ミン・トゥエ
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ミン・トゥエ မြင့်ထွေး | |
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生年月日 | 1948年9月24日(76歳) |
出生地 | ビルマ連邦、シットウェ |
出身校 |
ラングーン第一医科大学 フィリピン大学 ジョンズ・ホプキンズ大学 |
現職 | 政治家、公衆衛生医師 |
配偶者 | ナン・カン・マイ |
子女 |
ナン・エー・ティーダ・ミン・トゥエ サイ・トゥー・ミン・トゥエ |
親族 |
シュエ・タ・トゥエ(父) エー・イー(母) |
ミャンマー連邦共和国保健・スポーツ大臣 | |
在任期間 | 2016年3月30日 - 2021年2月1日 |
大統領 |
ティンチョー ミンスエ ウィンミン |
ミン・トゥエ(ビルマ語: မြင့်ထွေး, 1948年9月24日 - )は、ミャンマーの政治家、公衆衛生医師。
同国保健・スポーツ大臣を務めた。
経歴
[編集]ビルマ連邦、シットウェにてシュエ・タ・トゥエとエー・イーの息子として誕生する。1966年から1973年までラングーンの医学研究所で学び医学士、外科士を取得、同大学院で1979年に予防・熱帯医学のディプロマを取得。 フィリピン大学システムズ公衆衛生研究所で奨学金を得て、1982年に公衆衛生学修士号を取得。
1992年、アメリカ合衆国ボルチモアのジョンズ・ホプキンス大学ブルームバーグ公衆衛生大学院で公衆衛生学博士号を取得。
大学卒業後、保健省に17年間勤務。1994年にWHO東南アジア地域事務局の地域顧問に任命され、2011年に退職するまで様々な役職を歴任。 WHO東南アジア地域事務局では、プログラム管理部長として加盟国の保健開発支援に尽力した。また、ミャンマー医学アカデミーの執行委員、保健省医学研究局の倫理審査委員会委員長、ミャンマー肝臓財団の副理事長[1]、公衆衛生医としてミャンマー医師会の予防・社会医学学会の会長も務めた。
2014年のテイン・セイン政権下では、ミャンマーにおける宗教改宗と人口抑制策を規制する為の4つの法案のうち、2つを起草した委員会のメンバーだった。2016年3月22日、ティンチョー内閣で保健・スポーツ大臣に指名され、同年3月24日に連邦議会は指名を承認した。 2021年ミャンマークーデター発生後の2021年2月1日、ミャンマー軍はテッ・カイン・ウィンをミン・トゥエの後継者に指名した[2][3]。
脚注
[編集]- ^ Plenary Session. Naypyidaw: 8th Asia Pacific Conference on Reproductive and Sexual Health and Rights. 2016年3月19日閲覧。
- ^ “Myanmar's Health Minister Resigns After Military Takeover” (英語). The Irrawaddy (2021年2月1日). 2021年2月1日閲覧。
- ^ “Tatmadaw names new govt officials”. The Myanmar Times (2021年2月1日). 2021年2月1日閲覧。