コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

日産・プレセア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

プレセアPresea)は、日産自動車1990年から2000年まで製造・販売していた小型乗用車である。

初代 R10型(1990年-1995年)

[編集]
日産・プレセア(初代)
 R10型
1992年6月改良型
概要
製造国 日本の旗 日本
販売期間 1990年6月 - 1995年
デザイン 和田智
ボディ
乗車定員 5名
ボディタイプ 4ドアセダン
駆動方式 前輪駆動
パワートレイン
エンジン GA15DS(E)
SR18Di・SR18DE・SR20DE
変速機 4速AT / 5速MT
サスペンション
ストラット式
パラレルリンクストラット式
車両寸法
ホイールベース 2,500mm
全長 4,395mm
全幅 1,690mm
全高 1,320mm
その他
販売終了前月までの新車登録台数の累計 19万3463台[1]
系譜
先代 日産・スタンザ
日産・ローレルスピリット
(いずれも事実上)
テンプレートを表示
ボディはハードトップ風の4ドアセダンで、1.5L、1.8L、2.0Lの3種類のエンジンを搭載。インバース形状のヘッドランプフロントグリルレスのフロントマスク、ライトを点灯するとマリンブルーに発光するメーターパネルなどを装備する。
当初は国内専用車の位置づけであったが、登場2年目には左側通行/右ハンドル圏の香港タイマレーシアシンガポールインドネシアオーストラリアニュージーランドでの販売を開始した。国内仕様からの変更扱いであることから、プレセアのフロントエンブレムマークが日産CIに変更され、なおかつメーター目盛りも200km/h仕様とした。中国語での車名表記は「日產派雅」である。生産は座間工場
  • 1991年
    • 5月 - スポーツグレード「ブラックスター」追加。
    • 12月 - エクセーヌのシート表皮や運転席パワーシート、本革ステアリングを採用したラグジュアリーグレード「ポーラスター」追加。
  • 1992年6月 - マイナーチェンジ。1.8 LはSR18Di→SR18DE型に変更。フロントバンパーにコーナリングランプを内蔵し、大型化することで全長を25mm延長した。また、スポーツグレードのCt.Sを追加した。
  • 1993年6月 - 全車のエアコン新冷媒化。同時にバニティミラーやイグニッションキー照明などを一部グレードに設定した。日産自動車の創立60周年を記念しシート&トリムなどが専用装備の特別仕様車、1500Ct.II セレクションV60thアニバーサリーを設定。
  • 1994年
    • 5月 - 1.5SV、1.8SV追加。
    • 12月[2] - 生産終了。在庫対応分のみの販売となる。
  • 1995年1月 - 2代目と入れ替わる形で販売終了。

2代目 R11型(1995年-2000年)

[編集]
日産・プレセア(2代目)
R11型
1995年1月発売型
1997年6月改良型 2000レフィナL
概要
製造国 日本の旗 日本
販売期間 1995年1月 - 2000年8月
ボディ
乗車定員 5名
ボディタイプ 4ドアセダン
駆動方式 前輪駆動
パワートレイン
変速機 4速AT / 5速MT
サスペンション
ストラット式
マルチリンク・ビーム式
車両寸法
ホイールベース 2,580mm
全長 4,480mm
全幅 1,695mm
全高 1,325mm
その他
販売期間中の新車登録台数の累計 9万6438台[3]
系譜
後継 ブルーバードシルフィに統合
テンプレートを表示
  • 1993年2月23日 - 1995年3月の座間工場閉鎖に伴い、次期型の生産を村山工場に移管することを発表。
  • 1995年
    • 1月31日[4] - フルモデルチェンジ。同時に生産を村山工場に移管した。B14型サニーをベースに開発。マルチリンク・ビーム式のリアサスペンションが採用された。搭載されたエンジンは全てツインカムのSR20DE型、SR18DE型、GA15DE型の3機種。
    スタイリングはハードトップ風4ドアセダンを踏襲するが、初代ほどの支持を集めることができなかった。ボディデザインが全体的に丸みを帯び、特徴的なリアコンビネーションランプに楕円形のヘッドランプと異形グリルが遮光器土偶を思わせる造形で、評価が分かれることとなった。
    グレード展開はGA15DE車がCt.Ⅰ、Ct.Ⅱ、レフィナ。SR18DE車Ct.Ⅱ、Ct.S、Ct.L、レフィナF。SR20DE車はCt.S、Ct.L、レフィナLとなっていた。上級グレードであるレフィナの純正ナビパッケージを選択した場合、エアコン自体はオートであったが、操作スイッチがナビ本体と一体型の仕様であったため、社外品のナビを装着すると一切の空調の使用が出来ないという致命的な欠点を抱えていたことも販売台数低迷の一因であった。なお、後に一部グレードのオプションで一体型ではないオートエアコンを選択出来るようにしたことでこの欠点は解消されている。
    CM出演者は浅野温子井出薫大和武士
    • 9月26日[5] - 1.8Lおよび2.0LのCt.Sをベースとして、専用ブラック車体色等でスポーティな仕様とした特別仕様車「ブラックスター」を追加。同時に、プレセア全車で助手席エアバッグおよびABSの価格改定が行われた。
  • 1996年
    • 1月16日[6] - 1.5Lおよび1.8LのCt.Ⅱをベースに助手席エアバッグやプレセアスーパーサウンドシステムCDセレクションを標準装備とした特別仕様車「デュアルセレクション」を発売。なお、この特別仕様車は同年3月31日までの期間限定販売となる。
    • 5月20日[7] - デュアルエアバッグやABSなどを標準装備した上級グレードの特別仕様車「1800Ct.Ⅱ レフィナ」「1500Ct.Ⅱ レフィナ」を発売。
  • 1997年8月21日[8] - マイナーチェンジ。
フロントとリアを中心に意匠変更。マルチリフレクターヘッドランプやフロントシート・デュアルエアバッグ、ABS、ブレーキアシストなど安全装備が全車に標準となった。
グレード名が変更され、GA15DE車がE、レフィナF、レフィナ、レフィナLの4グレード、SR18DE車とSR20DE車はレフィナ、レフィナLの2グレードとなる。
CM出演者は松雪泰子に変更。

製造拠点

[編集]
初代
2代目

車名の由来

[編集]
  • プレセア(Presea)は、スペイン語で「宝石」や「かけがえのない大切なもの」を意味する。社内の女性デザイナーが名付け親である。グレード名は車名にちなんだ「Ct.(カラット)」を使用していた。ボディカラーも全て宝石の名前を冠していた。

備考

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第50号13ページより。
  2. ^ プレセア(日産)1990年6月~1994年12月生産モデルのカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月19日). 2020年1月19日閲覧。
  3. ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第66号13ページより。
  4. ^ 新型プレセアを発売』(プレスリリース)日産自動車株式会社、1995年1月31日https://global.nissannews.com/ja-JP/releases/release-ea2ada92a067df51a78ce3a3b2097a8f-19950131-j2022年4月10日閲覧 
  5. ^ プレセアにブラックスターを追加』(プレスリリース)日産自動車株式会社、1995年9月26日https://global.nissannews.com/ja-JP/releases/release-4454c7eb99daae98b9a1ec98f1135318-19950926-j2022年4月10日閲覧 
  6. ^ プレセア特別仕様車を発売』(プレスリリース)日産自動車株式会社、1996年1月16日https://global.nissannews.com/ja-JP/releases/release-4454c7eb99daae98b9a1ec98f106b33e-19960116-j2022年4月9日閲覧 
  7. ^ プレセアの特別仕様車を発売』(プレスリリース)日産自動車株式会社、1996年5月20日https://global.nissannews.com/ja-JP/releases/release-a8a987160a53b8df938002e30c08bd81-19960520-02-j2022年4月10日閲覧 
  8. ^ プレセアをマイナーチェンジ』(プレスリリース)日産自動車株式会社、1997年8月21日https://global.nissannews.com/ja-JP/releases/release-832261c25e9d6fa480b83b275d210dc6-19970821-j2022年4月10日閲覧 
  9. ^ "プレセアに「レフィナS」を追加" (Press release). 日産自動車株式会社. 6 October 1998. 2022年4月9日閲覧
  10. ^ プレセア(日産)のカタログ”. リクルート株式会社\date=2020-1-19. 2020年1月19日閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]