コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ルートヴィヒ9世 (ヘッセン=ダルムシュタット方伯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ルートヴィヒ9世
Ludwig IX.
ヘッセン=ダルムシュタット方伯
在位 1768年10月17日 - 1790年4月6日

出生 (1719-12-15) 1719年12月15日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ヘッセン=ダルムシュタット方伯領ダルムシュタット
死去 (1790-04-06) 1790年4月6日(70歳没)
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ヘッセン=ダルムシュタット方伯領ピルマゼンス
配偶者 ヘンリエッテ・カロリーネ・フォン・プファルツ=ツヴァイブリュッケン
子女 一覧参照
家名 ヘッセン=ダルムシュタット家
父親 ヘッセン=ダルムシュタット方伯ルートヴィヒ8世
母親 シャルロッテ・フォン・ハーナウ=リヒテンベルク
テンプレートを表示

ルートヴィヒ9世Ludwig IX., 1719年12月15日 - 1790年4月6日)は、ヘッセン=ダルムシュタット方伯(在位:1768年 - 1790年)。

ルートヴィヒ8世とその妃であったハーナウ=リヒテンベルクヨーハン・ラインハルト3世の娘シャルロッテ・クリスティーネ・マグダレーネ(1700年 - 1726年)の息子。ダルムシュタットで生まれた。

1790年にピルマゼンスラインラント=プファルツ州)で死去、長男のルートヴィヒ10世が後を嗣いだ。

ルートヴィヒ9世とその妻ヘンリエッテ・カロリーネは、2023年現在のヨーロッパの全世襲君主の最も近い共通祖先である[1]

子女

[編集]

1741年8月12日プファルツ=ツヴァイブリュッケン公クリスティアン3世の公女で、後のバイエルン王マクシミリアン1世の伯母にあたるヘンリエッテ・カロリーネ(1721年 - 1774年)と結婚し、以下の3男5女をもうけた。

  1. カロリーネ(1746年 - 1821年) - ヘッセン=ホンブルク方伯フリードリヒ5世
  2. フリーデリケ(1751年 - 1805年) - プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世
  3. ルートヴィヒ10世(1753年 - 1830年) - ヘッセン=ダルムシュタット方伯、後にヘッセン大公
  4. フリーデリケ・アマーリエ(1754年 - 1832年) - バーデン大公子カール・ルートヴィヒ
  5. ヴィルヘルミーネ・ルイーザ(1755年 - 1776年) - ロシア皇帝パーヴェル1世
  6. ルイーゼ(1757年 - 1830年) - ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公カール・アウグスト
  7. フリードリヒ(1759年 - 1802年) - ブレスラウ司教
  8. クリスティアン(1763年 - 1830年)

脚注

[編集]
  1. ^ 2022年9月8日にルートヴィヒ9世の子孫ではないイギリス女王エリザベス2世が崩御し、息子のチャールズ3世が即位して以降。チャールズ3世の父エディンバラ公フィリップはルートヴィヒ9世の子孫であった。それまでは、オラニエ公ヨハン・ウィレム・フリーゾとその妻マリア・ルイーゼ・ファン・ヘッセン=カッセルがその座にあった。
先代
ルートヴィヒ8世
ヘッセン=ダルムシュタット方伯
1768年 - 1790年
次代
ルートヴィヒ10世