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ボリビア人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ボリビア人
Bolivianos
(c. 13 million)
居住地域
ボリビアの旗 ボリビア 11 million
アルゼンチンの旗 アルゼンチン~1,000,000[1]
ブラジルの旗 ブラジル550,000[2]
スペインの旗 スペイン163,553[3]
アメリカ合衆国の旗 アメリカ99,296[4]
チリの旗 チリ31,313[5]

ボリビア人スペイン語:Bolivianos)とは、南アメリカボリビア多民族国に住む人々のことである。16世紀に起こったスペインによる侵略以前は、現在ボリビアと呼ばれている地域に、数千年もの間、アメリカインディアンが住んでいた。スペイン人アフリカ人が一定数絶え間なく、植民地支配下にあったボリビアに上陸し、先住民とお互いに広く交流するようになった。

1,090万人と推定されているボリビアの人口は、多民族であり、アメリカインディアン、メスティーソヨーロッパ人アジア人アフリカ人などを含む。

主要な言語はスペイン語であるがグアラニー語アイマラ語ケチュア語(インカ人の言語)が一般的であり、この3つとその他の34の先住民言語も公用語とされている。多くのボリビア文化が芸術、料理、文学、音楽といった分野の多様化に大いに貢献した。

先住民人口比率が85%と南米最多である[6]

民族グループ

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ボリビアの民族構成は広く多様な文化を含んでいる。ほとんどの先住民はメスティーソ文化を吸収していて、伝統的な遺産を多様化、拡大させている。その結果、ボリビアには文化の融合が見られ、ヒスパニックやアメリカインディアンの文化とも融合している。ボリビアにおける民族分布は、30%がケチュア語を話す人々で、25%がアイマラ語を話す人々であると推定されている。およそ36の先住民族のほとんどが、ケチュア人(250万人)、アイマラ人(200万人)、"Chiquitano"(en:Chiquitano、18万人)、そしてグアラニー人(12万5千人)などである。よってアメリカインディアン全体の人口は55%にものぼり、残りの30%がメスティーソ(アメリカインディアンと白人の混血)で、およそ15%が白人となっている[7]

アメリカ州の先住民族

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アメリカ州の先住民族(Indigenous、土着の)な人々は"Originarios"(先住の、起源となる、を意味する)とも呼ばれ、頻繁にではないが、"Amerindians"とも呼ばれる。この民族集団は、スペイン人による征服以前の文化をもつ子孫によって構成されている。彼らはアイマラ人やケチュア人などのアンデス山系(Andean)であり、西の方に位置するラパス県ポトシ県オルロ県コチャバンバ県チュキサカ県などに集中している。また、東方民族も見られ、グアラニー族とモホス(Moxos)などにより構成されている。彼らはサンタクルス県ベニ県タリハ県パンド県に住んでいる。先住民たちはボリビアの人口の60%を占める。

メスティーソ

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メスティーソは先住民と、ヨーロッパ系の人またはヨーロッパ系の子孫との混血民族である。彼らは全国に存在し、ボリビアの人口の26%を占める。彼らのほとんどはメスティーソを自分のアイデンティティであると思っているが、同時に自分自身が一つ以上の先住民文化をもつとも認識している。

ヨーロッパ人

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ボリビアで人種に関するデータを集めた最も新しいとされる公式の調査である1900年の国勢調査によると、白人のボリビア人は人口の12.72%にのぼり、その数は合計23万1088人となっている[8]

ヨーロッパを起源に持つ人の多くは、クリオーリョやヨーロッパ系、アラブ系の第二世代の子孫であり、主にスペイン、クロアチアドイツイタリアレバノントルコからやってきている[7]。彼らは大きな都市、ラパス県、サンタクルス(サンタクルスデラシエラ)県、コチャバンバ県に集中しており、また少数ではあるが、タリハ県のような都市にも住む。サンタクルス県には、ドイツ語話者のメノナイトによる重要な植民地がある(7万人が住んでいる)[9]

アフリカ人

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アフリカ系ボリビア人はアフリカの奴隷の子孫であり、スペイン帝国時代にやってきた。彼らはラパス県、特にユンガス英語版で暮らす。

その他

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先住民族

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ボリビアの先住民は、2つの民族集団に分かれる。アンデス山脈高地とその谷の地域に住むアンデス山系と、東ボリビア(グランチャコ)の暖かい地域に住む東方リャノ地方の民族文化をもつ集団の2つである。

  • アンデス山系民族
    • アイマラ人:ラパス県、オルロ県、ポトシ県の高地、あるいは熱帯地方の平地に近い小さな地域に住んでいる。
    • ケチュア人:ほとんどはコチャバンバ県とチュキサカ県の谷に住んでいるが、ポトシ県やオルロ県などの山地にも住む。ケチュア族は、"Tarabucos"、"Ucumaris"、"Chalchas"、"Yralipes"、"Tirinas"などに分かれている。

宗教

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ボリビアでは、ローマカトリック教会が主要な宗教となっている。大多数のボリビア人がカトリックキリスト教信者であるが、そのうち活動的である人はほんの少しである。第2バチカン公会議(1962年~1965年)後、数十年の間、教会は宗教を社会の中でもっと活発にさせようと試みた。

3,003人が回答し、誤差が±1.8%とされる、アメリカ大陸の変化の兆候を示す2008年の調査は以下のようなことを示した[16]

Religion Percentage Notes
カトリック 81.6%
福音主義 10.3% ペンテコステ派カトリック・カリスマ刷新
無宗教 3.3% 世俗無神論者
他のプロテスタント 2.6% セブンスデー・アドベンチスト教会バプテスト教会カルヴァン主義救世軍ルーテル教会メソジスト、Nazarene(en:Apostolic Christian Church (Nazarene))、長老派教会
モルモン教エホバの証人 1.7%
非キリスト教 0.4% バハイ教ユダヤ教イスラム仏教ヒンドゥー教
伝統的な宗教 0.1% 土着の宗教

文化

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現在ボリビアと呼ばれるこの国の文化的な発展は3つの特筆すべき時期段階に分けられる。先コロンブス期、植民地時代、そして共和国時代の3つである。考古学的に重要な遺跡、金や銀の装飾、石の記念碑、陶芸作品、そして織物などは先コロンブス期のいくつかの文化の名残である。よく知られた遺跡としては、ティワナク、サマイパタ英語版インカリャフタ英語版イスカンワヤ英語版などがある。ボリビアには、近づくことが困難で、考古学者によってほとんど開拓されていない場所がほかにもたくさんある。

スペイン人は、先住民とメスティーソの建築家と職人の手を借りて、自分たちの宗教芸術をもちこみ、メスティーソによるバロックとして知られる豊かで独特な様式の建築物、文学、彫刻を発展させた。植民地時代からは、ペレス・デ・オルギン、フローレス、ビッティ(Bitti)などの絵画作品や、熟練の、しかしあまり知られていない石切り工、木彫り師、金細工職人、銀細工職人などによる作品もある。植民地時代のバロック宗教音楽は最近になって復活し、1994年以来、国境を超えて称賛され、親しまれている。20世紀の才能あるボリビア人アーティストは、"Guzman de Rojas"や"Arturo Borda"、"Maria Luisa Pacheco"(en:María Luisa Pacheco)、"Master William Vega"、"Alfredo Da Silva"(en:Alfredo Da Silva)、"Marina Núñez del Prado"(en:Marina Núñez del Prado)などたちである。

ダンス

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ボリビアのダンスや曲の多くは、先住民たちの文化とヨーロッパ系の文化をともに含んでいる。カポラレス英語版は現在ボリビアにおいて最も人気があるダンスであるように見受けられる。カポラレスは、数十年の間にその発祥の地であるボリビア高地でだけでなく、ボリビア低地や、国外のボリビア人コミュニティにおいても非常な人気となった。ボリビア高地には、以下に示すような、伝統的で、いまだに人気を博するダンスが多くある。

服装

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ボリビアのアンデス山系先住民の女性たちの間では、ポリェラと呼ばれるスカートを身に付けるのが流行りである。もともとは植民地時代に権威者が先住民の女性に身に付けるよう強制した、スペインの農民が着用するスカートであった。現在では、先住民であることを誇りとする証となっており、ステータスシンボルであると考えられている。もうひとつのボリビアのファッションは、山高帽子(bowler hat)というもので、英国から伝わった。この帽子の位置は女性の婚姻状態や、願望を示唆することがある。

料理

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ボリビアの料理は、主にスペイン料理とボリビア原産の素材を組み合わせたものに起源を有し、後のドイツ、イタリア、バスク、クロアチア、ロシア、ポーランドなどからの移民による影響も受けている。ボリビア料理の伝統的主要産物は、とうもろこしじゃがいも、そしてである。これらの原料は、スペイン人によってもたらされた小麦、そしての肉など、多くの主要産物と組み合わされてきた。

脚注

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  1. ^ Cónsul Boliviano con los días contados por Raúl Kollman, Página 12, 9 de abril de 2006.
  2. ^ Deutsche Welle. “Brasil atrae gran número de inmigrantes bolivianos” (Spanish). 4 February 2014閲覧。
  3. ^ Europapress. “Nueve de cada diez bolivianos en España ya están en situación regular” (Spanish). 4 February 2014閲覧。
  4. ^ US Census Bureau 2012 American Community Survey B03001 1-Year Estimates HISPANIC OR LATINO ORIGIN BY SPECIFIC ORIGIN Archived August 15, 2014, at the Wayback Machine. retrieved September 20, 2013
  5. ^ La Razón. “Bolivianos en Chile” (Spanish). 4 February 2014閲覧。
  6. ^ “【伝える 訴える】第41回 「抵抗の民」”. 47NEWS. (2017年1月18日). オリジナルの2021年7月16日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210716012142/https://www.47news.jp/589570.html 
  7. ^ a b Bolivian people
  8. ^ Censo National De La Poblacion de la Republica 1900 Census of Bolivia. "Segunda parte" - (Page: 25 - 32)
  9. ^ Bolivian Reforms Raise Anxiety on Mennonite Frontier. The New York Times. 21 December 2006.
  10. ^ ボリビア多民族国基礎データ
  11. ^ Geographical Distribution of the Lebanese Diaspora”. The Identity Chef. 2017年1月14日閲覧。
  12. ^ Wichí の言語は Lewis et al. (2015) では Matacoan (en に分類されているが、この言語グループとグアラニー諸語との系統関係は証明されていない。
  13. ^ トバ語英語版は Lewis et al. (2015) ではワイクル語族英語版: Guaykuruan)に分類されているが、この語族とグアラニー諸語との系統関係は証明されていない。
  14. ^ Leco語 (enはタカナ語族との系統関係は証明されておらず、Lewis et al. (2015) においては「孤立した言語」(: Language isolate)扱いとなっている。
  15. ^ モビマ語とアラワク語族との系統関係は証明されておらず、Lewis et al. (2015) では「孤立した言語」扱いとされている。
  16. ^ Americas Barometer Survey 2008 - page 11 Archived June 24, 2010, at the Wayback Machine.

参考文献

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  • Lewis, M. Paul; Simons, Gary F.; Fennig, Charles D., eds. (2015). Ethnologue: Languages of the World (18th ed.). Dallas, Texas: SIL International.