コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ペドロ・フローレス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ペドロ・フローレス
基本情報
本名 ペドロ・フローレス
階級 ライトフライ級
身長 157cm
国籍 メキシコの旗 メキシコ
誕生日 (1951-01-14) 1951年1月14日(73歳)
出身地 ハリスコ州グアダラハラ
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 26
勝ち 17
KO勝ち 5
敗け 9
テンプレートを表示

ペドロ・フローレスPedro Flores1951年1月14日 - )は、メキシコ男性プロボクサー。元WBA世界ライトフライ級王者。

略歴

[編集]

1973年11月7日、プロデビュー。デビューから8連勝を果たした。

1975年7月19日、9戦目でメキシコ国内王座初挑戦。空位のフライ級王座をアルベルト・モラレスと争うも、12回判定負けでプロ初黒星。その後、さらに3連敗。1976年4月21日に5試合ぶりの勝利を収めるも、その後1977年まで3試合を戦い、1勝2敗。1978年は1試合も行わず。

1980年6月13日、国内王座再挑戦。フライ級王者ホセ・ガジェゴスに挑み、12回判定勝ち。王座獲得に成功。

1980年10月12日、世界初挑戦。日本WBA世界ライトフライ級王座12度防衛中の具志堅用高に挑むが、15回判定負け。しかし、終盤には王者をダウン寸前にまで追い詰めるなどの大健闘を見せ、高い評価を得ることになる。

1981年3月8日、具志堅に再挑戦し12回TKO勝ち。具志堅を4年以上君臨し続けてきた世界王座から引きずり降ろし、23戦目にして世界王者となった。

1981年7月18日、初防衛戦。敵地で1位・金煥珍韓国)と対戦したが、13回TKO負け。4か月で世界王座から陥落。

1982年7月24日、同国人の世界ランカールペ・マデラとノンタイトル戦を戦い、10回判定負け。この試合を最後に引退した。なお、マデラはその後、1983年7月に渡嘉敷勝男を降して、WBA世界ジュニアフライ級王者となった。

引退後、メキシコでボクシングジムをオープンさせた。

1997年テレビ朝日で放送された「ザ・スーパーサンデー・あの人は今」で近況が紹介され、自身のジムで具志堅と1ラウンドのスパーリングを行った。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]
前王者
具志堅用高
WBA世界ライトフライ級王者

1981年3月8日 - 1981年7月18日

次王者
金煥珍