ルーシ語
ルーシ語 | |
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話される国 | リトアニア大公国、ポーランド王国、ポーランド・リトアニア共和国、モルドヴァ公国、ヘーチマン国家 |
消滅時期 | 18世紀。ウクライナ語とベラルーシ語へ発展した |
言語系統 | |
表記体系 | キリル文字 |
言語コード | |
ISO 639-2 |
sla |
ISO 639-3 | — |
14世紀における東スラヴ語の図。ルーシ語の範囲は緑の境界線で示されている。ルーシ人の口語は以下のとおり。 南西東スラヴ(ウクライナ語の南西部方言)
南東スラヴ語(ウクライナ語の北部・南東部方言)
中部東スラヴ語(ベラルーシ口語の祖語) |
ルーシ語[1][2](ルーシご; руский языкъ, проста мова)は、インド・ヨーロッパ語族スラヴ語派東スラヴ語群の言語の一つである。14世紀から18世紀にかけて今日のウクライナやベラルーシにあたる地域におけるルーシ人、およびモルダヴィアの正教徒が用いた文語である。ウクライナ語やベラルーシ語の祖語であり、今日では死語となっている。外名でルテニア語(英語: Ruthenian language; ドイツ語: Ruthenische Sprache)あるいはロシア語と呼ばれることもあるが(本文参照)、それぞれ別の言語と紛らわしい[注 1]。
概要
[編集]キエフ・ルーシの崩壊によって文化的・政治的中心が拡散し、諸公国間の隔たりが大きくなるにつれ、言語も地方ごとに分化していった。キエフ・ルーシ時代の古ルーシ語(古代ロシア語)は、今日のウクライナ語やベラルーシ語に繋がる共通祖語と今日のロシア語に繋がる祖語とに分化した。その前者が、ルーシ語であった。後者は、今日の学術用語で古ロシア語(Старору́сский язы́к)[注 2]と呼ばれて区別される(右地図、オレンジ破線内の地域言語)。この両者が、前近代の東スラヴ語を構成する二大言語であった。
同時代に現地に存在した諸国家のうち、リトアニア大公国、ポーランド王国、ポーランド・リトアニア共和国、モルドヴァ公国、ヘーチマン国家で公用語のひとつとして使用された。
近代になると、ルーシ語は近代的なウクライナ語とベラルーシ語(白ロシア語)に分化していった。しかし、ロシア帝国の政策によってその独自性はつねに弾圧にさらされており、ロシア帝国においてはあくまで「ロシア語の方言」というステータスしか与えられていなかった。そのため、同時代では比較的規制の緩かったオーストリア=ハンガリー帝国領下に入った西ウクライナが言語活動の中心地となっていった。
名称
[編集]ウクライナ語とベラルーシ語の祖語とされているので、古ウクライナ語(Староукраї́нська мо́ва)、古ベラルーシ語[注 3](Старабелару́ская мо́ва)とも呼ばれる。また、19世紀のロシア語を中心とした研究史では西ロシア文語[注 4](にしロシアぶんご; Западнору́сский пи́сьменный язы́к)と呼ばれた。西ロシア語については、「古代ベロルシア語と教会スラヴ語が混合した」リトアニア大公国の公式の言語として西部ルーシ語とも説明される[3]。
日本での呼び名は一定しておらず、文献や研究者によって様々な呼ばれ方をしている。ロシア語あるいはルテニア語と呼ばれることがあるが、前者を今日の「ロシア語」と混同してはならない(ルーシのギリシア語名としてのロシア、ラテン語名としてのルテニア)。後者は西欧史関連の文献を中心に見られる用語であるが、これはルーシという地域が歴史上オーストリア=ハンガリー帝国の領土とされた時代があった関係で、カトリックの文化圏で標準的に用いられるラテン語に準拠して地域名をラテン語名で呼び、オーストリアやハンガリーに居住する東スラヴ系住民(従ってルテニア人)の用いる言語(このページでいうルーシ語)をルテニア語としているためである。逆に、ロシア語という翻訳はギリシア語やロシア語をより重視しているロシア文化一般や正教会を中心にした分野で見られる。
一方、当のウクライナ史、ベラルーシ史、ロシア史関係の文献、およびロシア文学の解説書[注 5]では、もっぱら(当時の)ウクライナ語あるいは(当時の)ベラルーシ語と記されている[4]。一部では古ベラルーシ語(ミドル・ベロラッシアン)[5]とする翻訳が見られる一方、ロシア語(実際にはウクライナ語)という記述も見られる[6]。少なくとも言語学、文学、歴史学の分野では訳語はどうあれ、解説においてこの時点で大ロシア語[注 6]とウクライナ語、ベラルーシ語という三言語が分化したと明記しており、このページでいうルーシ語と今日のロシア語は厳密に区別されていてルーシ語が「ロシア語の祖語」であるかのような誤解は存在しない[7]。
なお、日本で中世ロシア語といった場合、このページでいうルーシ語を指す場合と、同時代に今日のヨーロッパ・ロシアに当たる地域で用いられた古ロシア語を指す場合とがあるが、両者を混同してはならない。ただし、これらすべての言語を古ルーシ語(古代ロシア語)あるいは教会スラヴ語の近世におけるバリエーション、あるいはそれぞれの地域で分化した方言とみなす場合がある。その場合は、「古代ロシア語のウクライナ方言」とか、「教会スラヴ語のベラルーシ方言」などとみなされる[6]。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ しばしばルテニア語と呼ばれるルシン語やパンノニア・ルシン語、それにロシア語。
- ^ 別名、古大ロシア語(Старовеликору́сский язы́к)
- ^ または古白ルーシ語(こはくルーシご)、古白ロシア語。これはたんに翻訳の仕方が違うだけであり、「ベラルーシ」は「白ルーシ」、すなわち「白ロシア」という意味である。
- ^ または西ルーシ文語。ロシア語に限っては、「ルーシの」という形容詞と「ロシアの」という形容詞に区別がないため、どちらで翻訳すべきか場合によって判断される。従って、仮にロシア語でも「ルーシ語」を指して Русский язык と書けば同時に「ロシア語」という意味になってしまい、今日のロシア語(Русский язык)とウクライナ語・ベラルーシ語の祖語であるルーシ語との区別がつかなくなるため、そのようには書かない。
- ^ ウクライナ文学やベラルーシ文学に関する同種の解説書は存在しないため、ロシア文学のみについて言及する。
- ^ 今日のロシア語。
出典
[編集]- ^ チャールズ・J・ハルパリン 著、中村正己 訳『ロシアとモンゴル……中世ロシアへのモンゴルの衝撃』図書新聞、東京、2008年、257頁。ISBN 978-4-88611-4198。
- ^ 「ルーシ語」という単語については中井和夫『ウクライナ語入門』大学書林、東京、1991年(初版)/1993年(第2版)、157頁。ISBN 4-475-01797-1。にも見られるが、用法が異なる。すなわち、同書ではキエフ・ルーシ時代のいわゆる「古ルーシ語」について「東スラヴ語(ルーシ語)」としている。
- ^ 中井和夫『ウクライナ語入門』大学書林、東京、2007年、159頁。ISBN 4-475-01797-1。「1321年、ウクライナ地方の大部分はリトアニア領となった。<中略>リトアニアの当時の公式の言語は西部ルーシ語(古代ベロルシア語と教会スラヴ語の混合したもの)だった。」
- ^ 和田春樹 編『ロシア史』山川出版社、東京〈世界各国史; 22〉、2002年。ISBN 978-4634415201。
- 中井和夫『ウクライナ語入門』大学書林、東京、2007年、160頁。ISBN 4-475-01797-1。「1626年<中略>当時のウクライナ文語自体は、ウクライナ語、ベロルシア語、ポーランド語、教会スラヴ語の要素の混合した、後に「ヤジーチエ」と呼ばれるものにとどまっていた。」
- ^ イェジ・ルコフスキ、フベルト・ザヴァツキ 著、河野肇 訳『ポーランドの歴史』創土社、東京〈ケンブリッジ版世界各国史〉、2007年。ISBN 978-4789300537。
- ^ a b 山口巌『中世ロシア文法史』名古屋大学出版会、愛知、1991年。
- ^ 江川卓ほか 著、ロシア手帖の会 編『ロシア文学への招待』三省堂、東京、1978年。ISBN 978-4385430546。
参考文献
[編集]- Німчук В. Мовознавство на Україні в XIV—XVII ст. — Київ: Наукова думка, 1985.
- Старабеларускі лексікон: Падручны перакладны слоўнік. — Менск: Беларускае выдавецтва Таварыства «Хата», 1997.