ラリト・トリプル・スンダリー・デビー

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ラリト・トリプル・スンダリー・デビー
Lalit Tripura Sundari Devi
ネパール王妃
ラリト・トリプル・スンダリー・デビー

出生 1794年
死去 1832年4月6日
ネパール王国 カトマンズハヌマン・ドーカ宮殿
配偶者 ラナ・バハドゥル・シャハ
父親 ナヤン・シンハ・タパ
宗教 ヒンドゥー教
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ラリト・トリプル・スンダリー・デビー(Lalit Tripur Sundari Devi, 1799年 - 1832年4月6日)は、ネパール王国の君主ラナ・バハドゥル・シャハの王妃。マートバル・シンハ・タパジャンガ・バハドゥル・ラナの母の姉妹にあたる。

生涯[編集]

1794年ナヤン・シンハ・タパの娘として生まれた[1]

1805年3月、ネパール王ラナ・バハドゥル・シャハと結婚した[1]

1816年11月ギルバン・ユッダ・ビクラム・シャハが死ぬと、その息子ラジェンドラ・ビクラム・シャハが王位を継承し、故ラナ・バハドゥルの王妃であるラリト・トリプル・スンダリーがその摂政となった[2]。彼女は同じタパ家の出身である執権ビムセン・タパを全面的に支え、そのおかげでビムセンは全権を掌握した[2]

1832年4月6日、ラリト・トリプル・スンダリーはコレラが原因で死亡した[3][1]。 摂政の長期間の統治によって誰もビムセンに反対できずにいたが[2]、彼女が死んだことで抑えられてきた反ビムセン派の人々の動きが表面化し[3]、のちにビムセンの失脚に繋がっていった。

脚注[編集]

  1. ^ a b c Nepal 6
  2. ^ a b c 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.524
  3. ^ a b 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.529

参考文献[編集]

  • 佐伯和彦『世界歴史叢書 ネパール全史』明石書店、2003年。 

関連項目[編集]