ラフィー・ウッダウラ
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ラフィー・ウッダウラ شاہجہان ثانی | |
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ムガル皇帝 | |
ラフィー・ウッダウラ | |
在位 | 1719年6月6日 - 9月19日 |
戴冠式 | 1719年6月8日 |
別号 | パードシャー、シャー・ジャハーン2世 |
全名 | ラフィー・ウッディーン・ムハンマド・ラフィー・ウッダウラ |
出生 |
1696年6月 |
死去 |
1719年9月19日 ファテープル・シークリー付近 |
埋葬 | デリー、クトゥブッディーン・バフティヤール・カーキー廟 |
王朝 | ムガル朝(ティムール朝) |
父親 | ラフィー・ウッシャーン |
母親 | ヌールンニサー・ベーグム |
宗教 | イスラーム教(スンナ派) |
ラフィー・ウッダウラ(ヒンディー語:रफी उद-दौलत Rafi ud-Daula, 1696年6月 - 1719年9月19日)は、北インド、ムガル帝国の第11代君主(在位:1719年)。シャー・ジャハーン2世(ウルドゥー語: شاہجہان ثانی Shah Jahan II)とも呼ばれる。父は第7代君主バハードゥル・シャー1世の三男ラフィー・ウッシャーン。
生涯
[編集]1696年6月、ラフィー・ウッダウラは、バハードゥル・シャー1世の三男ラフィー・ウッシャーンとその妃ヌールンニサー・ベーグムの息子として生まれた[1]。
1719年6月6日、サイイド兄弟は皇帝ラフィー・ウッダラジャートを退位させ、その兄であるラフィー・ウッダウラを新たな皇帝とした[1]。
なお、弟の治世にアーグラで擁立されたネクシヤルは、 8月13日に捕えられ、デリーで幽閉されることとなった[1]。
9月19日、サイイド兄弟はラフィー・ウッダウラも弟ラフィー・ウッダラジャートと同じように殺害した[1]。ただし、結核で死亡したとする場合もある。
9月27日、サイイド兄弟はバハードゥル・シャー1世の四男ジャハーン・シャーの息子ムハンマド・シャーを即位させた[1]。
家族
[編集]后妃・子女なし