ヴェルナー・シュレーター
ヴェルナー・シュレーター Werner Schroeter | |||||||||||||
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生年月日 | 1945年4月7日 | ||||||||||||
没年月日 | 2010年4月12日(65歳没) | ||||||||||||
出生地 | テューリンゲン州ゲオルゲンタール | ||||||||||||
死没地 | ヘッセン州カッセル郡 | ||||||||||||
国籍 | ドイツ | ||||||||||||
職業 | 映画監督、演出家、舞台演出家 | ||||||||||||
公式サイト | 公式ウェブサイト | ||||||||||||
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ヴェルナー・シュレーター (Werner Schroeter, 1945年4月7日 - 2010年4月12日) は、ドイツの映画監督・脚本家、オペラ及び舞台の演出家。
来歴
[編集]1945年4月7日、テューリンゲン州ゲオルゲンタールに生まれる。1967年から短編映画の製作を始め、3年間で15本もの作品を製作。これらは主に8ミリカメラを使用して製作した実験的な作風のものだった。1969年、初の長編『アイカ・カタパ』を発表。マンハイム・ハイデルベルク国際映画祭でジョセフ・フォン・スタンバーグ賞を受賞[1]。以後、1960年代後半から始まったドイツの映画運動ニュー・ジャーマン・シネマをヴィム・ヴェンダースやフォルカー・シュレンドルフらとともに牽引していくことになる。また、この時期に知り合った女優マグダレーナ・モンテーツマはその後、シュレーターのミューズとして多くの作品に出演するになる。また、シュレーターは俳優としても活動しており、ニュー・ジャーマン・シネマの監督であり友人でもあったライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの『聖なるパン助に注意』(1971年)などに出演している。
その後、1972年には19世紀のオペラ歌手マリア・マリブランの伝記映画『マリア・マリブランの死』を製作。1978年の『ナポリ王国』はシカゴ国際映画祭シルバー・ヒューゴ賞、タオルミナ国際映画祭グランプリ、ドイツ映画賞監督賞など多数の賞を受賞した[2]。
1980年代に入り、ドイツ国内外で演劇やオペラの監督として活動する傍ら、1980年に仕事を求めて西ドイツにやって来たイタリア人移民を描いた『Palermo oder Wolfsburg (パレルモあるいはヴォルフスブルク)』を発表。第30回ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞。
翌1981年にキャロル・ブーケを起用して製作した『愚か者の日』は1982年の第35回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門で上映され、ドイツ映画賞では2度目の監督賞を受賞した。
1986年には2年前に死去したモンテーツマの遺作となった『薔薇の王国』を発表した。
1991年にはインゲボルク・バッハマンの小説をイザベル・ユペール主演に映画化した『マリーナ (映画)』(マチュー・カリエールが演じた男性名マーリナのこと)を発表。第44回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門で上映され[3]、ドイツ映画賞では作品賞と3度目の監督賞を受賞。
1996年にオペラ歌手たちとその家族やパートナーたちの姿を映したドキュメンタリー『愛の破片』を発表。ロカルノ国際映画祭上映され名誉豹賞を贈られた。日本では1997年山形国際ドキュメンタリー映画祭の審査員として来日した記念で上映される。この後、配給が決まり、翌年6月に劇場公開された。なお、同性パートナーを持つ歌手が何人か含まれていたこともあり、1998年第7回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭でも特別上映された[4][5]。
2008年、『Nuit de chien』が第65回ヴェネツィア国際映画祭のコンペティション部門に出品され、審査員長のヴェンダースよりこれまでの功績も併せて同映画祭で生涯功労賞を贈られた。
2010年には第60回ベルリン国際映画祭で特別テディ賞を受賞。2010年4月12日、ヘッセン州カッセル郡にて65歳で死去。日本公開作は少ないが、短編やドキュメンタリーなども含め、41本もの作品を製作した。
作品
[編集]- 長編劇映画およびドキュメンタリーのみ記載。その他に短編やテレビ映画も多数製作。「」は特殊上映のみ。
- 「アイカ・カタパ」Eika Katappa (1969年)
- Nicaragua (1969年)
- Anglia (1970年)
- 「マリア・マリブランの死」Der Tod der Maria Malibran (1972年)
- 「ウィロー・スプリングス」Willow Springs (1973年)
- Der schwarze Engel (1975年)
- Goldflocken (1976年)
- 「ナポリ王国」Neapolitanische Geschichten (1978年)
- 「パレルモあるいはヴォルフスブルク」Palermo oder Wolfsburg (1980年)
- 「舞台リハーサル」Die Generalprobe (1980年) ドキュメンタリー
- Weiße Reise (1980年)
- 『愚か者の日』Tag der Idioten (1981年)
- Liebeskonzil (1982年)
- 「笑うスター」Der lachende Stern (1983年) ドキュメンタリー
- 『薔薇の王国』Der Rosenkönig (1986年)
- De l'Argentine (1986年) ドキュメンタリー
- 『マリーナ』Malina (1991年)
- 『愛の破片』Poussières d'amour - Abfallprodukte der Liebe (1996年) ドキュメンタリー
- Die Königin - Marianne Hoppe (2000年) 女優マリアンネ・ホッペのドキュメンタリー
- Deux (2002年)
- Nuit de chien (2008年)
脚注
[編集]- ^ “Eika Katappa was self-financed and won the Joseph von Sternberg prize for the most idiosynchratic film at the 1969 Mannheim Film Festival”. 25 June 2012閲覧。
- ^ “Neapolitanische Geschichten won many prizes domestically and internationally and was his first commercial release”. 25 June 2012閲覧。
- ^ “Malina was entered into that year's 1991 Cannes Film Festival”. Cannes. 9 August 2009閲覧。
- ^ “映画祭完全プログラムガイド”. 16 August 2014閲覧。
- ^ “公式サイト”. 16 August 2014閲覧。