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日産・ラングレー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ラングレーLangley)は日産自動車がかつて製造していた小型自動車。通称スカイラインズ・ミニSkyline's Mini)。

日産・ラングレー
3代目 4ドアモデル(日本仕様)
概要
製造国 日本の旗 日本
販売期間 1980年-1990年
ボディ
ボディタイプ 3ドアハッチバック(初代-3代目)
5ドアハッチバック(2代目)
4ドアセダン(3代目)
駆動方式 前輪駆動(初代から3代目)
四輪駆動(3代目)
系譜
後継 4代目パルサーに統合
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概要

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小型大衆車クラスのエントリーカーを日産プリンス(スカイライン販売会社)系列の販売会社に設定するため、パルサーをベースにした姉妹車であった。プリンス系列の販売会社で扱うため、広告や車体デザインではスカイラインとの関連性を主張していた。後に日産のラインナップ整理の都合でパルサーに統合された。

歴史

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初代 N10型系(1980年-1982年)

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日産・ラングレー(初代)
N10型系
概要
販売期間 1980年6月 - 1982年6月
ボディ
乗車定員 5人
ボディタイプ 3ドアハッチバック
エンジン位置 フロント
駆動方式 前輪駆動
パワートレイン
エンジン A14E型 1.4L 直4 EGI
A14型 1.4L 直4 キャブレター
E15E型 1.5L 直4 EGI
E15S型 1.5L 直4 キャブレター
変速機 3速AT / 5速MT
前:マクファーソンストラットコイル
後:トレーリングアームコイル
前:マクファーソンストラットコイル
後:トレーリングアームコイル
車両寸法
ホイールベース 2,395mm
全長 3,960mm
全幅 1,620mm
全高 1,360mm
車両重量 860kg
その他
データモデル X-E 1.4 EGI 5速MT(1980年)
販売店 日産プリンス(スカイライン販売会社)
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  • 1980年6月 - 新登場。キャッチフレーズは「愛のラングレー」。初代(N10型)パルサーをベースにフロント・テール周りの意匠を変えて設定された(ヘッドランプレンズC210型スカイライン(後期型)より流用)。ボディバリエーションはパルサーとは異なり、3ドアハッチバックのみの設定であった。エンジンはA14OHV4気筒1.4L(80馬力)、A14E型OHV4気筒1.4L・EGI(92馬力)のみであった。サスペンションは4輪独立懸架で、フロントがストラット・コイル、リアがトレーリングアーム・コイルであった。Type-Xには運転席からの各操作を容易にするための工夫が施されており、助手席を前に倒すレバーが助手席の背掛けの運転席側に設けられ、後席の三角窓の開閉はパーキングブレーキの後部に設置されたレバーにより操作できるよう運転手の利便性が考慮されていた。エンジンレイアウトは横置きであるが、ミニなどと同じイシゴニス式(オートバイなどと同じく、エンジンの下に変速機が来て、ギヤオイルとエンジンオイルを共用するレイアウト)であった。
  • 1981年3月 - 初代パルサーのマイナーチェンジに合わせる形でエンジンはE15SSOHC4気筒1.5L(85馬力)、E15E型SOHC4気筒1.5L・EGI(95馬力)に変更された。このマイナーチェンジでAT車が新たに設定された。このATは日産内製のFF用新設計のものであった。5速マニュアル車のシフトパターンもヒューランドパターン(左下1速、左上リバース)から通常パターンに変更された。またエンジンレイアウトも、現在のエンジン横置きFF車の一般的な方式であるジアコーサ式(エンジンと変速機が直列となるレイアウト)に変更された。

2代目 N12型系(1982年-1986年)

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日産・ラングレー(2代目)
N12型系
5ドアハッチバック
概要
販売期間 1982年6月 - 1986年10月
ボディ
乗車定員 5人
ボディタイプ 3 / 5ドアハッチバック
エンジン位置 フロント
駆動方式 前輪駆動
パワートレイン
エンジン E15ET/E15E/E15S型 1.5L 直4
CD17型 ディーゼル1.7L 直4
変速機 3速AT
5速 / 4速MT
前:マクファーソンストラットコイル
後:トレーリングアームコイル
前:マクファーソンストラットコイル
後:トレーリングアームコイル
車両寸法
ホイールベース 2,415mm
全長 3,975mm
全幅 1,620mm
全高 1,390mm
車両重量 785kg
その他
データモデル 3ドア タイプX 5速MT(1982年)
販売終了前月までの新車登録台数の累計 15万1619台[1]
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  • 1982年6月 - 発売。キャッチフレーズは「ケンとメリーのスカイライン」を意識した「ポールとポーラの新ラングレー」。先代モデルと同様、2代目(N12型)パルサーの一部の意匠を変えたモデルであった。このモデルよりリベルタビラ姉妹車となった。パルサー/リベルタビラとの車体デザイン上の相違点はグリル・テールランプが異なる程度の僅かなものとなった。なお、2代目パルサーは5代目(B11型)サニーと基本部分を共用していた。ボディバリエーションはパルサー/リベルタビラにあった4ドアセダンは設定されず、3/5ドアハッチバックのみであった。エンジンはE15S型キャブレター4気筒1.5L(85馬力)、E15E型EGI4気筒1.5L(95馬力)の設定であった。
  • 1983年5月 - E15ET型4気筒ターボ1.5L(115馬力)とCD17型SOHC4気筒1.7Lディーゼル(61馬力)が追加された。
  • 1984年5月 - マイナーチェンジが行われ、内外装の変更が行われた。
  • 1985年5月 - 「3ドア/5ドア1500Xエラン」、「3ドア1500タイプai」および「3ドア1500ホワイト・シルキー」を新設定した。また、ターボ車のターボチャージャーの冷却方式を油冷式から水冷式に変更。

3代目 N13型系(1986年-1990年)

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日産・ラングレー(3代目)
N13型系
4ドアセダン 前期型 1500タイプX
3ドアハッチバック 前期型 1500タイプX
3ドアハッチバック 後期型 1500タイプF
概要
販売期間 1986年10月 - 1990年8月
ボディ
乗車定員 5人
ボディタイプ 3ドアハッチバック
4ドア セダン
エンジン位置 フロント
駆動方式 前輪駆動 / 四輪駆動
パワートレイン
エンジン CA16DE型 1.6L 直4
E15E→GA15E型 1.5L 直4
E15S→GA15S型 1.5L 直4
CD17型 ディーゼル1.7L 直4
変速機 4速/ 3速AT
5速 / 4速MT
前:マクファーソンストラットコイル
後:ストラットコイル
前:マクファーソンストラットコイル
後:ストラットコイル
車両寸法
ホイールベース 2,430mm
全長 4,035mm
全幅 1,655mm
全高 1,380mm
車両重量 1,030kg
その他
データモデル 3ドア GTツインカム 5速MT(1987年)
販売期間中の新車登録台数の累計 9万9802台[2]
系譜
後継 日産・パルサー(4代目)に統合
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  • 1986年10月 - 発売。CMキャラクターにはレーシングドライバーの鈴木亜久里が起用された。キャッチフレーズは「亜久里がレーサーしない日」、「スカイラインズ・ミニ」。3代目パルサー/2代目エクサ/2代目リベルタビラ(各N13型)が姉妹車であった。ビスカスカップリングを用いたフルオートフルタイム4WD(当初パルサーに設定)などが評価され、姉妹車のパルサー/エクサ(EXA)/リベルタビラと共に日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞している。リベルタビラとボディを共用し、ボディバリエーションは3ドアハッチバックに加え4ドアセダンも設定された。エンジンはE15S型キャブレター4気筒1.5L(73馬力)、E15E型EGI4気筒1.5L(82馬力)、CA16DEDOHC16バルブ4気筒1.6L(120馬力)、CD17型4気筒1.7Lディーゼル(55馬力)が設定された。後のマイナーチェンジで1.5LはGA15S型(85馬力)、GA15E型(97馬力)の各SOHC12バルブに変更された。また、CA16DE搭載車と1.5L EGIエンジン車には当時の日産車では限られた車種にしか付けられなかった「GT」のグレード名が与えられ、インパネ周りやステアリング等は当時のR31型スカイラインに酷似したデザインを採用している。
  • 当代から新設定されたセダンのリアデザインはスカイラインに酷似した丸型のテールランプで、スカイラインのイメージを更に強調し、こちらを販売戦略上のメインとした。尚、スカイラインのテールランプの発光部は中央が抜けたドーナツ型であるが、本車種は丸型全体が発光するものであった。ナンバープレート位置はバンパー下に設置されている。
  • スキーが人気だったこともあり、当時としてはまだ珍しいトランクスルーを採用し、スキー板などの長尺物を収納できるようになっていた。
  • 1987年1月 - 4WDが追加された。この4WDシステムはセンターデフにビスカスカップリングを用いた画期的なシステムであった。
  • 1988年9月 - マイナーチェンジが行われ、1.5LのエンジンはGA15S型(85馬力)とGA15E型(97馬力)に換装され、SOHC12バルブ(1気筒あたり3バルブ)およびタイミングチェーン化された。内外装も変更される。
  • 1990年8月 - パルサーが4代目(N14型)にフルモデルチェンジされると同時に販売終了。10年の歴史に幕を閉じた。ラングレーシリーズの国内累計総合生産台数は約29万1000台であった[3]

車名の由来

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ラングレーは太陽密度の放射エネルギーを示す単位名である。単位名は航空学のラングレー博士の業績にちなんで付けられたものである。

脚注

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  1. ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第93号5ページより。
  2. ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第61号17ページより。
  3. ^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第45号19ページより。

関連項目

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外部リンク

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