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ラシュト条約

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ラシュト条約
署名 1732年1月21日
署名場所 ラシュト
締約国 ロシア帝国サファヴィー朝ペルシャ
主な内容
関連条約 ギャンジャ条約
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ラシュト条約ロシア語: Рештский договор英語: Treaty of Resht)は、1732年1月21日イランギーラーン州の都市ラシュトで、ロシア帝国ペルシャの間で締結された条約。

内容

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この条約で、ロシアはクラ川の南の領土要求を放棄した。これは、ロシア・ペルシャ戦争1723年ピョートル1世によって征服した領土のデルベントバクー・ギーラーン州・マーザンダラーン州アスタラーバードも含まれている。

見返りとして、ペルシャの支配者ナーディル・シャーはロシア商人に貿易特権を付与し、オスマン帝国に追われてロシア亡命中のグルジアカルトリ王国国王ヴァフタング6世をオスマン帝国軍をカルトリ王国から追い出せたらすぐに国王の座に復帰させる約束をさせた。この条項は1735年ギャンジャ条約でも確認された[1][2]

当時のペルシャ

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なお、1732年時点でのペルシャはサファヴィー朝タフマースブ2世の治世下だが、パシュトゥーン人ギルザイ部族に奪われていた首都エスファハーンを奪回した摂政のナーディル・シャーが国政の実権を握っている状態であった。

ナーディル・シャーは1736年にタフマースブ2世の子のアッバース3世を退位させて自らがシャーとして即位して、アフシャール朝を開いている。

脚注

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  1. ^ Mikaberidze, Alexander (2011). “Treaty of Resht (1732)”. In Mikaberidze, Alexander. Conflict and Conquest in the Islamic World: A Historical Encyclopedia. ABC-CLIO. p. 346. ISBN 1598843362 
  2. ^ Lang, David Marshall (1957). The Last Years of the Georgian Monarchy, 1658-1832. New York: Columbia University Press. p. 117 

関連項目

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