マッティ・ヤルビネン
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選手情報 | ||||||||||||||||||||||||
フルネーム | Matti Henrikki Järvinen | |||||||||||||||||||||||
国籍 | フィンランド | |||||||||||||||||||||||
種目 | やり投 | |||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1909年2月18日 | |||||||||||||||||||||||
生誕地 | タンペレ | |||||||||||||||||||||||
没年月日 | 1985年7月22日(76歳没) | |||||||||||||||||||||||
死没地 | ヘルシンキ | |||||||||||||||||||||||
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マッティ・ヤルビネン(Matti Henrikki Järvinen, 1909年2月18日 - 1985年7月22日)は、フィンランドの陸上競技選手。1932年ロサンゼルスオリンピックの金メダリストである。
経歴
[編集]ヤルビネンはスポーツ一家に育ち、父親のヴェルネル・ヤルビネンは1908年ロンドンオリンピックのギリシャ式円盤投の銅メダリスト。兄のアキレス・ヤルビネンは十種競技の選手で、1928年アムステルダムオリンピック、1932年ロサンゼルスと2大会連続の銀メダリストである。
ヤルビネン自身も、1930年から1934年までの5年間で10回の世界記録を更新し、「ミスターやり投」と呼ばれていた。男子やり投の世界記録の更新回数で2番目に多い選手は、フィンランドのヨニ・ミューラとチェコのヤン・ゼレズニーが4回であり、実に倍以上の回数である。
ヤルビネンは、1932年ロサンゼルスオリンピックのやり投に出場。72m71で、金メダルを獲得。ほかの2人のフィンランド人、マッティ・シッパラ、エイノ・ペンティラとともに表彰台を独占した。
ヤルビネンは1934年の第1回ヨーロッパ選手権でも優勝。4年後の第2回大会も制し連覇を果たしている。しかし、1936年ベルリンオリンピックでは、けがに苦しみ、結果も5位に終わっている。
世界記録
[編集]記録 (m) | 年月日 | 場所 |
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71.57 | 1930年8月8日 | ヴィープリ |
71.70 | 1930年8月17日 | タンペレ |
71.88 | 1930年8月31日 | ヴァーサ |
72.93 | 1930年9月14日 | ヴィープリ |
74.02 | 1932年6月27日 | トゥルク |
74.28 | 1933年5月25日 | ミッケリ |
74.61 | 1933年6月7日 | ヴァーサ |
76.10 | 1933年6月15日 | ヘルシンキ |
76.66 | 1933年9月7日 | トリノ |
77.23 | 1934年6月18日 | ヘルシンキ |
外部リンク
[編集]- マッティ・ヤルビネン - Olympedia