ポンペオ・バトーニ
表示
ポンペオ・バトーニ Pompeo Batoni | |
---|---|
自画像 | |
生誕 |
1708年1月25日 ルッカ |
死没 |
1787年2月4日 ローマ |
ポンペオ・バトーニ(Pompeo Girolamo Batoni、1708年1月25日 - 1787年2月4日)はイタリアの画家である。
略歴
[編集]トスカーナのルッカの金細工師の息子に生まれた。1727年にローマに移り、アゴスティーノ・マズッチ(1690-1758)とセバスティアーノ・コンカ(1680-1764)か、ミラノ出身の画家、フランチェスコ・フェルナンディ(1679–1740)の弟子になって、ラファエロやアンニーバレ・カラッチの作品などを模写して修行した。
有力な顧客からの注文が得られるようになったのは30代の前半になってからで、グッビオに領地を持つガブリエリ家のバッカレスカ伯爵(conte di Baccaresca)が最初のパトロンになり、ガブリエリ家の教会のための宗教画を描いた[1] 。その後も有力な教会の祭壇画の注文を受けて描いた。
宗教画や歴史画を描く一方、肖像画を描く仕事を始め、イギリスなどから多くの貴族や富裕な人々がグランド・ツアーでローマを訪れていたため、多くの報酬が得られるようになった。イギリスやアイルランドからの旅行客の肖像画を描き、国外でも人気のある肖像画家となった[2][3]。
肖像画を依頼した人物には、オーストリア皇帝、ヨーゼフ2世や、教皇ピウス6世、ポルトガル王妃マリア・アンナ、イギリス貴族タルボット伯爵ジョン・チェットウィンド=タルボットらがいた。
1759年からローマのボッカディレオーネ通りに大きな邸に住んだ。1787年にローマで亡くなった。
作品
[編集]-
ディアナとクピド (c.1761)
-
岐路に立つヘーラクレース
-
ヴェネツィアの勝利
脚注
[編集]- ^ “Gallerie dell'Accademia, Venice. Sala XVIII”. 2018年6月28日閲覧。
- ^ “Portrait of John Talbot”. Getty.edu (2009年5月7日). 2012年7月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年7月20日閲覧。
- ^ “Portrait of John Wodehouse”. Oberlin.edu. 2007年1月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年7月20日閲覧。
参考文献
[編集]- E. Peters Bowron and P. Kerber, Pompeo Batoni, Prince of Painters in Eighteenth-Century Rome (2008)
- Christiansen, Keith (1982). European Paintings; Notable Acquisitions. New York: Metropolitan Museum of Art.
- Clark, Antony M. (1985). Pompeo Batoni. Oxford: Phaidon Press. ISBN 0-7148-2341-4.