ルキウス・コルネリウス・スキピオ・バルバトゥス
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ルキウス・コルネリウス・スキピオ・バルバドゥス L. Cornelius Cn. f. - n. Scipio Barbatus[1] | |
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スキピオ•バルバトゥスの墓碑(バチカン美術館蔵) | |
出生 | 不明 |
死没 | 不明 |
出身階級 | パトリキ |
一族 | スキピオ家 |
氏族 | コルネリウス氏族 |
官職 |
アエディリス(紀元前301年?) 執政官(紀元前298年) プロプラエトル(紀元前295年) ケンソル(紀元前280年?) 最高神祇官?(紀元前304年以前-280年以降) |
後継者 |
ルキウス・コルネリウス・スキピオ グナエウス・コルネリウス・スキピオ・アシナ |
ルキウス・コルネリウス・スキピオ・バルバドゥス(ラテン語: Lucius Cornelius Scipio Barbatus)は、 紀元前3世紀の共和政ローマの政治家、軍人。
父はグナエウスということしか分かってはいないが、息子にはルキウス・コルネリウス・スキピオとグナエウス・コルネリウス・スキピオ・アシナがいる。
紀元前298年に執政官(コンスル)を務め、主にエトルリア人・サムニウム人との攻防に従事した。紀元前280年には監察官(ケンソル)も務めている。
彼の墓石がヴァチカン美術館に現存している。墓石には以下のような言葉が古ラテン語で書かれている。
ラテン語原文:
CORNELIVS·LVCIVS·SCIPIO·BARBATVS·GNAIVOD·PATRE
PROGNATVS·FORTIS·VIR·SAPIENSQVE—QVOIVS·FORMA·VIRTVTEI·PARISVMA
FVIT—CONSOL CENSOR·AIDILIS·QVEI·FVIT·APVD·VOS—TAVRASIA·CISAVNA
SAMNIO·CEPIT—SVBIGIT·OMNE·LOVCANA·OPSIDESQVE·ABDOVCIT
日本語訳:
コルネルウス・ルキウス・スキピオ・バルバトゥス、父グナエウスより出でて、力と叡智を持ち美徳を容姿に保ちし者ここに眠る。彼は汝たちの執政官、監察官、按察官にてタウラシア、キサウナ、サムニウムを攻略せりし者、ルカニア人を従へ捕虜を解放せし者なり
出典
[編集]- ^ Broughton Vol.1, p. 174.
参考文献
[編集]- T. R. S. Broughton (1951, 1986). The Magistrates of the Roman Republic Vol.1. American Philological Association
関連項目
[編集]公職 | ||
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先代 マルクス・フルウィウス・パエティヌス V ティトゥス・マンリウス・トルクァトゥス |
執政官 同僚:グナエウス・フルウィウス・マクシムス・ケントゥマルス 紀元前298年 |
次代 クィントゥス・ファビウス・マクシムス・ルッリアヌスIV プブリウス・デキウス・ムス III |
公職 | ||
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先代 紀元前283年 クィントゥス・カエディキウス・ノクトゥア、 不明 |
ローマのケンソル 紀元前280年 XXXII 同僚 グナエウス・ドミティウス・カルウィヌス・マクシムス |
次代 紀元前275年 XXXIII ガイウス・ファブリキウス・ルスキヌス、 クィントゥス・アエミリウス・パプス |