コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ペギー・リプトン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ペギー・リプトン
Peggy Lipton
Peggy Lipton
1968年~69年頃撮影
テレビ番組 『モッズ特捜隊』提供の宣伝写真
本名 Margaret Ann Lipton
生年月日 (1946-08-30) 1946年8月30日
没年月日 (2019-05-11) 2019年5月11日(72歳没)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
職業 女優・モデル・歌手
活動期間 1965 - 2019
配偶者 クインシー・ジョーンズ (1974 - 1990)
著名な家族 キダーダ・ジョーンズ
ラシダ・ジョーンズ
主な作品
『モッズ特捜隊』
テンプレートを表示

マーガレット・アン・“ペギー”・リプトンMargaret Ann "Peggy" Lipton1946年8月30日 - 2019年5月11日[1])はアメリカ合衆国女優で元モデル。たちまちの間に成功を収め、カウンターカルチャーテレビ番組モッズ特捜隊』(1968年9月 - 1973年3月)のフラワーチャイルド、ジュリー・バーンズ役で最も知られている。

デヴィッド・リンチのシュールの『ツイン・ピークス』のノーマ・ジェニングスとしての人気役以来、多数のテレビシリーズに主演しており、リプトンはテレビ映画ステージで40年以上のキャリアがある[2]

ミュージシャンプロデューサーであるクインシー・ジョーンズと結婚した。二人の間には2人の娘、ラシダ・ジョーンズキダーダ・ジョーンズ英語版フランス語版がおり、二人とも女優である[2]

幼少期と教育

[編集]

1946年8月30日ニューヨークで生まれたペギー・リプトンは中流上層階級のユダヤ人家庭で裕福に育てられた。両親は法人顧問弁護士の父、ハロルド・リプトンとアーティスト(画家)の母、リタ・ベンソンである[3][4]。父方の祖父母はロシア系ユダヤ人で、母親は、東欧から移住したユダヤ人の両親の間にアイルランドダブリンで生まれた[5][6]。リプトンは、後に俳優となった兄のロバートと、ケネスと一緒にロングアイランドで育った。彼女は、ローレンス・ジュニアハイスクールとプロフェッショナル・チルドレンズ・スクール英語版で学んだ[7]

叔父の性的虐待により[8]、リプトンは神経質で内気な子供であった。時に自分の名前を言う妨げとなるどもりがあった[9]1964年、家族はロスアンゼルスに転居した。そこでペギーはトパンガ・キャニオン・ヒッピーとなり、瞑想ヨガに没頭して、ライスケーキカッテージチーズで暮らしていた[9]

少女時代、アラン・フリードマレイ・ザ・K“ジョッコ”・ヘンダーソンなどがDJを務めるニューヨークのラジオ番組から流れるドゥーワップロックンロールR&Bを聴き、ブルックリン・パラマウント・シアター英語版にアラン・フリードのR&Rショーを観に行っていた[10]

キャリア

[編集]

父親がニューヨークでの初めてのモデルの仕事をアレンジし、母は一方で演技のレッスンを受けることを勧めていた[9]。15歳の時にフォードエージェンシー英語版フランス語版のモデルとなり、初期の成功的なキャリアに恵まれた[4]

1964年、両親と共にロサンゼルスに転居後、リプトンはユニバーサル・ピクチャーズと契約を結んだ。19歳の時にNBCのホームコメディ、『ジョン・フォーサイス・ショー』(1965年)でテレビデビューを果たした[11]1965年から1968年の間に、次のシリーズのエピソードに出演した:『奥様は魔女』、『バージニアン』、『インベーダー』、『The Road West』、『FBIアメリカ連邦警察』、ウォルト・ディズニー『Willie and the Yank』、『アルフレッド・ヒッチコック・アワー』、『ミスター・ノヴァック』。リプトンは『モッズ特捜隊』でスターへの地位を高めた。浮浪人のように無防備に主演し、デイヴィッド・ハッチングスが書いたように[4]、折れた翼を持ったジュリー・バーンズのカナリアとしての演技で、役柄を演じている間にエミー賞に4部門、ゴールデングローブ賞で4部門にノミネートされた。1971年、ゴールデングローブ賞ドラマ部門で最優秀女優賞を獲得した[4]。スリム、長いストレートのアッシュブロンドヘア、ミニスカートベルボトムビーズが好き、リプトンのジュリー・バーンズ役はファッションアイコン、そして時のヒッピーガールとなった。

歌手として

[編集]

歌手としての成功にも恵まれ、ビルボードチャートにシングル3曲がランクインした:「ストーニィ・エンド」(1968年にホット100の下の121位にランクイン、後の1970年バーブラ・ストライザンドの歌唱でヒット)、そして「Lu」(1970年)。両曲ともローラ・ニーロにより書かれた曲である。「Wear Your Love Like Heaven英語版ノルウェー語 (ニーノシュク)版」(1970年)はドノヴァンにより書かれた。「ストーニィ・エンド」は1968年発売のアルバム『ペギー・リプトン』オード・レコード英語版)に収録されており、他のシングル曲と以前の未発表曲(全19曲)と共にリアルゴーン・ミュージックより2014年7月29日CD化、発売された。リプトンは、フランク・シナトラ1984年のヒット曲『L.A. Is My Lady英語版』の共同作曲家の一人として載っている。アルバムの制作費はリプトン曰く15万ドル。これは新人歌手の制作費としては破格と言える。因にキャロル・キングのアルバム『つづれおり』(1971年)の制作費は僅か1,5000ドル、ザ・シティの『夢語り』はさらに低予算だったと思われる[10]

アルバム『ペギー・リプトン』には彼女の作詞作曲作品の他、キャロル・キングローラ・ニーロらの作品が収録された。

結婚と家庭

[編集]

1974年ミュージシャン音楽プロデューサーであるクインシー・ジョーンズとの結婚後、リプトンは家庭に専念するために女優業を休止した。二人の間には2人の娘、ラシダ・ジョーンズキダーダ・ジョーンズ英語版フランス語版がおり、いずれも女優である[12]

リプトンは、異人種婚により一緒に旅行に行くと、時に問題が起こったことについて述べている。リプトンは1986年にジョーンズと別居後、こう語った。

“素晴らしい結婚生活だったけど、もう終わり。演技をすることは私が一番よく知っていること。私は本当にとっても子供が欲しくて、両立することができないって分かっていたの。”

1990年、二人は離婚した[13]

女優業への復帰

[編集]

1988年、リプトンは女優業に復帰した。人気のテレビシリーズ、『ツイン・ピークス』(1990年 - 1991年)でノーマ・ジェニングスとして演技をアピールした。以来、『Crash and Popular』での定期出演など、多数のテレビ・ショーに出演している。

私生活

[編集]

リプトンのモデルとしてのキャリアと『モッズ特捜隊』での瞬く間の成功で、ポール・マッカートニーテランス・スタンプ、その弟のクリス、キース・ムーンエルビス・プレスリー他、多くの有名人の関心を集めた[14]60年代後半から70年代初めにはアルコール依存虐待、または既婚男性ばかりと関係を持っていた。この時期、彼女も薬物を使用していた[15]。リプトンはデイヴィッド・ダルトンココ・ダルトン共作である回想録、『Breathing Out』(2005年)で当時のことを語っている。2004年結腸癌を患い、その治療をしたことも明らかにした[16]2003年に交際を開始したニューヨーク州監査官のチーフ、ジャック・シャルティエはリプトンに9万ドルまで年金基金を内密に送金して、リプトンの賃貸費用と医療費の手助けをした。リプトンの娘のひとりが、別で44,000ドルの年金基金を投機的事業に投資した[17]

がんと闘病の末、2019年5月11日死去[1]。72歳没[18]

フィルモグラフィー

[編集]
  • 『Mosby's Marauders』(1967年)- オラリー・プレンティス
  • 『ブルー』(1968年)- ローリー・クラマー
  • 『A Boy...a Girl』 (1969年)
  • 『ウォー・パーティ』(1988年)- TV担当
  • 『ゴールデン・ヒーロー 最後の聖戦』(1988年)- クレジット無し
  • 『Purple People Eater』 (1988年)- ママ
  • 禁じ手』 (1989年)- キャサリン・クロウ
  • 『Fatal Charm』 (1990年)- ジェーン・シムズ
  • 『トゥルー・アイデンティティー』(1991年)- リタ
  • 『ツイン・ピークス:ローラ・パーマー最期の7日間』(1992年)- ノーマ・ジェニングス
  • ポストマン』(1997年) - エレン・マーチ
  • モッド・ スクワッド』(1999年) - ジュリー・バーンズの叔母
  • 『インターン』(2000年)- ロクサーヌ・ロシェ
  • 『誘惑の接吻』(2000年)- ローラベル・ピアース
  • 『みんな私に恋をする』(2010年)- ベスの母親、プリシラ・マーティン
  • 『僕のワンダフル・ライフ』(2017年)-大人になったハンナ

テレビ出演

[編集]
  • 『ミスター・ノヴァック』(1965年)- セルマ("And Then I Wrote ...")
  • 『ジョン・フォーサイス・ショー』(1965年)- ジョアンナ
  • 『アルフレッド・ヒッチコック・アワー』(1965年)- ナース・ウィンターズ(”Night Fever”)
  • 『バージニアン』(1966年)- ダルシー・コルビー
  • モッズ特捜隊』(1968-1973年)- ジュリー・バーンズ
  • 『Return of the Mod Squad』(1979年)- ジュリー・バーンズ
  • 『私の彼は結婚詐欺師』(1988年)- アシスタントDA
  • ツイン・ピークス』(1990-1991年、2017年)- ノーマ・ジェニングス
  • 『Secrets』(1992年)- オリビア・オーエンス
  • 『Dangerous:The Short Films』(1993年)- 母親
  • 『Angel Falls』(1993年)- ハドリー・ラーソン
  • 『ウィングス』(1994年)- ミス・ローラ・ジェンキンス[19]
  • 『The Spider And The Fly』(1994年)- ヘレン・ストラウド
  • 『Deadly Vows』(1994年)- ナンシー・ウィルソン
  • 『Justice For Annie: A Moment Of Truth Movie』(1996年)- キャロル・ミルズ
  • 『The '70s』(2000年)- グロリア・スタイネム
  • 『Jackpot』(2001年)- ジャニス
  • 『エイリアス』(2004年)- オリビア・リード
  • 『ルールズ・オブ・エンゲージメント』(2007年)- アダムのママ、フェイ
  • 『クラッシュ』(2009年)- スージー
  • 『ハウス・オブ・ライズ』(2012年)- フェーベ・ヴァン・デア・フーベン("Prologue and Aftermath")
  • 『サイク』(2013年)- スカーレット・ジョーンズ(『1967: A Psych Odyssey』)

脚注・出典

[編集]
  1. ^ a b 米女優ペギー・リプトンさん死去、72歳 「ツイン・ピークス」など出演”. AFPBB News (2019年5月13日). 2019年5月13日閲覧。
  2. ^ a b Moviefone, Biography Peggy Lipton, オリジナルの2014年2月3日時点におけるアーカイブ。, https://web.archive.org/web/20140203124427/http://www.moviefone.com/celebrity/peggy-lipton/1117742/biography  ムービーフォン。『バイオグラフィー・ペギー・リプトン』
  3. ^ Solitary Muser (2012), Rashida Jones, Who do you think you are?, http://tracingthetree.wordpress.com/2012/05/05/rashida-jones-who-do-you-think-you-are/ 
  4. ^ a b c d David Hutchings (1988), “Can You Dig It? the mod squad's Peggy Lipton, One marriage and fifteen years later, returns to acting”, People Magazine, http://www.people.com/people/archive/article/0,,20098625,00.htm 
  5. ^ Lipton, Peggy (2005). Breathing Out. St. Martin's Press. pp. 15, 18. ISBN 0312324138 
  6. ^ stated on Who Do You Think You Are?, May 4, 2012.
  7. ^ "'Bored? Creatively I'm Bored, But...'", The New York Times, March 19, 1972. Accessed September 15, 2008. Quote: "The girl from uptight Lawrence, L. I., was now cool, worldly; Peggy Lipton had become, in the stone-age language of the sixties, a groovy chick, and Mod Squad had found its Julie."'
  8. ^ Book Description, Breathing Out:, http://www.amazon.com/Breathing-Out-Peggy-Lipton/dp/0312324138 May 2013閲覧。 
  9. ^ a b c Barbara Wilkins (March 1978), “Quincy Jones and Peggy Lipton: Death Did Almost Them Part”, People Magazine, http://www.people.com/people/archive/article/0,,20065055,00.html May 2013閲覧。 
  10. ^ a b CD『Peggy Lipton THE COMPLETE ODE RECORDINGS』規格品番:VSCD6060 解説より。解説:長門芳郎2014年7月
  11. ^ Artists MTV beta, About Peggy Lipton, http://www.mtv.com/artists/peggy-lipton/biography/ 
  12. ^ Marlow, Wil (August 20, 2004), From Rashida with love, ealinggazette.co.uk, http://www.ealinggazette.co.uk/tm_objectid=14549103&method=full&siteid=50100&headline=from-rashida-with-love-name_page.html November 30, 2012閲覧。 
  13. ^ “Music producer Jones, actress Lipton to divorce”. The Milwaukee Sentinel: p. 3. (October 12, 1989). https://web.archive.org/web/20160312095105/https://news.google.com/newspapers?id=cXtQAAAAIBAJ&sjid=tRIEAAAAIBAJ&pg=6904,2990799&dq=peggy+lipton+quincy+jones+divorced&hl=en November 30, 2012閲覧。 
  14. ^ Style.Com, Peggy Lipton, http://www.style.com/beauty/icon/060805ICON 
  15. ^ Amazon Editorial Reviews, Breathing Out by Peggy Lipton, http://www.amazon.com/Breathing-Out-Peggy-Lipton/dp/product-description/0312324146 
  16. ^ Ciuraru, Carmela (June 4, 2005), “Lipton admits insecurity while living in mod times”, Los Angeles Times, http://articles.latimes.com/2005/jun/04/entertainment/et-book4 November 30, 2012閲覧。 
  17. ^ Tom Robbins (December 8, 2009), “The Peggy Lipton Affair Brings Down Another Mogul”, Village Voice (Village Voice), http://www.villagevoice.com/2009-12-08/columns/the-peggy-lipton-affair-brings-down-another-mogul/full/ March 1, 2014閲覧。 
  18. ^ 「ツイン・ピークス」ノーマ役女優ペギー・リプトンが72歳で死去”. 映画ナタリー (2019年5月13日). 2020年7月31日閲覧。
  19. ^ Wings episode 06 X 08 "Miss Jenkins"