マット・ホワイト
2007年9月26日(横浜スタジアム) | |
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | マサチューセッツ州ピッツフィールド |
生年月日 | 1977年8月19日(47歳) |
身長 体重 |
182 cm 90 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1998年 MLBドラフト15巡目 |
初出場 |
MLB / 2003年5月27日 NPB / 2007年7月26日 |
最終出場 |
MLB / 2005年8月27日 NPB / 2008年7月5日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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マシュー・ジョセフ・ホワイト(Matthew Joseph "Matt" White, 1977年8月19日 - )は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ピッツフィールド出身の元プロ野球選手(投手)。
日本球界での登録名はファーストネームとファミリーネームを区切らない「マットホワイト」。愛称は「ホワイティ」。
経歴
[編集]1988年のMLBドラフト15巡目でクリーブランド・インディアンスに指名され契約。
2003年5月27日にボストン・レッドソックスでメジャーデビュー。
2005年にオリックス・バファローズの秋季キャンプ時に一度入団テストを受けたが不合格。当時、オリックス監督であった中村勝広からは「スピードがちょっとね。外国人に求めるのはパワーだから」という評価を下された。
2007年、獲得期限ギリギリの6月末に、左腕不足に悩まされていたNPBの横浜ベイスターズが獲得。7月終盤に一軍登録され、7月26日の対巨人戦でNPB初登板。最初の対戦打者・高橋由伸に日本新記録となる9本目の先頭打者本塁打を打たれる。初めは先発投手として起用されたが、防御率7点台で0勝と、目立った成績は残せなかった。
しかし途中から中継ぎ一本で起用されると、シーズン終盤には突如として速球の速度とスライダーの切れが増した。9月以降19試合にリリーフ起用され、最後には9試合連続無失点で締めるなどの投球を発揮した。6本塁打中5本を得意とすべき左打者に打たれたが、被打率は2割前半に抑えた。
2008年は引き続きリリーフで起用された。5月22日に父親の手術のため一時帰国したが、6月中旬にチームに再合流している。その後不振から7月初旬に出場選手登録を抹消され、8月11日にウェーバー公示となった。
2010年にCPBLの統一セブンイレブン・ライオンズに入団したが、登板機会がないまま解雇された。その後は、アメリカの独立リーグであるカナディアン・アメリカン・リーグのピッツフィールド・コロニアルズでプレーした。
プレースタイル・人物
[編集]- 球速は140km/h台前半と速さはないものの、スライダーやチェンジアップと合わせ球の切れで勝負する。
- メジャーリーグ時代は資産家として有名であった。ホワイトはマサチューセッツ州ハンプシャー郡に土地を所有しており、この土地には建築用石材として人気がある雲母約2400万トン(金額にして約24億ドル)が埋蔵されていると推測されている[1]。2006年には一部が採掘され6万ドルを得たという。
- かつてベイスターズに在籍していたマット・ホワイトサイドと名前が似ており、入団当初は話題になった。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2003 | BOS | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 23 | 3.2 | 10 | 1 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 11 | 11 | 27.00 | 3.55 |
SEA | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 10 | 2.0 | 3 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 13.50 | 2.50 | |
'03計 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 33 | 5.2 | 13 | 3 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 14 | 14 | 22.24 | 3.18 | |
2005 | MON | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 20 | 4.0 | 4 | 0 | 3 | 0 | 1 | 3 | 1 | 0 | 4 | 4 | 9.00 | 1.75 |
2007 | 横浜 | 24 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 6 | .000 | 138 | 32.2 | 35 | 6 | 11 | 2 | 1 | 26 | 0 | 2 | 19 | 18 | 4.96 | 1.41 |
2008 | 15 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 3 | 1.000 | 58 | 14.0 | 16 | 0 | 3 | 0 | 0 | 12 | 0 | 0 | 7 | 7 | 4.50 | 1.36 | |
MLB:2年 | 7 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | .000 | 53 | 9.2 | 17 | 3 | 8 | 0 | 1 | 3 | 1 | 0 | 18 | 18 | 16.76 | 2.59 | |
NPB:2年 | 39 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 2 | 9 | .250 | 196 | 46.2 | 51 | 6 | 14 | 2 | 1 | 38 | 0 | 2 | 26 | 25 | 4.87 | 1.39 |
記録
[編集]- NPB
- 初登板・初先発:2007年7月26日、対読売ジャイアンツ14回戦(東京ドーム)、5回2/3を4失点で敗戦投手
- 初奪三振:同上、1回裏に小笠原道大から空振り三振
- 初ホールド:2007年9月1日、対読売ジャイアンツ19回戦(横浜スタジアム)、7回表に4番手で救援登板、2/3回無失点
- 初セーブ:2008年4月4日、対広島東洋カープ1回戦(広島市民球場)、9回裏1死に4番手で救援登板・完了、2/3回無失点
- 初勝利:2008年4月25日、対広島東洋カープ4回戦(横浜スタジアム)、7回表2死に2番手で救援登板、1/3回無失点
- 初登板で対戦した第一打者に被本塁打:2007年7月26日、対読売ジャイアンツ14回戦(東京ドーム)、1回裏無死に高橋由伸に左越先頭打者本塁打 ※史上55人目(セ・リーグ24人目)
背番号
[編集]- 59 (2003年)
- 47 (2005年)
- 64 (2007年 - 2008年)
脚注
[編集]- ^ 李啓充 (2007年3月8日). “マイナーリーグ投手は資産2800億円の「億万長者(ビリオネア)」”. Number web. 2014年7月6日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube
- 個人年度別成績 マットホワイト - NPB.jp 日本野球機構