一ノ倉貫一
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一ノ倉 貫一(いちのくら かんいち、1857年1月23日(安政3年12月28日[1][2])- 1922年(大正11年)12月11日[3])は、明治から大正期の大地主[2]、教育者、実業家、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]陸奥国和賀郡、のちの岩手県[3]東和賀郡小山田村(和賀郡小山田村[4][5]、東和町を経て現花巻市)で、一ノ倉家に生まれ、一ノ倉宇兵衛の養子となり1893年(明治26年)8月に家督を相続した[1]。
1878年(明治11年)宮城師範学校を卒業[1][2][3][4][5]。仙台市小学校訓導、宮城県師範学校教員、岩手県属、岩手県獣医学校長、郡長などを歴任した[1][2][3][4][5]。その他、徴兵事務官、勧業諮問会員、市町村制実施法取調委員、府県制郡制実施法取調委員、日本赤十字社特別社員なども務めた[1][2][3][4][5]。
1902年(明治35年)8月、第7回衆議院議員総選挙(岩手県郡部、帝国党)で当選し[1][2][5][6]、1903年(明治36年)3月、第8回総選挙(岩手県郡部、帝国党)でも再選され[2][5][6]、衆議院議員に連続2期在任した[3][4]。
実業界では、岩手県農工銀行取締役、同頭取、岩手軽便鉄道取締役などを務めた[1][2][3][4][5]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 成瀬麟、土屋周太郎編『大日本人物誌 : 一名・現代人名辞書』八紘社、1913年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
- ルーブル社出版部編『大日本人物名鑑〔巻4の2〕』ルーブル社出版部 、1921年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。