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ワグナー・ナンドール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Sculpture – Nandor Wagner
ワグナー・ナンドール(1964年、スウェーデン)

ワグナー・ナンドール(Wagner Nándor、日本名:和久奈 南都留[1]1922年[1]10月7日 - 1997年[1]11月15日)は、ハンガリー出身の彫刻家。ハンガリー語ではヴァーグネル・ナーンドル [ˈvɑ̈ːɡnerˌnɑ̈ːndor]。1975年に日本国籍取得[1]

略歴

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Sculpture – Corpus Hungaricum (1951 unveiled 1999)
「ハンガリアン・コープス像」(1951年、ブロンズ像、ハンガリー・セーケシュフェヘールヴァール市)
哲学の庭(1994年)
  • 1922年[1] ハンガリートランシルバニア地方ナジヴァーラド市(現在のルーマニアオラデア市)に、ドイツ系の家庭に生まれる。父親は医師。
  • 1939年[1] 理工科高校で建築学を学ぶ。父親から「老子の書」を手渡される。
  • 1940年[1] ブダペスト国立美術大学入学、彫刻専攻。同時に国立大学医学部で解剖学を学ぶ。
  • 1941年 大学を休学し志願兵となり第二次世界大戦に参戦する[1]
  • 1944年[1] ソ連軍の侵攻に備えた、トランシルバニア山脈における戦闘で重傷を負う[1]
  • 1945年[1] オーストリアの陸軍病院で捕虜として終戦を迎える。回復後、ブダペスト国立美術大学へ復学し、卒業をする[1]
  • 1947年[1] 政治的な規制が入るようになった彫刻制作を離れ[1]、国立博物館に勤務し、美術史・考古学・民族学などを研究を始める[1]
  • 1949年 戦後の博物館復興のため研究部門の責任者に選ばれ、新築・改築の設計及び新しい陳列方式を考案する。
  • 1951年[1] ハンガリーのスターリン時代、公職から追放され、博物館の職を失う[1]。彫刻家としての活動に入り[1]、国立彫刻展第一席入賞「3人の子供」などの作品を制作。
  • 1956年[1] 「ハンガリー動乱」の際、知識人代表の指導者の1人に選ばれる[1]。ソ連軍に鎮圧された後、身の危険を感じスウェーデンに亡命する[1]。ハンガリー時代の作品は友人によりひそかに国立博物館に保管される。 
  • 1957年 スウェーデン、ルンド市で制作活動を再開。
  • 1961年 長年研究していた分析美術史を基に、哲学理論を完成。
  • 1963年 ステンレス鋳造の研究に成功。世界初、ステンレス鋳造製のモニュメント「天使の像」をルンド市に建立。
  • 1966年[1] 4月29日、秋山ちよと結婚[1]。スウェーデン国籍取得。スウェーデンにて鋳造ステンレス製モニュメント数作、独自に考案したペーパー・フレスコ画数十点などを含め約200点を制作[1]
  • 1969年[1] ちよと2人でスウェーデンを離れ、移住のため来日[1]
  • 1970年[1] 栃木県益子町にアトリエを建設[1]
  • 1972年 栃木県立美術館にブロンズ製「母子像」設置。
  • 1974年 モニュメント「道祖神像」(鋳造ステンレス製)、栃木国体参加章など制作。
  • 1975年[1] 日本国に帰化[1]。 日本名を「和久奈 南都留」とする[1]
  • 1977年[1] 「哲学の庭」制作開始[1]
  • 1987年[1] 「財団法人タオ世界文化発展研究所」を設立し[1]、理事長に就任。
  • 1989年[1] ハンガリー共和国憲法が施行され、ハンガリーに多党制による第三共和国「ハンガリー共和国」が誕生する[1]
  • 1994年[1] 「哲学の庭」3組28体ブロンズ製で完成[1]
  • 1997年[1] 11月15日、永眠[1] 享年75[1]
  • 1999年 ハンガリー・セーケシュフェヘールヴァール市に「ハンガリアン・コープス像」建立。同市より名誉市民章を授与される。
  • 2000年[2] 「ワグナー・ナンドール アートギャラリー」開館[2]。ワグナーがデザインしたモニュメント「アーロム・夢」が益子駅前に設置される[2]
  • 2001年[1] ハンガリー・ブダペスト市ゲッレールト山に「哲学の庭」建立[2]
  • 2005年 故郷ナジヴァーラド市に「詩人ヨージェフ・アティッラ像」設置。
  • 2006年 伝記「哲学者彫刻家 ワグナー・ナンドール」、ハンガリーで発刊。NHKエデュケーショナル DVD「ワグナー・ナンドールの世界(17分)」制作。
  • 2007年 日本で「ワグナー・ナンドール作品写真集」発刊。
  • 2009年[2] 栃木県さくら市ミュージアムにて 企画展同時開催。ハンガリーで発刊された伝記「哲学者彫刻家 ワグナー・ナンドール」の日本語訳発刊。東京都中野区哲学堂公園に【哲学の庭】建立[2]。12月4日除幕式。
  • 2010年 ワグナー・ナンドール アートギャラリーに「詩人ヨージェフ・アティッラ像」設置。
  • 2011年 公益財団法人ワグナー・ナンドール記念財団に移行認定され設立。4月1日登記。
  • 2011年 NHKエデュケーショナル DVD「妻が語るワグナー・ナンドールとその世界(28分)」制作。
  • 2011年 札幌市円山公園に「母子像・ふるさと」を設置。11月18日除幕式 。
  • 2012年 ワグナー・ナンドール アートギャラリーに「ハンガリアン・コープ」設置。4月29日除幕式。
  • 2012年 ハンガリー・ブダペスト市にワグナーのデザインした「母子像・ふるさと」の石彫を設 置。10月7日除幕式。
  • 2012年 NHKエデュケーショナル DVD「違いを超えて世界を結ぶ『哲学の庭』(22分)」制作。
  • 2013年 ヨーロッパ・ハンガリー文化賞、受賞。9月21日授賞式。
  • 2013年 ハンガリー・セーケシュフェヘールヴァール市 聖イシュトヴァーン博物館で展覧会開催。
  • 2015年 ハンガリー・ミシュコルツ市にワグナーのデザインした「母の胸に」の石彫を設置。 6月5日除幕式。
  • 2021年 ハンガリー・ドゥナウーイヴァーロシュ市の教会正門に「モ-ゼ像」を設置。 8月29日除幕式。

家族

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  • 妻・和久奈ちよ(旧姓・秋山) - 1930年生まれ。日本女子大学で英文学を学ぶ[3]。卒業後、母校の高校で3年間教師をしたのち、米国の大学院に留学、帰路スウェーデンに立ち寄った際に、友人の紹介でワグナーから絵画を習う[3]。1966年ワグナーと結婚し、1969年に夫ともに日本移住[3]。晩年は栃木刑務所の篤志面接委員も務める[4]。2021年没。

参考文献

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『ミチカケ』第9号インターネットアーカイヴ

関連書

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  • 『ドナウの叫び -ワグナー・ナンドール物語-』下村徹、幻冬舎

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ミチカケ 第9号,益子町 2017, p. 8-9.
  2. ^ a b c d e f ミチカケ 第9号,益子町 2017, p. 42.
  3. ^ a b c 公益財団法人ワグナー・ナンドール記念財団 理事-和久奈 ちよ-今も天国の夫ワグナー・ナンドールと共に「BIOS電子版」No.39、2017年
  4. ^ 作家-下村 徹-父「下村湖人」の背中を見ながら「BIOS電子版」No.40、2017年