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ミューズを率いるアポロ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
リファールダニロワ

ミューズを率いるアポロ』(ミューズをひきいるアポロ、Apollon Musagète )はイーゴリ・ストラヴィンスキーが作曲したバレエ音楽。『ミューズを導くアポロ』、『ミューズを先導するアポロ』、あるいは「ミューズ」を「ミューズの神」とも。ストラヴィンスキーの新古典主義時代の代表的な作品の一つである。

作曲の経緯

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アメリカ議会図書館から現代音楽祭[1]で上演するバレエ音楽を委嘱された[2]ことにより、1927年7月から1928年1月にかけて作曲された。

契約ではテーマは自由とされたが、踊り手の数は6人しかおらず、時間も30分以内とされていた。ストラヴィンスキーはアポロを題材に選んだ。踊り手の制約により、9人いるミューズの中から詩とリズムを象徴するカリオペーマイムを象徴するポリュムニアー、両者の結合によって舞踊を成立させる最も重要な人物であるテルプシコレーの3人を選んだ[2][3]

ストラヴィンスキーは、「パ・ダクシオン」「パ・ド・ドゥ」「ヴァリアシオン」といった、クラシック・バレエの伝統的な形式に厳格に従い、過剰な装飾を排した「白のバレエ」を目指した[2]。このために、音楽は全音階的な技法が用いられ、楽器編成も弦楽合奏のみとされた。

初演

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1928年4月27日にワシントンD.C.のアメリカ議会図書館における現代音楽祭で初演された。振付はアドルフ・ボルム英語版、美術と衣装はニコラス・レミソフが担当し、ルース・ページがテルプシコレーを踊った[4]

ヨーロッパ初演は同年6月12日にパリサラ・ベルナール劇場英語版においてバレエ・リュス、作曲者自身の指揮によって行われた。

「一度きいただけで直ちに聴衆を熱狂させる要素を全然もたない」(『ストラヴィンスキー自伝』199ページより引用)作品であるにもかかわらず、パリ初演は好評であった[5]。ストラヴィンスキーはバランシンやリファールを高く評価したが、ボーシャンによる舞台装置と衣裳については自分の意図と異なるとして不満であった[5]。ストラヴィンスキー本人は美術にジョルジョ・デ・キリコを推薦していた。後にスカラ座で公演したときにはキリコが美術を担当した[6]

パリ公演に引き続き、バレエ・リュスのロンドン公演でも上演された。

バランシンはそれまでもストラヴィンスキー作品の振付に部分的にかかわってきたが、この作品によって振付師としての名声が確立し、その後生涯にわたってストラヴィンスキーとの協力関係が続くことになった[4]

出版は1928年にロシア音楽出版社[7]から行われ、のちブージー・アンド・ホークス社から出版された。1947年に改訂が行われ、1949年にブージー・アンド・ホークス社から出版された。

編成

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第1・第2ヴァイオリンヴィオラ、第1・第2チェロコントラバス

作曲者の指定ではそれぞれ8、8、6、4、4、4、で計34人[8]

ソロ奏者とそれ以外に分かれる箇所がいくつかある。アポロのヴァリアシオンではコントラバス以外のすぺてのパートが分かれて11パートになる。

構成

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2場からなる。全曲で約30分。

第1場(プロローグ)

  • アポロの誕生 Naissance d'Apollon

第2場

  • アポロのヴァリアシオン Variation d'Apollon — Apollon et les Muses
  • パ・ダクシオン(アポロと3人のミューズ) Pas d'action — Apollon et les trois Muses : Calliope, Polymnie et Terpsichore
  • カリオペの踊り Variation de Calliope (l'Alexandrin)
  • ポリヒムニアの踊り Variation de Polymnie
  • テルプシコールの踊り Variation de Terpsichore
  • アポロのヴァリアシオン Variation d'Apollon
  • パ・ド・ドゥ Pas de deux — Apollon et Terpsichore
  • コーダ(アポロとミューズの踊り)Coda — Apollon et les Muses
  • アポテオーズ Apothéose

「カリオペの踊り」の楽譜にはボアロー『詩法』のアレクサンドランが引用されている[9]

脚注

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  1. ^ スポンサーはエリザベス・スプレイグ・クーリッジ夫人
  2. ^ a b c 『自伝』、185-189ページ
  3. ^ White (1979) p.340
  4. ^ a b White (1979) p.345
  5. ^ a b 『自伝』、198ページ
  6. ^ ロバート・クラフト『ストラヴィンスキー 友情の日々』 上、青土社、1998年、222頁。ISBN 4791756541 
  7. ^ : Éditions Russes de Musiqueセルゲイ・クーセヴィツキーによって設立され、新しいロシア音楽の出版を目的とする。1920年以降本部はパリにあった。1947年にブージー・アンド・ホークス社に買収された。
  8. ^ 「14、14、10、4、4、6」という編成で『アポロ』を練習していたオットー・クレンペラーに対し、練習に立ち会っていたストラヴィンスキーが楽器間のバランスの悪さを指摘したため、クレンペラーが上記の編成に修正した(『自伝』、196ページ)。
  9. ^ White 1979, p. 344.

参考文献

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  • 『作曲家別名曲解説ライブラリー25 ストラヴィンスキー』音楽之友社
  • ストラヴィンスキー、塚谷晃弘訳『ストラヴィンスキー自伝』全音楽譜出版社、1981年
  • White, Eric Walter (1979) [1966]. Stravinsky: The Composer and his Works (2nd ed.). University of California Press. ISBN 0520039858