ルートヴィヒ9世 (ヘッセン=ダルムシュタット方伯)
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ルートヴィヒ9世 Ludwig IX. | |
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ヘッセン=ダルムシュタット方伯 | |
在位 | 1768年10月17日 - 1790年4月6日 |
出生 |
1719年12月15日 神聖ローマ帝国 ヘッセン=ダルムシュタット方伯領、ダルムシュタット |
死去 |
1790年4月6日(70歳没) 神聖ローマ帝国 ヘッセン=ダルムシュタット方伯領、ピルマゼンス |
配偶者 | ヘンリエッテ・カロリーネ・フォン・プファルツ=ツヴァイブリュッケン |
子女 | 一覧参照 |
家名 | ヘッセン=ダルムシュタット家 |
父親 | ヘッセン=ダルムシュタット方伯ルートヴィヒ8世 |
母親 | シャルロッテ・フォン・ハーナウ=リヒテンベルク |
ルートヴィヒ9世(Ludwig IX., 1719年12月15日 - 1790年4月6日)は、ヘッセン=ダルムシュタット方伯(在位:1768年 - 1790年)。
ルートヴィヒ8世とその妃であったハーナウ=リヒテンベルク伯ヨーハン・ラインハルト3世の娘シャルロッテ・クリスティーネ・マグダレーネ(1700年 - 1726年)の息子。ダルムシュタットで生まれた。
1790年にピルマゼンス(ラインラント=プファルツ州)で死去、長男のルートヴィヒ10世が後を嗣いだ。
ルートヴィヒ9世とその妻ヘンリエッテ・カロリーネは、2023年現在のヨーロッパの全世襲君主の最も近い共通祖先である[1]。
子女
[編集]1741年8月12日にプファルツ=ツヴァイブリュッケン公クリスティアン3世の公女で、後のバイエルン王マクシミリアン1世の伯母にあたるヘンリエッテ・カロリーネ(1721年 - 1774年)と結婚し、以下の3男5女をもうけた。
- カロリーネ(1746年 - 1821年) - ヘッセン=ホンブルク方伯フリードリヒ5世妃
- フリーデリケ(1751年 - 1805年) - プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世妃
- ルートヴィヒ10世(1753年 - 1830年) - ヘッセン=ダルムシュタット方伯、後にヘッセン大公
- フリーデリケ・アマーリエ(1754年 - 1832年) - バーデン大公子カール・ルートヴィヒ妃
- ヴィルヘルミーネ・ルイーザ(1755年 - 1776年) - ロシア皇帝パーヴェル1世妃
- ルイーゼ(1757年 - 1830年) - ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公カール・アウグスト妃
- フリードリヒ(1759年 - 1802年) - ブレスラウ司教
- クリスティアン(1763年 - 1830年)
脚注
[編集]- ^ 2022年9月8日にルートヴィヒ9世の子孫ではないイギリス女王エリザベス2世が崩御し、息子のチャールズ3世が即位して以降。チャールズ3世の父エディンバラ公フィリップはルートヴィヒ9世の子孫であった。それまでは、オラニエ公ヨハン・ウィレム・フリーゾとその妻マリア・ルイーゼ・ファン・ヘッセン=カッセルがその座にあった。
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