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マシュー・ハウソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マシュー・ハウソン
2013年のマシュー・ハウソン (向かって右に座っているのは中国人ドライバーのJim Ka To)
個人情報
国籍イギリスの旗 イギリス
生誕 (1983-08-25) 1983年8月25日(41歳)
イングランドノーフォークノリッジ
スポーツ
競技レーシングドライバー

マシュー(マット)・ハウソンMatthew "Matt" Howson1983年8月25日 - )は、イングランドノーフォークノリッジ出身のイギリス人のレーシングドライバー[1]リチャード・ブラッドリーニコラ・ラピエールと組んで出走した2015年のル・マン24時間レースのLMP2クラスで、クラス優勝を果たしている。

レース・キャリア

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2001年英フォーミュラ・ルノー(冬季選手権)マノー・モータースポーツチームで参戦してフォーミュラレースでのモータースポーツキャリアをスタートさせ、10位に入った。2002年、英フォーミュラ・フォードのジュニア選手権を始め、ランキング8位に入っている。その後、英フォーミュラ・フォードの冬季選手権に参戦し、第5戦で表彰台を獲得した。2003年メディナ・スポーツ̚に入り、英フォーミュラ・フォードのレギュラー選手権に参戦して2回の3位と1回の2位を獲得してランキング9位でシーズンを終えた。次の冬季選手権にチームJLRで参戦して総合順位2位に入った。

2004年、英フォーミュラ・フォードの第4戦にレイ・スポーツで一部参戦した。その後、チーム・SWR・パイオニアに移籍して英フォーミュラ・BMWに参戦し、1勝を挙げて総合順位12位に入っている。2005年、英フォーミュラ・BMWへの参戦を継続し、フィルセル・モータースポーツで戦うことになり、4勝を挙げ、ランキング3位となった。英フォーミュラ・BMWのシーズン終了後に行われた「フォーミュラBMW・ワールドファイナル」(世界一決定戦)では9位に入っている。2006年、フォーミュラレースに留まり続け、フィルセル・モータースポーツに残留して、英フォーミュラ・ルノー2戦と英フォーミュラ・BMW4戦に参戦することになった。彼は英フォーミュラ・BMWで1勝を挙げた。

2007年、資金不足の為ヨーロッパでのレース参戦が出来なかった[2]。英ポルシェ・カレラカップを2戦ゲスト枠で出走している。その後、アジアン・フォーミュラ3選手権の2007/08の冬季シーズンにPTRS・レーシングで参戦し、2勝を挙げ、229-332ポイントを獲得してフレデリック・フェルフィッシュに続く総合2位の成績を挙げた。2008年はアジアGT選手権のBクラスで2戦出走して2勝した。

2年間のレース活動休止期間を経て2011年にモータースポーツに復帰した。その間、マンチェスター・メトロポリタン大学での勉学を終了した[3][2]2011年シーズンの後半、全日本F3選手権SGC by KCMGチームで参戦し、ランキング7位に入った。2012年チームに残留し、全日本F3選手権のNクラスで一度7位に入り、ランキング5位となった。総合のドライバー部門では、ベストリザルトが7位で、結果ノーポイントに終わった。

2013年FIA 世界耐久選手権(WEC)のLMP2クラスにKCMGチームで参戦し、耐久レースに挑戦することとなった[2]ル・マン24時間レースでは、ゲスト・ドライバーとして出走している。2014年、KCMGのフルシーズン(レギュラー)・ドライバーとしてWECに参戦した。リチャード・ブラッドリーとは全戦でパートナーを組むことになった。サードドライバーは、アレキサンドレ・インペラトーリ松田次生が務めることになった。ハウソンとブラッドリーは、3回のLMP2クラス優勝を挙げた。その内の2勝はインペラトーリと、残る1勝は松田と勝ち取ったものである。世界選手権では、ハウソンとブラッドリーは13位に入った。2015年、ハウソンとブラッドリーはまたKCMGでWECに参戦した[4]。サードドライバーは、ニック・タンディニコラ・ラピエールが務めることになった。ハウソンとブラッドリーとラピエールは、ル・マン24時間レースで、LMP2クラス優勝を挙げた。WECではニュルブルクリンクのレースでもう1勝を挙げているが、そちらのレースのサードドライバーはタンディである。ハウソンとブラッドリーは総合11位の成績でシーズンを終了した。

その他

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ハウソンは、レースドライバーとしてだけでなく、2004年以降はドライバーのトレーナーとしても活動している[5]。2008年から2010年にかけては、ダブルR・レーシングで働いていた。2011年以降は、ハウソンはフォルテック・モータースポーツのトレーナーに就任している[3]。他にこのポジションに就いているのは、ジェイク・デニスアレックス・リンマシュー・パリーオリバー・ローランドウィル・スティーブンスらである[3]

レースの記録

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参戦してきた主なレース

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  • 2001年: 英フォーミュラ・ルノー冬季シーズン (10位)
  • 2002年: 英フォーミュラ・フォードジュニア選手権 (8位)
  • 2002年: 英フォーミュラ・フォード冬季シーズン (5位)
  • 2003年: 英フォーミュラ・フォード (9位)
  • 2003年: 英フォーミュラ・フォード冬季シーズン (2位)
  • 2004年: 英フォーミュラ・フォード (19位)
  • 2004年: 英フォーミュラBMW (12位)
  • 2005年: 英フォーミュラBMW (5位)
  • 2006年: 英フォーミュラBMW (13位)
  • 2006年: 英フォーミュラ・ルノー (30位)
  • 2008年: アジアF3 (2位)
  • 2008年: アジアGT選手権Bクラス (4位)

全日本フォーミュラ3選手権

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チーム エンジン クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 順位 ポイント
2011年 SGC by KCMG トヨタ SUZ1 SUZ2 FSW1 FSW2 FSW3 FSW1 FSW2 TRM1 TRM2 OKA1
9
OKA2
5
SUZ1
C
SUZ2
C
SUG1
14
SUG2
Ret
SUG3
6
7位 7
2012年 SUZ1 SUZ2 TRM1
11
TRM1
11
FSW1
Ret
FSW2
7
TRM1
11
TRM2
14
OKA1
11
OKA2
9
SUG1
10
SUG2
10
SUG3
8
FSW1 FSW2 NC 0

世界耐久選手権

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チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 順位 ポイント
2013年 KCMG モーガン・LMP2 LMP2 SIL
6
SPA LMN
Ret
SÃO COA FSW
6
SHA BHR NC 0
2014年 オレカ・03 LMP2 SIL
2
SPA
2
3位 130
オレカ・03R LMN
Ret
COA
1
FSW
2
SHA
Ret
BHR
1
SÃO
1
2015年 オレカ・05 LMP2 SIL
4
SPA
3
LMN
1
NÜR
1
COA
2
FSW
Ret
SHA
3
BHR
2
2位 155

ル・マン24時間レース

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チーム パートナー 使用車両 クラス 周回数 総合順位 クラス順位
2014年 香港の旗 KCMG スイスの旗 アレキサンドレ・インペラトーリ
中華人民共和国の旗 ホーピン・タン
オレカ・03R-ニッサン LMP2 87 DNF DNF
2014年 スイスの旗 アレキサンドレ・インペラトーリ
イギリスの旗 リチャード・ブラッドリー
LMP2 87 DNF DNF
2015年 イギリスの旗 リチャード・ブラッドリー
フランスの旗 ニコラ・ラピエール
オレカ・05-ニッサン LMP2 358 9位 1位
2016年 日本の旗 松田次生
イギリスの旗 リチャード・ブラッドリー
LMP2 116 DNF DNF

脚注

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  1. ^ Profile”. driverdb.com. 14 June 2015閲覧。
  2. ^ a b c Gary Watkins (10 March 2013). "Matt Howson hopes KCMG Le Mans chance is career springboard" (英語). autosport.com. 2015年9月10日閲覧
  3. ^ a b c "Matthew Howson". linkedin.com. 2015年9月10日閲覧
  4. ^ "Richard Bradley rejoins KCMG for 2015 Le Mans and FIA WEC" (英語). kcmg.com.hk. 18 February 2015. 2015年3月2日閲覧
  5. ^ "Matt Howson". danhowson.com. 2015年9月10日閲覧

外部リンク

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