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マルケル・スサエタ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マルケル・スサエタ
アスレティック・ビルバオでのスサエタ(2018年)
名前
本名 マルケル・スサエタ・ラスクライン
Markel Susaeta Laskurain
ラテン文字 Markel SUSAETA
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 (1987-12-14) 1987年12月14日(36歳)
出身地 エイバル
身長 179cm
体重 68kg
選手情報
ポジション FW (RWG, LWG) / MF (RMF)
利き足 右足
ユース
1997-2005 スペインの旗 アスレティック・ビルバオ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2005-2006 スペインの旗 CDバスコニア 36 (4)
2006-2007 スペインの旗 ビルバオ・アスレティック 41 (3)
2007-2019 スペインの旗 アスレティック・ビルバオ 379 (38)
2019 日本の旗 ガンバ大阪 5 (0)
2020 オーストラリアの旗 メルボルン・シティFC 10 (2)
2020-2021 オーストラリアの旗 マッカーサーFC 23 (5)
通算 494 (52)
代表歴
2007-2008  スペインU-21 3 (0)
2012 スペインの旗 スペイン 1 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。2021年6月20日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

マルケル・スサエタ・ラスクライン (Markel Susaeta Laskurain、1987年12月14日 - )は、スペインエイバル出身の元サッカー選手。元スペイン代表。ポジションはフォワードミッドフィールダー(右サイドハーフ)。

従兄弟のネストル・スサエタ(Néstor Susaeta)もプロサッカー選手であり、マルケルと同じくウイングのポジションでプレーしている。ネストルはレアル・ソシエダの下部組織に在籍していたが、トップチーム昇格はかなわず、ビルバオ・アスレティックでプレーしていたこともある。

来歴

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クラブ

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アスレティック・ビルバオの下部組織で育ち、2007年9月2日、FCバルセロナ戦(1-3)でトップチームデビュー[1]。この試合で初得点も記録した。2007-08シーズンはビルバオ・アスレティック(リザーブチーム)に登録されていたが、2007年7月に就任したホアキン・カパロス監督はスサエタを積極的に起用。アトレティコ・マドリードセビージャFCなどの強豪クラブからもゴールを決め、トップチームで29試合に出場して4得点を挙げた。2008-09シーズンは絶対的なレギュラーというわけではなかったが、トップチームでの地位を確立。2009年1月31日のマラガCF戦(3-2)ではピッチに立ってからわずか4分後に得点を挙げた[2]。同シーズンのビルバオはかろうじて降格を回避する不本意なシーズンだったが、コパ・デル・レイでは躍進し、決勝でバルセロナに敗れたものの準優勝した。リーグ戦では34試合に出場し、本職の右サイドハーフではなくトップ下として出場したこともあった。2009-10シーズンはリーグ戦35試合に出場。UEFAヨーロッパリーグでは5試合に出場し、グループリーグを勝ち抜いて欧州のベスト32に残った。2010-11シーズン、カパロス監督は主に4-3-1-2フォーメーションを採用したため、サイドを本職とするスサエタの出場機会は大幅に減少。6位と躍進したクラブにあって不本意なシーズンを過ごした。2011年夏にはカパロス監督が退任してマルセロ・ビエルサ監督が就任。2011-12シーズンのUEFAヨーロッパリーグでは5得点を挙げて決勝進出に貢献し[3][4][5][6][7]、シーズン通算ではキャリア最多の13得点を挙げた。コパ・デル・レイでも決勝に進出したが、再びバルセロナに敗れた。

エルネスト・バルベルデが監督に就任した2013-14シーズンは絶対的レギュラーとして自己最多のリーグ12アシストを記録し、UEFAチャンピオンズ・リーグ出場に貢献した。

2016年、ホセ・アンヘル・イリバルの持つ欧州カップにおけるクラブ歴代最多出場記録を更新。

ゴルカ・イライソスの退団に伴い、17-18シーズンからクラブのキャプテンに就任。

2019年、クラブ史上5人目となるクラブ通算500試合出場を達成。しかし、シーズン終了後にクラブからの退団を発表。在籍した14年間で507試合56得点87アシストを記録した。ホーム最終戦となったセルタ戦が最後の出場となり、試合終了後にはアンデル・イトゥラスペミケル・リコと共に退団セレモニーが行われた。

2019年9月9日Jリーグガンバ大阪への完全移籍が発表された[8]。背番号は「14」番。シーズン終了後、契約満了により退団[9]

2020年1月、メルボルン・シティFCへ加入[10]。2020年7月15日、家族間の問題で契約を解除しスペインに帰国。

2020年11月18日、マッカーサーFCへ加入した[11]

2021年6月29日、アスレティック・ビルバオでも共闘したベニャ・エチェバリアとともに、現役を引退することが発表された[12][13]

代表

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2012年11月9日、ビセンテ・デル・ボスケ監督によってスペイン代表に初招集され[14]、11月14日のパナマ代表との親善試合(5-1)で代表デビュー。この試合で初得点も決めた[15]

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2019 G大阪 14 J1 5 0 2 0 - 7 0
通算 日本 J1 5 0 2 0 - 7 0
総通算 5 0 2 0 - 7 0

代表での得点

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スコア欄はスペインの得点を左に記している。

# 日付 場所 相手 スコア 最終結果 大会
1. 2012年11月14日 シウダ・デ・パナマ  パナマ 5–0 5–1 親善試合

タイトル

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クラブ

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アスレティック・ビルバオ

脚注

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  1. ^ Barcelona 3-1 Athletic Bilbao ESPN Soccernet、2007年9月2日
  2. ^ Athletic Bilbao 3-2 Málaga ESPN Soccernet、2009年1月31日
  3. ^ Muniain finish seals Athletic win at Slovan UEFA.com、2011年9月15日
  4. ^ Athletic attacking prowess puts paid to PSG UEFA.com、2011年9月29日
  5. ^ Athletic down Slovan to top Group F UEFA.com、2011年12月1日
  6. ^ Athletic stride past Schalke and into semi-finals UEFA.com、2012年4月5日
  7. ^ Athletic leave it late as Llorente sets up final date UEFA.com、2012年4月26日
  8. ^ マルケル スサエタ選手 ガンバ大阪へ完全移籍のお知らせ”. ガンバ大阪公式サイト (9 September 2019). 9 September 2019閲覧。
  9. ^ G大阪、ダビド・コンチャ、マルケル・スサエタ、青山直晃の契約満了を発表”. サッカーキング (2019年12月9日). 2020年1月22日閲覧。
  10. ^ G大阪退団のスサエタ、豪州のメルボルン・シティに加入”. ゲキサカ (2020年1月16日). 2020年1月22日閲覧。
  11. ^ 元G大阪スサエタ、豪1部に新規参戦のマッカーサーに加入…ベニャと再び同僚に”. サッカーキング (2020年11月18日). 2020年11月19日閲覧。
  12. ^ "Beñat & Susaeta Announce Retirement" (Press release). Macarthur FC. 29 June 2021. 2021年7月3日閲覧
  13. ^ 元G大阪のスサエタ、同胞ベニャとともに豪で現役引退…ビルバオでも揃って活躍”. サッカーキング (2021年6月29日). 2021年7月3日閲覧。
  14. ^ Spain calls up Markel Susaeta ESPN Soccernet、2012年11月9日
  15. ^ España abre en canal a Panamá Marca、2012年11月15日 (スペイン語)

関連項目

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外部リンク

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