日産・プレセア
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プレセア(Presea)は、日産自動車が1990年から2000年まで製造・販売していた小型乗用車である。
初代 R10型(1990年-1995年)
[編集]日産・プレセア(初代) R10型 | |
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1992年6月改良型 | |
概要 | |
製造国 | 日本 |
販売期間 | 1990年6月 - 1995年 |
デザイン | 和田智 |
ボディ | |
乗車定員 | 5名 |
ボディタイプ | 4ドアセダン |
駆動方式 | 前輪駆動 |
パワートレイン | |
エンジン |
GA15DS(E) SR18Di・SR18DE・SR20DE |
変速機 | 4速AT / 5速MT |
サスペンション | |
前 | ストラット式 |
後 | パラレルリンクストラット式 |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,500mm |
全長 | 4,395mm |
全幅 | 1,690mm |
全高 | 1,320mm |
その他 | |
販売終了前月までの新車登録台数の累計 | 19万3463台[1] |
系譜 | |
先代 |
日産・スタンザ 日産・ローレルスピリット (いずれも事実上) |
- 1990年6月 - 登場。スタンザおよびローレルスピリットの後継として、B13型サニーの基本コンポーネンツを流用して開発された。キャッチフレーズは「絶世のセダンです」「全身センス」で、桐島かれんを起用した見返り美人のCMやトパーズゴールドのテーマカラーなど、和風なテイストが特徴であった。
- ボディはハードトップ風の4ドアセダンで、1.5L、1.8L、2.0Lの3種類のエンジンを搭載。インバース形状のヘッドランプ、フロントグリルレスのフロントマスク、ライトを点灯するとマリンブルーに発光するメーターパネルなどを装備する。
- 当初は国内専用車の位置づけであったが、登場2年目には左側通行/右ハンドル圏の香港・タイ・マレーシア・シンガポール・インドネシア・オーストラリア・ニュージーランドでの販売を開始した。国内仕様からの変更扱いであることから、プレセアのフロントエンブレムマークが日産CIに変更され、なおかつメーター目盛りも200km/h仕様とした。中国語での車名表記は「日產派雅」である。生産は座間工場。
- 1991年
- 1992年6月 - マイナーチェンジ。1.8 LはSR18Di→SR18DE型に変更。フロントバンパーにコーナリングランプを内蔵し、大型化することで全長を25mm延長した。また、スポーツグレードのCt.Sを追加した。
- 1993年6月 - 全車のエアコンを新冷媒化。同時にバニティミラーやイグニッションキー照明などを一部グレードに設定した。日産自動車の創立60周年を記念しシート&トリムなどが専用装備の特別仕様車、1500Ct.II セレクションV60thアニバーサリーを設定。
- 1994年
- 5月 - 1.5SV、1.8SV追加。
- 12月[2] - 生産終了。在庫対応分のみの販売となる。
- 1995年1月 - 2代目と入れ替わる形で販売終了。
2代目 R11型(1995年-2000年)
[編集]日産・プレセア(2代目) R11型 | |
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1995年1月発売型 | |
1997年6月改良型 2000レフィナL | |
概要 | |
製造国 | 日本 |
販売期間 | 1995年1月 - 2000年8月 |
ボディ | |
乗車定員 | 5名 |
ボディタイプ | 4ドアセダン |
駆動方式 | 前輪駆動 |
パワートレイン | |
変速機 | 4速AT / 5速MT |
サスペンション | |
前 | ストラット式 |
後 | マルチリンク・ビーム式 |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,580mm |
全長 | 4,480mm |
全幅 | 1,695mm |
全高 | 1,325mm |
その他 | |
販売期間中の新車登録台数の累計 | 9万6438台[3] |
系譜 | |
後継 | ブルーバードシルフィに統合 |
- 1993年2月23日 - 1995年3月の座間工場閉鎖に伴い、次期型の生産を村山工場に移管することを発表。
- 1995年
- 1月31日[4] - フルモデルチェンジ。同時に生産を村山工場に移管した。B14型サニーをベースに開発。マルチリンク・ビーム式のリアサスペンションが採用された。搭載されたエンジンは全てツインカムのSR20DE型、SR18DE型、GA15DE型の3機種。
- スタイリングはハードトップ風4ドアセダンを踏襲するが、初代ほどの支持を集めることができなかった。ボディデザインが全体的に丸みを帯び、特徴的なリアコンビネーションランプに楕円形のヘッドランプと異形グリルが遮光器土偶を思わせる造形で、評価が分かれることとなった。
- グレード展開はGA15DE車がCt.Ⅰ、Ct.Ⅱ、レフィナ。SR18DE車Ct.Ⅱ、Ct.S、Ct.L、レフィナF。SR20DE車はCt.S、Ct.L、レフィナLとなっていた。上級グレードであるレフィナの純正ナビパッケージを選択した場合、エアコン自体はオートであったが、操作スイッチがナビ本体と一体型の仕様であったため、社外品のナビを装着すると一切の空調の使用が出来ないという致命的な欠点を抱えていたことも販売台数低迷の一因であった。なお、後に一部グレードのオプションで一体型ではないオートエアコンを選択出来るようにしたことでこの欠点は解消されている。
- CM出演者は浅野温子、井出薫、大和武士。
- 9月26日[5] - 1.8Lおよび2.0LのCt.Sをベースとして、専用ブラック車体色等でスポーティな仕様とした特別仕様車「ブラックスター」を追加。同時に、プレセア全車で助手席エアバッグおよびABSの価格改定が行われた。
- 1996年
- 1997年8月21日[8] - マイナーチェンジ。
- フロントとリアを中心に意匠変更。マルチリフレクターヘッドランプやフロントシート・デュアルエアバッグ、ABS、ブレーキアシストなど安全装備が全車に標準となった。
- グレード名が変更され、GA15DE車がE、レフィナF、レフィナ、レフィナLの4グレード、SR18DE車とSR20DE車はレフィナ、レフィナLの2グレードとなる。
- CM出演者は松雪泰子に変更。
- 1998年10月6日[9] - レフィナの1.5Lおよび1.8Lモデルをベースとした特別仕様車「レフィナS」を発売。
- 1999年8月[10] - オーダーストップに伴う生産完了。在庫のみの対応となる。
- 2000年8月 - 日産リバイバルプランの一環として抜本的な車種構成の見直しが行われ、販売終了と同時にブルーバードシルフィに統合された。
製造拠点
[編集]- 初代
- 2代目
車名の由来
[編集]- プレセア(Presea)は、スペイン語で「宝石」や「かけがえのない大切なもの」を意味する。社内の女性デザイナーが名付け親である。グレード名は車名にちなんだ「Ct.(カラット)」を使用していた。ボディカラーも全て宝石の名前を冠していた。
備考
[編集]- 警察では、2代目が捜査用覆面パトカーや機動隊の連絡車として使用されていることもある。
- いわゆる国内専用車であったが、販売不振による並行輸出が目立つようになり、香港やシンガポールなどの東南アジア諸国及びオーストラリア、ニュージーランドといったオセアニア諸国への輸出が多かった。
脚注
[編集]- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第50号13ページより。
- ^ “プレセア(日産)1990年6月~1994年12月生産モデルのカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月19日). 2020年1月19日閲覧。
- ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第66号13ページより。
- ^ 『新型プレセアを発売』(プレスリリース)日産自動車株式会社、1995年1月31日 。2022年4月10日閲覧。
- ^ 『プレセアにブラックスターを追加』(プレスリリース)日産自動車株式会社、1995年9月26日 。2022年4月10日閲覧。
- ^ 『プレセア特別仕様車を発売』(プレスリリース)日産自動車株式会社、1996年1月16日 。2022年4月9日閲覧。
- ^ 『プレセアの特別仕様車を発売』(プレスリリース)日産自動車株式会社、1996年5月20日 。2022年4月10日閲覧。
- ^ 『プレセアをマイナーチェンジ』(プレスリリース)日産自動車株式会社、1997年8月21日 。2022年4月10日閲覧。
- ^ "プレセアに「レフィナS」を追加" (Press release). 日産自動車株式会社. 6 October 1998. 2022年4月9日閲覧。
- ^ “プレセア(日産)のカタログ”. リクルート株式会社\date=2020-1-19. 2020年1月19日閲覧。