マンリウス氏族
表示
マンリウス氏族 (ラテン語: Gens Manlia) は、古代ローマの氏族のひとつ。ほとんどがパトリキ出身で紀元前2世紀中盤まで執政官を輩出している。マルクス・マンリウス・カピトリヌスが叛逆罪で処刑されて以降、マルクスのプラエノーメンは使用されていない。
パトリキ系
[編集]ウルソ系
[編集]- プブリウス
- プブリウス
- ルキウス・マンリウス・カピトリヌス:紀元前422年の執政武官[4]
- マルクス・マンリウス・ウルソ:紀元前420年の執政武官[5]
- グナエウス
- マルクス
- アウルス
- クィントゥス・マンリウス・ウルソ・カピトリヌス:紀元前396年の執政武官[7]
- アウルス・マンリウス・ウルソ・カピトリヌス:紀元前405年、402年、397年の執政武官[8]
- アウルス
- ティトゥス
- マルクス・マンリウス・カピトリヌス:紀元前392年の執政官[11]。ガリア人からカピトリヌスを守るも後に叛逆罪で処刑
- アウルス・マンリウス・カピトリヌス:紀元前389年、387年?、385年、383年、370年の執政武官[12]
- ティトゥス
- プブリウス
- アウルス
- ルキウス・マンリウス・ウルソ・ロングス:紀元前256年、250年の執政官[13]
- アウルス
- ルキウス・マンリウス・ウルソ:紀元前218年の外人プラエトル[14]
- プブリウス・マンリウス・ウルソ:紀元前210年のサルディニア担当プラエトル。カルタゴ艦隊の攻撃に対応[15]
- ルキウス・マンリウス・ウルソ:紀元前197年のプラエトル。シキリア担当[16]
- プブリウス・マンリウス・ウルソ:紀元前195年のプラエトル。ヒスパニア・ウルテリオル担当。大カトの下で働く[17]
- ルキウス
- ルキウス・マンリウス・ウルソ:紀元前149年のレガトゥス。ビテュニアのニコメデス2世を監視してアッタロス2世と戦争を起こさないために派遣された三人委員の一人。しかし元老院にプルシアス2世に対する口実がないという理由で呼び戻され、大カトーに足無し脳無しやる気無しの三馬鹿と茶化された[20]
トルクァトゥス家
[編集]- グナエウス・マンリウス・カピトリヌス・インペリオスス:紀元前359年、357年の執政官[21]
- ティトゥス・マンリウス・インペリオスス・トルクァトゥス:紀元前347年、344年、340年の執政官[22]
- ティトゥス
- ルキウス・マンリウス・トルクァトゥス、紀元前295年のレガトゥス[23]
- ティトゥス・マンリウス・トルクァトゥス (紀元前299年の執政官)[24]
- ティトゥス
- アウルス・マンリウス・トルクァトゥス・アッティクス:紀元前244年、241年の執政官[25]
- ティトゥス
- ティトゥス
- ティトゥス
- ティトゥス・マンリウス・インペリオスス・トルクァトゥス:紀元前347年、344年、340年の執政官[22]
- (アウルス・)マンリウス(・トルクァトゥス):紀元前136年のプラエトル。シキリア担当だが奴隷の反乱に敗れる[31]
- ルキウス・マンリウス・トルクァトゥス:紀元前94年頃のクァエストル。元老院の命令で硬貨を発行[32]
- ティトゥス・マンリウス・トルクァトゥス:紀元前78年の元老院議員。年老いて敬虔な資産家としてキケロ『名優クィントゥス・ロスキウス弁護』に登場[33]
- アウルス[34]
- ルキウス
- ルキウス・マンリウス・トルクァトゥス:紀元前49年のプラエトル[39]
- マンリウス・トルクァトゥス:紀元前43年のクァエストル。ガイウス・ウィビウス・パンサ・カエトロニアヌスの下フォルム・ガッロルムの戦いに参加。パンサの死後軍団の指揮権を預かりデキムス・ユニウス・ブルトゥス・アルビヌスに移譲する。パンサの毒殺を疑い医師を逮捕[40]
- アニキウス・マンリウス・トルクアトゥス・セウェリヌス・ボエティウス,6世紀の哲学者
アキディヌス家
[編集]- ルキウス・マンリウス・アキディヌス (紀元前210年の法務官)[41]:その後もスペインでハスドルバルと戦う
セルギアヌス家
[編集]- クィントゥス
- ティトゥス
その他
[編集]- ガイウス・マンリウス:紀元前379年の執政武官[9]
- アウルス・マンリウス:紀元前208年のトリブヌス・ミリトゥム。マルクス・クラウディウス・マルケッルスの下で働くも処刑[46]
- ティトゥス・マンリウス:紀元前164年のレガトゥス。ユダ・マカバイとアンティオコス4世エピファネスの将軍リュシアスとの合意を承認する手紙をユダヤ人に届ける[27]
- アウルス・マンリウス:紀元前107年のレガトゥス。ガイウス・マリウスの下でユグルタ戦争に従軍。軍事基地ラルスを掌握してカプサへの行軍を支援[47]。後ボックス1世との交渉も担当[48]
- ルキウス・マンリウス:紀元前79年のガリア・トランサルピナ担当プラエトル。セルトリウス戦争で窮地に陥っていたヒスパニア・ウルテリオル担当プロコンスルクィントゥス・カエキリウス・メテッルス・ピウスを救援に向かうが敗北[49]
- グナエウス・マンリウス:紀元前72年のプラエトル。ガリア・キサルピナ担当プロコンスルガイウス・カッシウス・ロンギヌス・ウァルスと共にスパルタクスとムティナで戦うも敗れる[50]
プレブス系
[編集]- ティトゥス・マンリウス・マンキヌス:紀元前107年の護民官。ユグルタ戦争における指揮権をマリウスに与える法案を提出。恐らく帰国後のカエキリウス・メテッルスを告発[51]
- クィントゥス・マンリウス:紀元前77年の植民三人委員。キケロ『アウルス・クルエンティウス弁護』『ウェッレス弾劾演説』などに登場[52]
- マンリウス:紀元前72年頃、クィントゥス・セルトリウス配下の士官[53]
- マンリウス・プリスクス:紀元前65年のレガトゥス。グナエウス・ポンペイウスの下第三次ミトリダテス戦争を戦う[54]
- マンリウス・レンティヌス:紀元前62年のレガトゥス。ガリア・トランサルピナ担当プロプラエトルガイウス・ポンプティヌスの下ヴァレンティアを攻撃するなどアッロブロゲス族と戦う[55]
脚注
[編集]- ^ Broughton, Vol.1 24.
- ^ Broughton, Vol.1 28、45.
- ^ Broughton, Vol.1 61.
- ^ Broughton, Vol.1 69.
- ^ Broughton, Vol.1 70.
- ^ Broughton, Vol.1 84.
- ^ Broughton, Vol.1 87.
- ^ Broughton, Vol.1 80.
- ^ a b Broughton, Vol.1 106.
- ^ Broughton, Vol.1 117.
- ^ Broughton, Vol.1 92.
- ^ Broughton, Vol.1 97.
- ^ Broughton, Vol.1 208.
- ^ Broughton, Vol.1 238.
- ^ Broughton, Vol.1 p.279.
- ^ Broughton, Vol.1 333.
- ^ Broughton, Vol.1 340.
- ^ Broughton, Vol.1 360.
- ^ Broughton, Vol.1 395.
- ^ Broughton, Vol.1 460.
- ^ Broughton, Vol.1 121.
- ^ Broughton, Vol.1 125.
- ^ Broughton, Vol.1 178.
- ^ Broughton, Vol.1 173.
- ^ Broughton, Vol.1 217.
- ^ Broughton, Vol.1 223, 226, 231, 290.
- ^ a b Broughton, Vol.1 439.
- ^ Broughton, Vol.1 438.
- ^ Broughton, Vol.1 477.
- ^ キケロ『善と悪との究極について』1.24
- ^ Broughton, Vol.1 486.
- ^ Broughton, Vol.2 p.13.
- ^ Broughton, Vol.2 p.493.
- ^ Broughton, Vol. II, 77.
- ^ Broughton, Vol. II, 127.
- ^ Broughton, Vol. II, 149.
- ^ キケロ『プランキウス弁護』27
- ^ Broughton, Vol. II, 61, 64, 70, 138, 146, 150 (note 11), 151 (note 16), 157, 163, 169..
- ^ Broughton, Vol. II, 135, 256, 277, 289, 297, 298.
- ^ Broughton, Vol.2 p.341.
- ^ Broughton, Vol.1 279.
- ^ Broughton, Vol.1 391.
- ^ Broughton, Vol.1 417,428.
- ^ Broughton, Vol.2 p.444.
- ^ Broughton, Vol.2 p.365.
- ^ Broughton, Vol.1 292.
- ^ Broughton, Vol.1 552.
- ^ Broughton, Vol.1 554.
- ^ Broughton, Vol.2 p.87.
- ^ Broughton, Vol.2 p.116.
- ^ Broughton, Vol.1 551.
- ^ Broughton, Vol.2 p.132.
- ^ Broughton, Vol.2 585.
- ^ Broughton, Vol.2 p.160.
- ^ Broughton, Vol.2 p.177.
参考文献
[編集]- T. R. S. Broughton (1951, 1986). The Magistrates of the Roman Republic Vol.1-3. American Philological Association