メゾン=ラフィット
Maisons-Laffitte | |
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行政 | |
国 | フランスの旗 フランス |
地域圏 (Région) | イル・ド・フランス地域圏 |
県 (département) | イヴリーヌ県 |
郡 (arrondissement) | サン=ジェルマン=アン=レー郡 |
小郡 (canton) | 小郡庁所在地 |
INSEEコード | 78358 |
郵便番号 | 78600 |
市長(任期) |
ジャック・ミヤール (2008年-2014年) |
自治体間連合 (fr) | なし |
人口動態 | |
人口 |
22,566人 (2006年) |
人口密度 | 3343人/km2 |
住民の呼称 | Mansonniens, Mansonniennes |
地理 | |
座標 | 北緯48度56分49秒 東経2度08分44秒 / 北緯48.9469444444度 東経2.14555555556度座標: 北緯48度56分49秒 東経2度08分44秒 / 北緯48.9469444444度 東経2.14555555556度 |
標高 |
平均:38m 最低:22 m 最高:57 m |
面積 | 6.75km2 |
公式サイト | http://www.maisons-laffitte.fr |
メゾン=ラフィット (Maisons-Laffitte)は、フランス、イル=ド=フランス地域圏、イヴリーヌ県のコミューン。
地理・交通
[編集]メゾン=ラフィットはセーヌ川左岸に沿い、サン=ジェルマン=アン=レーの森(fr)の東に位置する。コミューン面積にはセーヌ川に浮かぶコミューン島も含まれている。サン=ジェルマン=アン=レーの約10km北東、パリの約18km北西に位置する。
県道D308が主要道路としてパリ=ポワシー間を結ぶ。1843年より鉄道のパリ・サン・ラザール=ルーアン路線のメゾン=ラフィット駅があり、RER A線、トランジリアンL線の駅となっている。また、ラ・デファンスとの間を走るバス路線がある。
歴史
[編集]メゾン=ラフィットについて最初に記録したものは、820年前後のイルミノンの多翼祭壇画(fr)にさかのぼる。メゾンとはラテン語のmansioに由来する。この記録はイルミノンという名の修道士によって書かれたもので、543年にクローヴィス1世の子キルデベルトが建てたパリのサン=ジェルマン=デ=プレ修道院の資産を識別するため意図して書かれた。しかし多翼祭壇画に描かれたMansionis Villaの名がメゾン=ラフィットと符合するかどうか疑問がある。財産目録には、穀物の畑やブドウ畑が記載されていた。川があるにもかかわらず、村には漁業に関する記載がされていない。村の名は長くメゾン=シュル=セーヌ(Maisons-sur–Seine)であった[1]。
メゾン=ラフィットの歴史は11世紀に明確となる。この時代以降、領主の邸宅の系譜を作成することが可能となる。最初の領主はニヴァール・ド・セトゥイユ家である。彼の子ジョフロワ1世は、1060年から1066年まで、サン=ワンドリユ修道院にメゾン=シュル=セーヌの門を自由に通過する権利を授けた。また1087年頃にメゾン=シュル=セーヌのクーロンブ修道院に教会を、土地とブドウと徴収した税金に一部や献金を与えた。
現在もある教会の周囲に家々が集まって村が形成された。その周囲を墓地や司祭館、旧修道院、城が囲んでいた。
メゾンの封土はニヴァール・ド・セトゥイユの子孫に受け継がれ、その後2人の姪とゴークール家のジャン2世の手に落ちた。1602年、ジャン8世・ド・ロングイユが分割されていたメゾン荘園を統一した。1629年に後継者となったルネ・ド・ロングイユはパリ高等法院の長であり、フランソワ・マンサールに命じて城を建てさせた。
1759年に聖職者シャリーヌが人口を数えたとき、822人であった。内訳は、耕作地の約40%占めるブドウ栽培農家であった。
ロングイユ家の末裔が城と土地を手放した後、主となったのはアルトワ伯(のちのシャルル10世)であった。彼がフランス革命で海外へ逃亡した後、変遷を経て1804年にジャン・ランヌ将軍が新たな領主となった。しかし将軍の死後、未亡人はメゾン領を銀行家ジャック・ラフィットへ売却した。1830年から1831年までフランスの首相を務めたラフィットは、退陣後に不動産取引のためメゾンの領地を分割することに決めた。1833年、厩舎やその付属建築物が、ル・パルク地区(Le parc)で大勢のバイヤーに建築材料を提供するため壊された。彼は新たな通りや広場を設置し、既存の通りを軸として幾何学的設計がなされた。ラフィットは新しい広場や通りに、フランス第一帝政にちなんだ名を付けていった(ナポレオン広場など)。1838年には100戸が既に建っていたが、さながら『メゾン=ラフィットの素晴しい眺め』という広告を集めた版画のアルバムのようだった。これら多くの建物は中流階級が社会的理想とする、小さな建物であった。この新たな住宅地は鉄道の到来に助けられ、より住宅が増え富裕層が移ってくるようになった。
1882年、コミューンはジャック・ラフィットの姓をコミューン名に加え、正式にメゾン=ラフィットとした。
経済
[編集]2019年をもって競馬開催を終了し、調教施設としてリニューアルするメゾン=ラフィット競馬場[2]があるため、コミューンは別名『馬のまち』(cité du cheval)という。
メゾン=ラフィットのル・パルク地区は、コミューン面積の60%を占め、メゾン=ラフィット住民の約40%が暮らしている。
姉妹都市
[編集]関係者
[編集]出身者
[編集]- ジャン・コクトー - 芸術家
- ランディ・ド・プニエ - オートバイレーサー
- ドミニク・ブフ - 元競馬騎手
- ジャン=ルイ・ヴィオヴィ - 物理学者
- フィリップ・ジャルスキー - 歌手
- ジャック・ベルタン - 地図学者
- グレゴリー・ボジェ - 自転車競技選手
居住その他ゆかりある人物
[編集]- アンドレ・ルデュック - ツール・ド・フランスの自転車レーサー。メゾン=ラフィットでカフェ食料品店を営んだり、パリ16区オートゥイユ等に居住した。
- エマ・ワトソン - イギリス人の女優。1990年にパリで生まれ、メゾン=ラフィット居住。5歳の時にオックスフォードへ転居。
脚注
[編集]- ^ Dictionnaire historique des environs de Paris du docteur Ermete Pierotti
- ^ “【沢田康文の欧州リポート】欧州パターン委員会、今年の重賞格付け発表 6競走昇格&8競走降格”. スポーツナビ (2020年2月6日). 2020年2月7日閲覧。