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ヤクルト本社バレーボール部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヤクルト本社バレーボール部
原語表記 ヤクルト本社バレーボール部
ホームタウン 神奈川県藤沢市
創設年 1972年
廃部年 1978年
チーム所在地 神奈川県藤沢市
体育館所在地 神奈川県藤沢市

ヤクルト本社バレーボール部(ヤクルトほんしゃバレーボールぶ)は、神奈川県藤沢市を本拠地に活動していたヤクルト本社の女子バレーボール部である。

概要

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1972年4月に創部[1]。1974、75年度に全日本6人制実業団優勝大会を連覇、実業団リーグ入替戦で久光製薬にも勝利して、チーム創部3年で実業団リーグ(チャレンジリーグの前身)入りを決めた。チームのモットーは全国6万人とも言われた「ヤクルトレディから親しまれるチーム」。試合で全国を転戦する時には、地元のヤクルトレディたちが応援団となった。

ヤクルト本社藤沢工場にあった体育館の入口には大松博文の「為せば成る」という言葉の額が飾り付けてあった。近隣のママさんバレーボールチームを対象にした講習会などを通じて地域密着を図った。

実業団リーグには3シーズン在籍したが、1978年に入替戦に敗れリーグから陥落。ヤシカ廃部に伴う補充大会に推薦された[2]が逆にヤクルトチームも廃部となった。なお、同年にはヤクルトスワローズ日本シリーズで初優勝を飾っている。

成績

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主な成績

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年度別成績

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大会名 順位 参加チーム数 試合数
実業団リーグ 第7回 (1975/76) 4位 6チーム 10 6 4
第8回 (1976/77) 5位 6チーム 10 2 8
第9回 (1977/78) 6位 6チーム 10 1 9

所属選手

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1977年度の選手・スタッフは次の通り。

選手

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背番号 名前 年齢 国籍 Position 備考
1 北原明美 22 日本の旗 日本 レフト
2 田中芳江 22 日本の旗 日本 セッター
3 阿部久子 23 日本の旗 日本 センター
4 橿村よし江 23 日本の旗 日本 レフト 主将
5 前田美智子 21 日本の旗 日本 レフト/ライト
6 藤本ひとみ 21 日本の旗 日本 センター
7 木ノ下恵美子 20 日本の旗 日本 セッター
8 曽根美恵子 20 日本の旗 日本 レフト/ライト
9 千葉康子 20 日本の旗 日本 センター
10 山本紀子 20 日本の旗 日本 レフト
11 蛭沼雅子 19 日本の旗 日本 ライト
12 千葉節子 18 日本の旗 日本 センター
13 和田緑 20 日本の旗 日本 レシーバー
14 藤井由美子 23 日本の旗 日本 レシーバー
- 与田正子 24 日本の旗 日本 ライト
- 増田知子 25 日本の旗 日本 セッター

スタッフ

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役職 名前 国籍 備考
部長 酒井清人 日本の旗 日本
監督 成田明彦 日本の旗 日本
コーチ 山内博 日本の旗 日本
マネージャー 福岡秀子 日本の旗 日本
マネージャー 伊藤鐘代 日本の旗 日本

脚注

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  1. ^ 陸上競技部も同年に創部されている[1]
  2. ^ 月刊バレーボール1979年2月号 98ページ

参考文献

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  • 月刊バレーボール 1977年1月号臨時増刊 '76-77チームの顔 132-133ページ
  • 月刊バレーボール 1978年1月号臨時増刊 '78チームの顔 138-141ページ

外部リンク

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