一休骸骨
『一休骸骨』(いっきゅうがいこつ)は、室町時代の禅僧・一休宗純の著作とされる仮名草子・仮名法語。実際の著者や成立時期は不明[1][2]。江戸時代に流布した。
人間のように振る舞う骸骨を滑稽に描き、仏教の「生死一如」を説く[3]。
あらすじ
[編集]世間虚仮を思う僧が、旅の途中で墓地の隣の堂に泊まる[4]。明け方、まどろみながら堂の外に出ると、多くの骸骨が人間と同じ振る舞いをしている[4]。酒を飲み、歌い踊り、男女で抱き合う骸骨たち[4]。すると、一人の男の骸骨が病に倒れ死んでしまう[4]。男に先立たれた女の骸骨は、剃髪して出家する(骸骨に髪は無いにもかかわらず)[4]。そして男の骸骨を火葬し、物語は終わる[4]。
成立
[編集]奥書に康正3年(1457年)の一休の作とあり、長らく一休の著作とされてきた[1]。しかし21世紀現在の研究では偽作とされる[1][2]。
南北朝時代の康暦2年(1380年・天授6年)奥書の『幻中草打画』という書物があり、その内容は『一休骸骨』と『一休水鏡』(一休に帰される別の仮名法語)が合わさったような内容をしている、という旨が1973年岡見正雄により指摘された[1][6][3]。同様の内容は、国立歴史民俗博物館蔵『骸骨』(夢窓疎石に帰される)や、陽明文庫蔵『幻中草抄』などにも見られる[1]。これら既存の書物の内容が、一休に仮託されて『一休骸骨』『一休水鏡』が成立したと推定される[1]。
受容
[編集]本書は、一休が元旦に髑髏をもって練り歩いたという『一休ばなし』の逸話や、蘇東坡に帰される『九相詩』(『九相図』)とともに、江戸文学の死生観に影響を与えた[7]。その一例に、鈴木正三『二人比丘尼』がある[7]。
本書は江戸時代を通して度々出版され[3]、とくに元禄5年(1692年)の刊本が広く知られている[8]。その他、室町時代末ごろ(天文・慶長など諸説あり)の古刊本や、江戸時代初期ごろの巻子本がある[9]。
類例
[編集]本書と同様のモチーフは古今東西にあり、例えば上記の『幻中草打画』のほか、中国の『荘子』至楽篇や李嵩画『骷髏幻戯図』、西洋の「死の舞踏」「メメント・モリ」がある[3]。
関連項目
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 今西祐一郎『死を想え『九相詩』と『一休骸骨』』平凡社、2016年。ISBN 9784582364415。
- 恋田知子「室町の信仰と物語草子-骸骨の物語絵をめぐって」『国文研ニューズ』第40号、国文学研究資料館、2015年 。
現代語訳
[編集]- 飯塚大展『一休和尚全集 第4巻 一休仮名法語集』春秋社、2000年。ISBN 9784393141045。
- 柳田聖山・早苗憲生『一休骸骨 図版と訳注』禅文化研究所、2015年。ISBN 9784881822906。(1984年初版の復刊)