日産・リベルタビラ
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(リベルタ・ビラから転送)
日産・リベルタビラ | |
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2代目 1988年10月改良型 | |
概要 | |
製造国 | 日本 |
販売期間 | 1982年-1990年 |
ボディ | |
ボディタイプ |
4ドアセダン(初代-2代目) 3ドアハッチバック(2代目) |
駆動方式 | 前輪駆動/四輪駆動 |
系譜 | |
先代 | 日産・バイオレットリベルタ |
後継 | 4代目日産・パルサーに統合 |
リベルタビラ(LIBERTA VILLA)は、1982年から1990年まで日産自動車が日本国内向けに製造・販売していた小型乗用車。パルサーの日産店向け姉妹車にあたる。
初代 N12型系(1982年-1986年)
[編集]日産・リベルタビラ(初代) N12型系 | |
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1982年6月発売型 SSSターボ | |
概要 | |
販売期間 | 1982年6月 - 1986年 |
ボディ | |
乗車定員 | 5名 |
ボディタイプ | 4ドアセダン |
駆動方式 | 前輪駆動 |
パワートレイン | |
エンジン |
E15ET型 1.5L 直列4気筒 ターボ EGI E15E型 1.5L 直列4気筒 EGI E15S型 1.5L 直列4気筒 キャブレター CD17型 ディーゼル1.7L 直列4気筒 |
変速機 | 3速AT / 4/5速MT |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,415mm |
全長 | 4,120mm |
全幅 | 1,620mm |
全高 | 1,390mm |
車両重量 | 820kg |
その他 | |
販売店 | 日産系販売会社(ブルーバード販売会社) |
データモデル | 1500GF-E 5速MT(1982年) |
系譜 | |
先代 | 日産・バイオレットリベルタ |
前身にあたるバイオレットは1981年、「バイオレットリベルタ」としてフルモデルチェンジを行ったものの、同じ日産店で取り扱われる910型ブルーバードと車格が近いために競合していた。そのため販売店サイドの要請もあって、ブルーバードと競合しない1つ下のサニー/パルサークラスへ移行することとなった。
- 1982年6月 - ハッチバックのみであったパルサー/ラングレー兄弟の4ドアセダン版として登場[1]。パルサーにあった1.3Lの設定はない。発売当初のCMには、当時レパードおよびブルーバードのCMに出演中の加山雄三と沢田研二を起用した事で話題となった。
- 1983年5月 - 低速域から作動する1500ターボ(E15ET)を発売。グレードはSSSターボであった。ブルーバード販売会社で扱うことからブルーバードの弟分というイメージが強かった(同様にラングレーはスカイラインの弟分という位置付けがなされた)。
- 1984年5月 - マイナーチェンジでフロント/リヤまわりのフェイスリフトを実施。既存の1.5GF-Eはスポーティ志向になりSSS-Eに改称。
- 1986年4月 - パワーステアリング・AM/FMラジオ&カセットステレオ・フルドアトリムを装備したモデル末期のお買い得仕様のFCエクストラを追加。同年5月にパルサーがN13にフルモデルチェンジした後もリベルタビラは10月までN12を継続販売。販売終了前月までの新車登録台数の累計は7万291台[2]。
2代目 N13型系(1986年-1990年)
[編集]日産・リベルタビラ(2代目) N13型系 | |
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1986年10月発売型 ハッチバック | |
1988年10月改良型 セダン | |
概要 | |
販売期間 | 1986年10月 - 1990年8月 |
ボディ | |
乗車定員 | 5名 |
ボディタイプ |
4ドアセダン 3ドアハッチバック |
駆動方式 | 前輪駆動/四輪駆動 |
パワートレイン | |
エンジン |
CA16DE型 1.6L 直列4気筒 DOHC E15E→GA15E型 1.5L 直列4気筒 E15S→GA15S型 1.5L 直列4気筒 CD17型 ディーゼル1.7L 直列4気筒 |
変速機 | 3/4速AT / 4/5速MT |
前 |
前:マクファーソンストラットコイル 後:ストラットコイル |
後 |
前:マクファーソンストラットコイル 後:ストラットコイル |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,430mm |
全長 | 4,255mm |
全幅 | 1,655mm |
全高 | 1,380mm |
車両重量 | 1,040kg |
その他 | |
データモデル | セダンSSSツインカム 5速MT(1986年) |
販売期間中の新車登録台数の累計 | 6万5428台[3] |
系譜 | |
後継 | パルサー(4代目)に統合 |
- 1986年10月 - 登場。ボディは4ドアセダンと3ドアハッチバックの2種類。パルサーが先にモデルチェンジされ、後からラングレーと同時にモデルチェンジされた。このモデルから3ドアハッチバックがラインナップに加わり、販売戦略上はこちらをメインにした。燃費のための軽量化よりもハード面や品質面を重視し、パルサーとともに日産初の日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞する。エンジンは初代同様に1.5Lガソリンと1.7Lディーゼル。1.5Lターボに代わって1.6Lツインカムが用意された。ハッチバックには女性仕様車も設定された。
- 1987年1月 - セダンに四輪駆動車を追加。
- 1988年10月 - マイナーチェンジで1.5LのエンジンをE型から12バルブのGA型に変更すると同時にフェイスリフトも行われた。CM出演者は江本孟紀。
- 1990年8月 - 販売終了。パルサーのN14型へのフルモデルチェンジに際し、兄弟車のラングレー/リベルタビラは消滅した。この時期の日産は販売店の統廃合(チェリー店をプリンス店に統合)が進められ、車種整理をしていた時期でもあった。
脚注
[編集]- ^ 『GEIBUN MOOKS No.419 70年代の名車たち PART2』(芸文社、2003年11月10日発行、ISBN 4-87465-674-9)のp.38-p.41でA10バイオレット(2代目バイオレット)が紹介されているが、この記事の中のバイオレットに関する解説文でも「後にバイオレットリベルタに、さらにリベルタビラとなってバイオレットは消滅した」との一文があり、バイオレットリベルタの販売終了とリベルタビラの登場が同時だったことやバイオレットリベルタ・リベルタビラともに車名に「リベルタ」が使用されたこともあって一般的には「リベルタビラはバイオレットリベルタの後継車」「バイオレットリベルタがフルモデルチェンジされて1クラス下のリベルタビラとなった」と考えられている。
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第40号13ページより。
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第61号18ページより。
車名の由来
[編集]リベルタはイタリア語で自由と独立を、ビラはイタリア語で別荘と公園と田舎の家を表している。