リュールセンTNC-45型高速戦闘艇
シーウルフ級ミサイル艇 | |
---|---|
シンガポール海軍「シードラゴン」 | |
基本情報 | |
種別 | ミサイル艇 |
運用者 | シンガポール海軍 |
就役期間 | 1972年 - 2008年 |
次級 | ヴィクトリー級 (MGB-62型) |
要目 | |
基準排水量 | 225トン |
満載排水量 | 252トン |
全長 | 44.90 m |
最大幅 | 7.0 m |
吃水 | 2.48 m |
主機 |
MTU 16V538 ディーゼルエンジン×4基 |
推進器 | スクリュープロペラ×4軸 |
出力 | 14,400馬力 |
速力 | 38ノット |
航続距離 | 2,000海里 (15kt巡航時) |
乗員 | 40名 |
兵装 |
・70口径57mm単装速射砲×1基 ・70口径40mm単装機関砲×1基 ・ガブリエルSSM×5発 |
レーダー |
・デッカTM626 航法用 ・WM-28 目標捕捉・射撃指揮用 |
リュールセンTNC-45型高速戦闘艇(英語: Lürssen 'TNC-45' type fast attack craft)は、西ドイツのリュールセン (Lürssen) 社によって開発された高速戦闘艇。またほぼ同型のFPB-44、45についても本項で扱う。
来歴
[編集]1875年の創業以来、リュールセン社の高速艇には定評があり、第一次世界大戦当時には魚雷艇(LMボーテ)、また戦間期にはSボートを世に送り出した。第二次世界大戦後にも、ドイツ再軍備とともに高速戦闘艇の分野に再参入し、連邦軍(西ドイツ海軍)の高速戦闘艇のほとんどを手がけていた[1]。その一つが戦後に新規設計された140型(ヤグアル級)だったが、この艇に着目したイスラエル海軍は、これを発展させたサール型の設計を依頼し、自国で開発したガブリエル艦対艦ミサイルと組み合わせて、ミサイル艇として運用していた[2]。
イスラエルからの発注を受ける一方で、リュールセン社自身もミサイル艇の開発を進めており、これによって開発された艇のひとつが本型である。1967年10月のエイラート事件を受けて、西側諸国でもミサイル艇が注目され、本型にも発注が相次ぐようになった。まず1970年、シンガポール[3]およびアルゼンチンによって発注された[4]。1973年には、タイがシンガポール艇の準同型艇を[5]、またマレーシアも低速の砲艇バージョンを発注した[6]。その後、1970年代後半にはペルシア湾岸諸国の発注が相次いだ。アラブ首長国連邦(UAE)は1977年[7]、クウェートも改良型を1980年に発注した[8]。バーレーンも、1979年および1985年に2隻ずつを発注した[9]。
設計
[編集]船体設計は基本的に同様で、全長44.9メートル、幅7メートルである[2]。主機は、マイバッハMD 870シリーズ、またこれを改番したMTU 16V538ディーゼルエンジン4基で4軸のスクリュープロペラを駆動する方式が基本とされた。ただしマレーシア艇では3基3軸方式とされている[6]。
主兵装となる艦対艦ミサイルとして、シンガポール艇とタイ艇ではガブリエルを採用したが、シンガポール艇では、1985年から1992年にかけてハープーンに換装した[3]。UAE・バーレーン・クウェートではエグゾセを搭載しており、特にUAE艇は、エグゾセMM40を搭載して艦隊配備された初の艦艇となった[7]。アルゼンチン艇はミサイルを搭載せず、長魚雷発射管2基(SST-4魚雷)を主兵装とする魚雷艇とされていたが[10]、「イントレピダ」では1998年に、また「インドミタ」でも2009年よりエグゾセを搭載した[11]。またマレーシア艇は対艦兵器をもたず、砲艇として運用されている[12][6]。
艦砲は、東南アジア諸国(シンガポール・タイ・マレーシア)ではボフォース社の70口径57mm単装速射砲Mk.1を搭載した[3][5][6]。一方、アルゼンチンおよびペルシア湾岸諸国(UAE・バーレーン・クウェート)では、オート・メラーラ社の62口径76mm単装速射砲が採用された[4][7][8][9]。
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アルゼンチン海軍「イントレピダ」
同型艦一覧
[編集]運用国 | # | 艦名 | 進水 | 就役 | 退役 |
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アルゼンチン海軍[4][10] (イントレピダ級) |
P-85 | イントレピダ ARA Intrépida |
1973年12月2日 | 1974年7月20日 | 就役中 |
P-86 | インドミタ ARA Indómita |
1974年4月8日 | 1974年12月 | ||
エクアドル海軍 (キト級) |
LM21 | キト BAE Quito |
n/a | n/a | |
LM23 | グアヤキル BAE Guayaquil | ||||
LM24 | クエンカ BAE Cuenca | ||||
バーレーン海軍[9][13] (アハマド・アル・ファテフ級) |
20 | アハマド・アル・ファテフ RBNS Ahmad El Fateh |
n/a | 1984年2月5日 | |
21 | アル・ジェベリ RBNS Al Jabery |
1984年5月 | |||
22 | アブドゥル・ラフマーン・アル・ファデル RBNS Abdul Rahman Al Fadel |
1986年1月5日 | |||
23 | アル・タウィーラ RBNS Al Taweelah |
1989年 | |||
クウェート海軍[8][14] (アル・ブーム級) |
K 453 → P 4505 |
ジャルブート Jalboot →アル・サムブーク Al Sanbouk |
1982年5月 | 1984年4月26日 | |
K 451 → P 4501 |
ワルギーヤ Wergiya →アル・ブーム Al Boom |
1982年3月 | イラク軍のクウェート侵攻後、 いずれも大破または撃沈 | ||
K 452 → P 4503 |
マシュワー Mashuwah →アル・ベティール Al Betteel |
1982年4月 | |||
K 455 → P 4507 |
イスティクラル Istiqlal →アル・サアディー Al Saadi |
1982年12月 | 1984年8月9日 | ||
P 4509 | アル・アハマディ Al Ahmadi |
n/a | |||
P 4511 | アル・イスティクラル Al Istiqlal | ||||
マレーシア海軍[6][12] (ジェロン級) |
3505 | ジェロン KD Jerong |
1975年7月28日 | 1976年3月23日 | 就役中 |
3506 | トゥダク KD Tudak |
1976年3月16日 | 1976年6月16日 | ||
3507 | パウス KD Paus |
1976年6月2日 | 1976年8月18日 | ||
3508 | ユー KD Yu |
1976年7月17日 | 1976年11月15日 | ||
3509 | バウン KD Baung |
1976年10月5日 | 1977年7月11日 | ||
3510 | パリ KD Pari |
1977年1月 | 1977年3月23日 | ||
シンガポール海軍[3][15] (シーウルフ級) |
P76 | シーウルフ RSS Sea Wolf |
n/a | 1972年 | 2008年 |
P77 | シーライオン RSS Sea Lion | ||||
P78 | シードラゴン RSS Sea Dragon |
1974年 | |||
P79 | シータイガー RSS Sea Tiger | ||||
P80 | シーホーク RSS Sea Hawk |
1975年 | |||
P81 | シースコーピオン RSS Sea Scorpion | ||||
タイ海軍[5][16] (プラブラパク級) |
311 | プラブラパク HTMS Prabrarapak |
1975年7月29日 | 1976年7月28日 | 就役中 |
312 | ハナク・サットル HTMS Hanhak Sattru |
1975年10月28日 | 1976年11月6日 | ||
313 | サファーリン HTMS Suphairin |
1976年2月20日 | 1977年2月1日 | ||
アラブ首長国連邦海軍[7][17] (バニヤス級, ムバラス級) |
P-4501 | バニヤス Baniyas |
n/a | 1980年11月 | |
P-4502 | マーバン Marban | ||||
P-4503 | ロゴム Rodqum |
1981年4月 | |||
P-4504 | シャヒーン Shaheen | ||||
P-4505 | サクル Saqar |
1981年6月 | |||
P-4506 | タリフ Tarif | ||||
P-4401 | ムバラス Mubarraz |
1990年8月 | |||
P-4402 | マカシブ Makasib |
出典
[編集]- ^ 野木 2002.
- ^ a b 海人社 1995.
- ^ a b c d Gardiner 1996, p. 332.
- ^ a b c Gardiner 1996, p. 12.
- ^ a b c Gardiner 1996, p. 465.
- ^ a b c d e Gardiner 1996, p. 260.
- ^ a b c d Gardiner 1996, p. 477.
- ^ a b c Gardiner 1996, p. 253.
- ^ a b c Gardiner 1996, p. 22.
- ^ a b Prezelin 1990, pp. 8–9.
- ^ Saunders 2009, p. 18.
- ^ a b Prezelin 1990, p. 357.
- ^ Prezelin 1990, p. 27.
- ^ Prezelin 1990, p. 348.
- ^ Prezelin 1990, p. 462.
- ^ Prezelin 1990, p. 523.
- ^ Prezelin 1990, p. 689.
参考文献
[編集]- Gardiner, Robert (1996). Conway's All the World's Fighting Ships 1947-1995. Naval Institute Press. ISBN 978-1557501325
- Prezelin, Bernard (1990). The Naval Institute Guide to Combat Fleets of the World, 1990-1991. Naval Institute Press. ISBN 978-0870212505
- Saunders, Stephen (2009). Jane's Fighting Ships 2009-2010. Janes Information Group. ISBN 978-0710628886
- 野木, 恵一「世界のミサイル艇メーカー」『世界の艦船』第597号、海人社、2002年6月、98-101頁、NAID 40002156364。
- 海人社(編)「世界の高速戦闘艇ラインナップ (特集・現代の高速戦闘艇)」『世界の艦船』第502号、海人社、1995年10月、76-83頁。
関連項目
[編集]- コンバタント-II型 - フランスCMN社の同規模艇。リュールセン社も設計に関与しており、一部の艇の建造を分担した。