ヘンリー・ローズ
ヘンリー・ローズ Henry Lawes | |
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生誕 |
1595年12月5日 イングランド、ディントン |
出身地 | イングランド |
死没 |
1662年10月21日(66歳没) イングランド、ロンドン |
職業 | 作曲家 |
ヘンリー・ローズ(英: Henry Lawes, 1595年12月5日 - 1662年10月21日)は、イングランドの音楽家、作曲家。
ローズはウィルトシャーのディントン(en:Dinton, Wiltshire)で生まれ、当時の有名な作曲家、ジョン・コプラリオことジョン・クーパーの下で音楽の勉強をした。1626年、「チャペル・ロイヤルのジェントルマン(Gentlemen of the Chapel Royal)」に選ばれ、イングランド共和国が教会音楽をやめさせるまで、その地位にあった。しかしその後もローズは作曲家としての仕事を続け、1653年には有名な声楽曲集『Ayres and Dialogues for One, Two and Three Voyces(1声、2声、3声のためのエアーとディアローグ)』を、さらに同じタイトルでもう2冊、1655年と1658年に出版した。1660年のイングランド王政復古でローズはチャペル・ロイヤルに復職し、チャールズ2世の戴冠式のためのアンセムを作曲した。ローズは死後ウェストミンスター寺院に埋葬された。
ローズの名前が音楽界を越えて広く知られるようになったのは、友人のジョン・ミルトンのおかげである。ローズはミルトン作の仮面劇『コーマス(Comus)』のための劇付随音楽を作曲し、それは1634年に初演された。ミルトンはその御礼に、有名なソネットで友人ローズの名を不滅のものにした。ミルトンはその中でローズのすばらしい長所を叙述した。ちなみにミルトンの音楽に対する理解は、詩人の中でも非凡なものがあった。詩の中の言葉に対する繊細な注意、言葉から自然に育ったように見える曲の様式、韻律のアクセントと曲との完璧な一致——そのことから、ローズの歌曲をロベルト・シューマンのレベルにあると見なす者もいる。ローズは本物の旋律の発明の才に欠けていなかったと同時に、合唱用に編曲されたものも対位法の熟練した使い方を示している。
弟のウィリアム・ローズも同じく作曲家である。
参考文献
[編集]- この記事にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Lawes, Henry". Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 16 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 300.