、差分[1]をみると、質的には前進していると思いますし、配慮はなされていると思います。柳窪 (東久留米市)は、ウィキペディアタウンへの参加者が後に独力で加筆した記事です。
ウォッチリスト上で突然大挙して編集がなされることについて、ぼくが解説をする場合は、同じ場所で同じ記事を編集することはかなり異質な行為であることの説明をしています。参加者の状況によって[2]のようなメッセージをノートに残すこともあります。
プロジェクトでの編集について、どのように扱うかは、その内容にも拠りますが、いろいろな対応があってよいと思っています。最初の伊那・高遠では出典の明記テンプレートが貼られて、参加者が自動で出てくるのか、と、驚く場面がありました。差分を示し[3]、いろんな人が見ていることを解説しました。ウィキペディアはいろんな人が参加しているプロジェクトであり、誰でも編集できるもので、やりとりはノートや会話ページで行うのだということが伝わるというのは、ウィキペディアタウンのプロジェクトにとっては助かります。対応がまずいこともあるかと思いますが、WP:BITE感じでお願いできれば幸いです。それもちょっと、ということなら、終了しそうな時間まで放置していただければ、たぶんなんとかします。それでもおかしかったら、継続的に活動しているウィキペディアンが履歴から見つかると思いますので、ご連絡いただければ対応してもらえると思います(当日夜や翌日が土日だったりすると、移動していて対応できないこともありえます)。--Ks aka 98会話2017年4月10日 (月) 01:34 (UTC)[返信]
  • ありがとうございます。完成度低下の点で質が前進したとは必ずしも感じていないところです。「マイナスに働いたもの」の例とすれば、「筑波山神社」で特筆的でない碑文丸々の転載がスマートさを欠いた点([4])、上述の「高尾山古墳」で全体の概略たる概要節が冗長となりスマートさを欠いた点、とかですかね。いずれにしても、「かなり異質な行為」を記事に受けた既編集者の側に関しては、都度都度で対応をして下さいという内容は理解しました。私のようにその状況になんとなく不合理さを感じるならば、対象記事から手を引けばよいのかもしれませんね。
もう1点お聞きしたいのですが、新規・既存に関わらず対象記事は企画者・編集者のどちらが選ばれておられるのでしょうか。昔似たような「Wikipedia英語版の記事を書く」講義を受けたことがあり、その際は編集者たる学生の側で案を出して、「初心者たる自分達でも書ける記事(書く余地が十分にある記事)」を選んだ記憶があります。そのような感じでしょうか。--Saigen Jiro会話2017年4月10日 (月) 05:27 (UTC)[返信]
  • (追記) どなたからもお返事を頂けていませんが続けます。上で対象記事の選定に関する質問をしましたが、これを企画者が実行されているとすれば、企画者の方々が「初心者たる方々でも書ける記事(書く余地が十分にある記事)」と判断されたのだと思います。上述の「筑波山神社」や「高尾山古墳」がそのレベルにあったと私は思いませんが、客観的にそう判断されたのであれば、力量不足の既編集者の側としては承知します(大した記事も書けない既編集者が意向云々を言う方が筋違い、という主旨です)。もし「書ける記事」の判断をしていないのであれば、存在を無視された既編集者の側としては、当該プロジェクトは既編集者を「一 対 多」の状況に陥れる暴力的なシステムだなと認識します。また、もし参加者(編集者)の方々が「書ける記事」だと判断して選定されたのであれば、それは自主性を重んじるWikipediaの理念に叶うものだと思いますから、異議を唱えた私の方が不適切だったと認識します。とはいえ後から熟練編集者の方々が尻拭いをするというのは、プロジェクトの自主性の観点からして何か筋が違うように思いますが。。。
プロジェクト参加者だけの共同作業で終わるのでなく、プロジェクト非参加者の既編集者との共同作業も一層進展するプロジェクトに成熟して頂きたいと思うところです。ただ、現在の成熟度や、「狭く深く」よりは「広く浅く」の方が「モンマスペディア」の例にも近いことを考え合わせて、既編集者の1人としては新規記事の立ち上げの方で活動を広げて欲しいと希望するのが率直なところです。全体的に感想になってしまいましたので、この場ではこれにて失礼いたします。--Saigen Jiro会話) 2017年4月12日 (水) 06:07 (UTC)(追記)--Saigen Jiro会話2017年4月12日 (水) 06:16 (UTC)[返信]
Saigen Jiroさん、こんばんは。今回、沼津で行われたウィキペディアタウンにて、ウィキペディアに関する説明を行った海獺と申します。
私がわかる範囲で回答いたしますと、今回の場合、主催者の方々は書ける/書けない等の判断基準で編集対象を決めているのではありません。趣旨についてはこちらをご覧ください[5]。とてもシンプルに地元の情報を充実させる目的で記事対象が選ばれていることがわかると思います。
さて、私がこのようなイベントで編集のレクチャーを行う際には、ウィキペディアの理念や編集方針を述べた上で、自分がやった編集は後から変えられることもある等、システム的なことについても説明をしております。今回のイベントに限らず誰かが行った編集が好ましくないものであれば、誰でもブラッシュアップできるのがウィキペディアであるということも含めてお話しております。今回の編集について、著しく方針から逸脱しているですとか、不必要な記述が加えられたという印象は私は持ってもりません。Saigen Jiroさん自身は「冗長になりスマートさに欠ける」「特筆性が薄い記述」であると感じていらっしゃいますが、それは編集するのも嫌気がさしてしまうレベルになったということでしょうか? たしかに初心者が行った編集はベテラン編集者から見れば拙い部分があるのはやむを得ないと思うのですが、そのお話から「新規記事の立ち上げの方で活動を広げて欲しい」というようなご希望を出されるのは少し違和感があります。ほとんどの初心者は既存記事の修正から編集を始めるでしょう。そして少しずつ経験を積み新規記事の作成への力を付けて行くことでしょう。イベントの場合はゼロが1になった達成感があるのでレクチャーを受けながら初心者が集まって新規記事を立ち上げることもあります。数時間で新規記事を立ち上げるというハードルと、既存記事に加筆を行うことがどちらがハードルが高いかは単純比較しにくいでしょう。
また「尻拭い」「暴力的」などの語句もウィキペディアの理念とはいささか外れているように感じました。もちろんご自身が今まで編集してこられた記事に誰かの手が入り、それが自分の理想とは違うものだった場合、何か言いたくなってしまう心理は良く理解できます。しかし、上記でKs aka 98さんが提示しております通りWP:BITEにあたるような語句は使わないでいただきたいという想いが私にはあります。誰でも最初は初心者であり、ウィキペディアの作法を守ろうとします。ですので、「当該アカウントと対話を試みようと思ってもその多くがプロジェクト後に活動を停止してしまう」としても「プロジェクトで実施されたものを無碍に扱うのには抵抗」があるとしても、記事の編集について疑問があれば、通常通りノートで提起をし解決をしていただければと思います。--海獺会話) 2017年4月12日 (水) 13:45 (UTC) 補足--海獺会話2017年4月12日 (水) 16:25 (UTC)[返信]
回答をありがとうございます。お考えについては認識をいたしました。--Saigen Jiro会話2017年4月12日 (水) 13:51 (UTC)[返信]

コメントSaigen Jiroさんがウィキブレイクに入られた[6]ようで、その理由がここでの議論にあるのかどうかも定かではないですが、通りすがりとして感想を。

  • 上のやりとりを見ると、私はお二方が「ウィキペディアタウンていうすごく大事なことをやってるんだから、小さなことでゴチャゴチャ文句言うな」と言っているような印象を受けました。「いろいろ面倒かけるけどごめんね許してね」ぐらいのコメントがほしかったなあという感じはします。
  • Saigen Jiroさんは、ウィキペディアの神社や古代史関連記事の第一人者でらっしゃいます。神社に関するWikipedia:良質な記事だけでもおそらく10件。鹿島神宮伊佐須美神社筑波山神社氣比神宮伊古奈比め命神社富士山本宮浅間大社三嶋大社出石神社松尾大社香椎宮と手がけてらっしゃいます。この分野での現役の執筆者のなかで、トップクラスの方と言っていいでしょう。
  • ということは、Saigen Jiroさん以外の全ての執筆者はSaigen Jiroさん以下ということでして、この分野でSaigen Jiroさんを満足させられる水準の記事を書ける現役利用者はほぼいないということです。
  • 私の印象ですが、Saigen Jiroさんはとてもストイックに記事の品質を求める方です。毛野(GA)の良質選考では、主筆者でらっしゃるSaigen Jiroさんご自身が「まだ不足」とおっしゃるにも関わらず、賛成票が集まりGAと認められています。筑波山神社の選考にも、Saigen Jiroさんの考え方がよく表れています。私は個人的に何度かの選考を通じて接する機会がありましたけど、やはりとても堅実なお考えの持ち主という印象を持っています。めちゃくちゃネガティブな言い方をすると、「洒脱をゆるさない」とか「生真面目」とか「厳しい」という域に達してらっしゃる(わざとネガティブな言い方をしましたが、通常、とりわけ「百科事典を作る」という場面ではこれらは美徳であり、欠点ではないはずです)。
  • Ks aka 98さんや海獺さんが大変なベテランでらっしゃることは存じ上げていますが、この分野に関してはSaigen Jiroさんのほうが見識は上でしょう。お二方の見識では「いいと思った」ものでも、Saigen Jiroさんクラスの専門家から見ると「おかしい」ということは有り得る話です。今回のやりとりでは、Saigen Jiroさんによる個別具体的な指摘に対し、お二方が個別の事情を鑑みずに適当な一般論でお茶を濁しているという印象は受けます。
  • 「不必要な記述が加えられたという印象」あたりについて。「筑波(2016-04-24 Wikipedia Town 筑波山)」の話と、海獺さんがおっしゃる「沼津」の話とは別案件なので、そのことで海獺さんに物申すのは筋違いなんですが、例えば筑波山神社駐車場が1時間無料だとか「車通りの多い県道沿いを長く歩く」だとかの情報は、ベテラン執筆者ならば、たとえ出典があっても不要だろう、と考える人は少なくないんじゃないかなーと思います。(この手の情報は、あってもいいという人と、不要だという人と、両方いるでしょうけれど。)天狗党の碑文全文掲載の件なんかも、そこら辺の名もない神社であれば(全文掲載はやりすぎとしても)その神社にとっては重要性の高い情報だということはあるだろうし、筑波山神社クラスの神社になると天狗党がどうしたぐらいのことは些事だ、ということもあるでしょうし、そこらへんは相対的な面があります。
  • 逆に言えばSaigen Jiroさんの側では、他利用者に常にSaigen Jiroさんレベルの活動を求めるというのは難しいことであり(私も自分の得意分野ではやってしまいがちですが)、多くの利用者はSaigen Jiroさんの域に達していないのであり、体験入門者(初心者ですらない)に対しては大目に見るというか、寛容さを発揮なさると、なお良かっただろうと思います。
  • そこらへんを大袈裟に言うと、記事の品質を多少犠牲にしてでも新規利用者を大事にする、とでもいいましょうか。両方大事にできるのが理想的ではあるのですが。しかし、いまの「良質選考」なんかでは、そのちょっとで批判されちゃったりするわけで、いま現役でGA水準の記事を執筆している人達が苦労して(Saigen Jiroさんのように、ときには良質選考自体をストレスに感じてらっしゃる)いるわけです。既にGAだった筑波山神社がウィキペディアタウンで弄られることについて、苦労してGAにした主筆者がどう感じるのか、Ks aka 98さんや海獺さんのような大ベテランの方々ならではの心配りが欲しかったなと思います。
  • 「プロジェクトで実施されたものを無碍に扱うのには抵抗を感じる」というのはわかる気がします。せっかく新しい取り組みをしているのに、そこでちょっとぐらい「お客さん」が不適切な編集をしたからといってクレームつけるのは、クレームつけるほうが悪なんだぜ、みたいな無言の圧力を、勝手に感じてしまうような。Ks aka 98さんや海獺さんにはそのつもりはなくても、お二方が名前を出してその監督下で行われた一連の編集は、お二方のお墨付きの編集なんだぜ、みたいな。勝手な印象にすぎないんでしょうけれど。
  • 今回は、そういう「ウィキペディアのなかでもトップクラスで真面目に記事に取り組んでいるSaigen Jiroさん」と、「お客さんを迎えて新しい取り組みをしている側」との間でギャップが生じてしまった感はあります。「記事の品質を高める」を重視するのと、「利用者の裾野を広げる」との、指向性の違いという風にもうけとれます。決してどちらが悪いということでもないのですが、もしも結果としてこの件でSaigen Jiroさんが意欲を失ってしまったのだとしたら、残念なことです。決して非難するわけではないけれど、100人の体験入門者を集めようとして、1人の優秀な書き手の意欲を失わせたのだとすると、それはやっぱり失敗(不測の事態、想定外とはいえ)であり、反省すべきところはあるでしょう。
  • Halowandさんのこの編集は、この件を念頭においての追加なのかな、という感じもします。主催されている方々はKs aka 98さんや海獺さんをはじめ、ウィキペディアを代表するベテランでらっしゃっるわけで、ここらへんの「既存の記事」「既利用者への配慮」についてもそれ相応にベテランらしい配慮をしてほしいなと思います。--柒月例祭会話2017年5月12日 (金) 09:32 (UTC)[返信]
2点についてのお返事を書きます。
まずSaigen Jiroさんが明示していらっしゃる"上述の「高尾山古墳」で全体の概略たる概要節が冗長となりスマートさを欠いた点"という部分について編集履歴をご覧いただくとわかると思うのですが、3名のベテラン執筆者が当日に手を入れています(のりまきさん、Aboshiさん、Iwai.masaharuさんです。Iwaiさんは当日ご参加をしていないので別の場所から個人の意思で編集参加くださっています)。つまり「そこまでの編集をなさったベテラン執筆者であるSaigen Jiroさん」と「ウィキペディアタウンでの編集初心者」という比較ではないことがわかります。もちろんイベント上での編集ということでその場での文献資料をもとに限られた時間で編集を行うのですから、ベテラン執筆者が本来の実力を発揮できるという状況ではないかもしれません。ただ、私がイベント前と後の当該項目を見ても著しく質が低下したという感想はないですし、ベテラン執筆者が実際に編集し、またリアルタイムで見ている中で行われた編集が、それまでこの項目を執筆していた方の気分を害するものであるという認識は(少なくともこの差分[7]では)持てていません。またのりまきさんはこの分野にも長けており、実績のある執筆者であると理解しております。するとSaigen Jiroさんが感じた不満は何に対するものだったのだろうか、と私は思ってしまうのです。
実際に私が参加をしていないウィキペディアタウンで編集された記事に関しては、つまり今回のケースですと「高尾山古墳」に関する指摘以外の部分については編集経緯や配慮などについて回答できる立場ではありません。
次に主催についてですが、名指しされている私及びKs aka 98さんはウィキペディアタウンを主催をしているわけではないのです。ほとんどの場合、主催者の方に請われてウィキペディアについての説明や編集方法などのお話をしに行っています。主催者の方の開催目的を超えてでしゃばることはないです。ただ、その場にいてウィキペディアについての質問を受ける立場の者として、個人的には一定の配慮をしながらウィキペディア側の人間としてイベントを見守っているつもりではおります。ご理解いただければ幸いです。--海獺会話2017年5月12日 (金) 15:16 (UTC)[返信]
さすがにこのあたりで私なりの見解を述べなければならないと思いますので、経過・ご意見等、書かせていただきます。当日は高尾山古墳の記事については私が主に説明・取りまとめを行いました。当日参加された皆様はWikipediaは初心者ですが、古墳についての一定レベル以上の知識はあり、あと、wikipediaで欠かせない中立性の理解についてもかなり高いものがありました。一例をあげると高尾山古墳は道路工事と保存を巡り、かなりの期間大きな問題(現在も解決していません)経緯があり、古墳記事を書くとなるとどうしても保存寄りにウエイトがかかったものになりがちなのですが、実際地元では古墳保存よりも道路建設が重要であるとの声も少なくなく、このあたりの経緯を一方の見方に偏ることなく、参考文献に基づき経過を記述していく必要性について説明させていただき、皆様からのご理解を得ました。実際のそのあたりの執筆はAboshiさんの労作で、加筆の結果、かなりレベルが高い記述になっていると思います。
また、高尾山古墳本体の記事加筆については、まず古墳記事として欠けていた必要不可欠な情報の加筆を第一とすべきことを説明しました。古墳記事にとって葺石・埴輪の有無は必要不可欠な要素です。これはこれまでの記事の主執筆者であるSaigen Jiroさんの怠慢ではありません。最近(2015年)公刊された文献で初めて確認できることです。そのため、新たに公刊された信頼できる文献資料をもとに必要情報を追加するという、通常、wikipediaで行われている作業を参加された皆さんに説明して、加筆していただきました。
その他の加筆ですが、参加された皆さんが古墳に対する一定の知識がある方たちでしたので、皆さんのご意見を参考にしながら記述を進めました。正直、私でしたら高尾山古墳の被葬者説については書きません(笑)これは私が古墳の被葬者論にどちらかというと冷やかであるという、私なりのスタンスの問題です。しかし信頼できる参考文献に明示されている内容を書くなというのもおかしな話です。参考文献をもとに出典を明示してきちんとした記述を行っていくという説明を行いながら、作業を進めました。
それにして現状の記事の内容が整理しきれていない感があるのは確かだと思います。これには二つの大きな理由があります。まず問題は古墳の位置づけについて、考古学者の間で大きな意見対立があることです。そのため発掘調査報告書の考察は各論併記という異例な形を取っています。私は百家争鳴ともいう状況の考古学者の各論について紹介した文献は入手しました。しかしもう一つ、考古学者自身がこの百家争鳴状況をある程度交通整理した論文もあるのですが、これが相当な入手困難文献(一部の大学図書館にしかなく、国立国会図書館にはありません。なお、静岡県考古学会が取りまとめていますので文献には問題はないです)で、現在のところ入手できていません。高尾山古墳の文献は極めて人気が高く、専門書の多くは入手が困難です。これは3世紀史において専門家の間では高尾山古墳がある意味エポックメーキングとなると判断されているため、文献はどれもあっという間に売れてしまったそうです。またこの専門家から見た重要性が古墳の保存運動と強くリンクしているのですが……
もう一つ問題なのは2014年の追加発掘調査の報告書が未刊なことです。これは追加調査等古墳の発掘調査の方針が、どうしても古墳保存問題とリンクしてしまい(古墳を保存するのと壊すのとでは、発掘調査の方針、やり方が全く異なってしまうのは想像できるでしょう)なかなかまとめに入れないようです。追加調査の内容は極めて重要な点が多数あるのですが、そのあたりの記述が現状では困難です。私も参考文献がある程度納得できる程度揃った段階で、記事の大幅加筆についてノートで提案の上、やり方をSaigen Jiroさんらと詰めていきたいと考えていたのですが、ウィキブレイクのお話にびっくりしているところです。
あえて言うならば高尾山古墳は華がある題材です。否が応でも多くの人たちの興味・関心を惹き続けていきます。そのような題材ですから、高尾山古墳の記事執筆を通じてwikipediaの記事執筆に興味、関心を持っていただき、すそ野を広げることができると感じております。皆さん、ウィキペディアタウンとともに高尾山古墳の記事にも少し長い目で見ていただけると幸いです。--のりまき会話2017年5月13日 (土) 02:56 (UTC)[返信]
返信 お二方へ。コメントありがとうございます。
(とくに海獺さんへ)ご説明はよくわかりました。私は横から口を挟んだだけの立場で、「私なりの推測」で物を言っていますので、Saigen Jiroさんのお考えとは違うかもしれません。そこは「外野が騒いだ」という感じで、申し訳なく思います。
とりわけ「古墳」については私には何かコメントできるだけの見識もなく、Saigen Jiroさんが何をどう問題視されたのかは、私には推測も代弁もできておりません。高尾山古墳に関しては、Saigen Jiroさんが「マイナスに働いたもの」「かなり異質な行為」と表現されたほどの何かは、私にも読み取れませんでした。海獺さんがおっしゃる「気分を害するものであるという認識は持てていない」「不満は何に対するものだったのだろうか」については、私も同じような認識です(でした)。のりまきさんのコメントを読むまでは。
のりまきさんのご説明は、高尾山古墳の記事の内容に具体的に踏み込んだお話になっているので、とてもわかりやすく思いました。のりまきさんの解説を読んだ上での私の感想を書きます。なお、私は古墳についてはスーパード素人であることを申し上げておきます。
高尾山古墳の記事を見た限り、この古墳の重要性とか位置づけというようなものが、私にはほとんど読み取れておりませんでした。「華がある題材」「(文献が)極めて人気が高い」「エポックメーキング」という位置づけにあるとは存じ上げませんでした。どちらかというと、日本中にいくらでもあるそこらへんの遺跡、道路工事で見つかってサクっと潰されちゃう程度のもの、ぐらいのマイナーな主題なのかなと。
私はスーパード素人なので全くわかっていませんでしたが、この主題に詳しい方から見ると、重要でホットでビッグで難しいテーマだということなのでしょう。のりまきさんの解説を読んではじめて、Saigen Jiroさんが初めの方でおっしゃっていた「対象記事は誰が決めているのか」「なにをもって初心者でも書ける主題だと判断しているのか」という問題提起がようやく理解できたように思います。BITEはアカンというのはその通りなのですが、専門分野の重要記事にシロウトがやってきて瑣末なことを書き散らしたらイラッとする、という感情はよくわかる気がします。のりまきさんの解説がなされるまで、私はそこらへんの事情状況をよくわかっていないまま発言していたという風に思います。
一方で、のりまきさんの解説により、参加者は「ドシロウト」ではなかったということもわかりました。そこらへん、思い込みや決めつけがあったかもしれませんね。日付をみると4月9日から12日までの数日間でやりとりが終わってしまっています。もうちょっとゆっくり意見交換ができればよかったかもしれませんね。--柒月例祭会話2017年5月13日 (土) 05:32 (UTC)[返信]
柒月例祭さんが得意な分野で説明いたしますと、高尾山古墳はG1レースで複数回勝っている馬クラスだと思っていただけると良いかと。今後の調査研究の成り行きでは顕彰馬も夢ではないかもしれません。そのくらい重要視されています。私も当初、なぜ高尾山古墳の加筆にチャレンジしたのか不思議でした。参加してみて当たり前のことに気づかされました。テーマとして断然面白く、やり甲斐が出てくるのです。参加された方々は古墳についてある程度知っておられたので、なおさらのことでしょう。高尾山古墳をテーマに選んだ理由は、参加者が興味関心を持っているテーマを、それぞれが出来る範囲で充実させていくという、ウィキペディアではごく当たり前のことだったとわかりました。
当日は私なりに、今後の記事構成についての方向性を見据えながら加筆へ向けての種を蒔くように心がけてみました。例えば古墳の立地状況、そして古墳時代から現在までの土地利用、中でも神社建立との関わりは、古墳の現状を説明するのに不可欠な情報となります。当日参加された皆さんは地元の方々です。古墳が築造され、そしてどんな歴史的な意味があるのかという通常の古墳記事の要点に加えて、古墳がどのような歴史的経過を経て今に至っているのかということに強い関心を持っておられました。これはとても良い視点です。古墳は築造後、近現代になって学問的関心を持たれるようになるまでの間に、様々な歴史的変遷を経てきています。見落とされがちな視点なのですが重要なことで(古墳によっては戦国時代、城として使われたり、周濠がため池として使われる例などもあります)、高尾山神社も沼津の地元では信仰を集めた神社が建立されます。このように実際、ウィキペディアタウンに参加して学ぶことも多いと感じています。
今回のウィキペディアタウンでは古墳の重要性についてしっかり書き込む段階までは至りませんでした。どうしても時間制限がありますので、なかなか踏み込んだ記述まで成長させていくのには課題があります。それに高尾山古墳の場合、大きな発見であるということ自体は考古学者の間では共有されているのですが、まだまだ評価が定まっていません。これをそれなりの形へとまとめていくのには徹底した資料集め、相当の力量と時間を要します。
あと、それをやってしまうとSaigen Jiroさんが努力され、組み立ててきた記事の枠組みを大きく崩すことになります。まだ十分な資料を集めきれていないうちに、私としてはそのような大幅加筆を行うことを躊躇していた経緯もあります。でも、高尾山古墳の場合、記事の充実を図っていく中でやらないわけにはいかないんですよね……道路工事に関する紆余曲折を繰り返している経緯も、古墳の重要性と絡んできて……難しいテーマであることは確かです、しかし数ある古墳記事の中でも最も魅力あるテーマの一つで、繰り返しになりますが、ウィキペディアへの関心を高め、すそ野を広げて行くためには格好の材料であったと感じております。--のりまき会話2017年5月13日 (土) 06:18 (UTC)[返信]

コメント (インデント戻します)色々とお騒がせをしたようです。言うことを言って否定されれば引く質ですが、理解されていなかったのであれば問題だったようですので、少し補足します。

  • そもそもですが、私が問題としたのは、同じ場所で同じ記事を大量編集する行為(= かなり異質な行為)が既存記事に向けられることであって、編集者が初心者か否かは問題としていません。その点でWP:BITEは筋違いです。
  • 私の主旨は「既編集者が不満を感じなければ可」ということではないのですが、不満を感じた点が分からないという発言がありましたので念のため書きます。冒頭で述べました通り、私が特に問題視したのは、「筑波山神社」では特筆的でない碑文丸々の転載がスマートさを欠いた点、「高尾山古墳」では全体の概略たる概要節が冗長となりスマートさを欠いた点、です。「筑波山神社」の方に関しては異論が無いようですが、「高尾山古墳」の方に関しても私は「これは「全体の概略」たる概要の文章ではない」と信じています。俗伝承に終始する神社記事や、発掘調査物語に終始して結局古墳内容が分からないエッセイ古墳記事が散見される現状において、これまで、神社記事では情報の慎重な取捨選択、古墳記事では古墳内容を把握出来る概要の執筆を特に注意して一定の学術レベルを担保すべく活動してきたつもりです(出来ているかは別として)。ただ、これら私が大事にしてきたことについては先に「手を引くほどのものではない」旨で否定されましたので、私の尊厳は大分揺らいでいます。あと、「高尾山古墳」の大幅加筆を考えているということですが、先に申し上げたとおり対象記事に私が手をつけることはありませんから、ご自由になさって下さい。
  • 私の主旨を明確にしますが、要は、1つ1つの記事には体裁・文脈等において各編集者の(時には長時間かけた)意向・秩序が存在しており、私も既存記事に手をつける時(既編集者の縄張りに踏み込む時)には記事内容を把握して極力意向を尊重するよう臨んでいますが、当該活動では短時間での加筆有りきということもあってかその意識が感じられなかった、ということです。元来私は記事さえ書いていれば満足する人間で、記事群が秩序だっていることこそが百科事典としての質・美と感じて神社記事・古墳記事各3ケタ程度を書いてきましたが、1つ1つ秩序を形成しても、新しい秩序に塗り替わるならいざ知らず一過性の大波で1つ1つ崩れていくのかと考えると、怒りと虚無感しか残りません。実際胃も痛めてしまいましたし。。
  • 最後に、WP:BITEとして初心者が押し出されたかと思えば、編集内容の担保として実績のある執筆者が押し出されたり、また格好の材料と表現されたりというところは、プロジェクト側のご都合主義な話だという印象です。私の方の「都合」も多少は申しましたが、自分の愛着ある記事が活動対象になっていない方、ましてや愛着ある記事を持たない方には分からない感覚だと理解しています。むしろ私にしか生じない感覚なのであれば、私が去って丸く収まるに越したことはありません。議論も落ち着いたようですし、特に議論の進展は期待しませんので、今後私のような者が現れるのを気長に待つことといたします。

以上です。色々と失礼はあろうかと思いますが。柒月例祭さん、小生のために骨を折って下さりありがとうございます。--Saigen Jiro会話2017年6月3日 (土) 20:36 (UTC)[返信]

要望[編集]

Qurren会話)と申します。ウィキペディアタウンに関して1点要望がございます。「最低でも参加者のうち1名は、成果物である記事を時々でいいのでチェックして欲しい」というものです。

当方、地元長野県に関する記事を作成もしくは編集などをしており、先日「伊那森林鉄道」なる記事が作成されたのをお見かけし、参考文献と合わせて興味深く拝読いたしました。ところが、おかしなことに出典とされているどの文献を参照しても「伊那森林鉄道」というキーワードが見付からないのです。伊那森林鉄道という言葉を一体どこから拾ってきたのかお尋ねしたく、ノートページへの記入、告知テンプレートの貼付、初版投稿者への呼びかけなどをしてみましたが、何の反応もありませんでした。編集に関わった方々は全員、イベント終了と同時にウィキブレイクされてしまったようです。wikifyされていないスタブ({{Rail-substub}}が貼付)を放置するのもどうかと思い、ノートページで再構成を提案後、2週間ほど様子を見、異論なしということで、「浦森林鉄道」・「黒河内森林鉄道」の2記事構成とさせて頂きました。編集に関わった方のうち、お1人からでもコメントを頂戴できれば話が早いのに…ともどかしく感じております。1年ほど前、「溝口露頭」で丸写しを指摘した際は、参加された1名の方からコメントを頂けたので、話が早く進んだと記憶しております(Wikipedia:削除依頼/溝口露頭)。「自分の作ったスタブに幾らかの責任を持つ」(Wikipedia:スタブ)というのを、参加者1人1人、心の片隅に置いて頂ければと願っております。

…もっとも、主催者に電話やメール、SNS等で直接問い合わせれば済むと言われてしまえばそれまでなのですが、そこまで意欲的、積極的にはなれません。素性を公にしたくないというのが正直なところですけれども。--Qurren会話2017年6月10日 (土) 11:25 (UTC)[返信]

ショートカット作成[編集]

PJ:WTOWN 」を作成しました。対外的にページを紹介するときなど、今までなかなか説明がしづらかったので。併せて「 PJ:OUTREACH 」も作成しました。--海獺会話2017年7月6日 (木) 14:31 (UTC)[返信]

リクエスト[編集]

特定のイベントに一利用者の立場でリクエストを出せるものなのかどうか、主催者さんの考えや意向もあるでしょうから、無理筋かもしれませんがいちおう。

アーカイブの分割提案[編集]

アーカイブがかなり増えてきたので、プロジェクト‐ノート:アウトリーチ/ウィキペディアタウン/アーカイブで分割(サブページ化)を提案しました。--miya会話2017年12月22日 (金) 15:08 (UTC)[返信]

関連議論[編集]

Wikipedia‐ノート:オフラインミーティングにて、エディタソン系のイベントが増えてきたため、そちらをプロジェクト:アウトリーチのサブページなどに移して整理する提案を行っています。興味のある方は議論にご参加ください。--さえぼー会話2019年11月15日 (金) 08:48 (UTC)[返信]

ウィキペディアタウンサミットに関する実態調査のお願い[編集]

Wikipedia 20 in JAPAN」を2021年1月に開催する計画を進めています。その中のプログラム「ウィキペディアタウンサミット 2021」では、各地で開催されているウィキペディアタウン、エディタソンの関係者より情報を集め、交流をしたいと考えています。こちらにいらっしゃる皆様が関わっているウィキペディア関連イベント、プロジェクトの情報を次のフォームよりお寄せください。複数のプロジェクトがある場合は、プロジェクトごとにお答えいただけると幸いです。 実態調査(Google フォーム)--Araisyohei (talk) 2020年9月22日 (火) 12:22 (UTC)[返信]