一志治夫
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一志 治夫(いっし はるお、1956年6月10日 - )は、日本のノンフィクションライター。
来歴・人物
[編集]長野県松本市生まれ[1][2]。生後すぐの1957年より東京都三鷹市下連雀に転居し[要出典]、三鷹市で育つ[1]。1975年東京都立豊多摩高等学校卒[要出典]。1977年早稲田大学教育学部社会科学専修入学、1982年7月中退[要出典]。
在学中より執筆活動を始め、『月刊現代』記者などを経て、1989年3月『たった一度のポールポジション』(講談社)でノンフィクションライターとしてデビュー[1]。1989年夏から1990年夏にかけて1年間イタリア・フィレンツェに滞在、F1やサッカーなど欧州スポーツの取材、執筆を行なう[要出典]。
1994年、いわゆる「ドーハの悲劇」を軸にサッカー選手都並敏史を描いた『狂気の左サイドバック』で第1回小学館ノンフィクション大賞を受賞[1][2]。2004年には植物生態学者宮脇昭の人生を描いた 『魂の森を行け-3000万本の木を植えた男の物語』を出版したが、後に宮脇昭が「3000万本の木を植えた男」と称されるようになったのは、この作品タイトルが由来とされている[要出典]。
これまでに『週刊文春』、『週刊ポスト』、『週刊朝日』、『読売新聞』、『日経エンタテインメント!』、『Number』、『DIME』、『BE-PAL』、『ダ・ヴィンチ』、『BRIO』などで連載記事を執筆[要出典]。その他、『文藝春秋』、『AERA』等各紙誌にも人物インタビュー、人物論などを掲載している[要出典]。
受賞歴
[編集]- 1994年 - 『狂気の左サイドバック』で第1回小学館ノンフィクション大賞受賞[1]
著作
[編集]- 『たった一度のポールポジション』 講談社、1989年、のちに講談社文庫
- 『デッドヒートは終わらない』講談社、1992年
- 『足に魂こめました カズが語った「三浦知良」』文藝春秋、1993年、のちに文春文庫
- 『狂気の左サイドバック 日の丸サッカーはなぜ敗れたか』小学館、1994年、のちに小学館ライブラリーならびに新潮文庫
- 『前線からのクリスマスカード』幻冬舎、1996年、のちに『前へ、前へ』と改題のうえ幻冬舎文庫
- 『たったひとりのワールドカップ 三浦知良1700日の戦い』幻冬舎文庫、1998年(書き下ろし)
- 『総合商社プロフェッショナル。 15人の三菱商事マン、ビジネス最前線からのレポート』エスクァイア マガジン ジャパン、1999年
- 『僕の名前は。アルピニスト野口健の青春』講談社、2001年、のち講談社文庫
- 『魂の森を行け-3000万本の木を植えた男の物語』集英社インターナショナル、2004年、のちに新潮文庫、新版『宮脇昭、果てなき闘い 魂の森を行け-新版ー』集英社インターナショナル
- 『小澤征爾 サイトウ・キネン・オーケストラ 欧州を行く』撮影/ND CHOW、小学館
- 『豆腐道-嵯峩豆腐「森嘉」五代目森井源一』新潮社
- 『失われゆく鮨をもとめて』新潮社、2006年
- 『働きマン-仕事人に聞く』安野モヨコ画、講談社、2008年
- 『VENUS北京 篠山紀信北京オリンピック女子アスリート写真集』撮影/篠山紀信、小学館
- 『庄内パラディーゾ-アル・ケッチァーノと美味なる男たち』文藝春秋、2009年、のちに『奇跡のレストラン アル・ケッチァーノ 食と農の都・庄内パラディーゾ』と改題のうえ文春文庫
- 『綾戸智恵、介護を学ぶ』講談社、2010年
- 『幸福な食堂車 - 九州新幹線のデザイナー水戸岡鋭治の「気」と「志」』プレジデント社、2012年
- 『アンデルセン物語 -食卓に志を運ぶ「パン屋」の誇り』新潮社、2013年
- 『「ななつ星」物語 - めぐり逢う旅と「豪華列車」誕生の秘話』小学館、2014年、のち文庫
- 『幸福な食堂車 - 九州新幹線のデザイナー水戸岡鋭治の物語』小学館セレクト、2016年
- 『旅する江戸前鮨 -「すし匠」中澤圭二の挑戦』文藝春秋、2018年
- 『美酒復権 - 秋田の若手蔵元集団「NEXT5」の挑戦』プレジデント社、2018年
文庫解説
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e “一志 治夫 プロフィール”. 文春オンライン. 2022年2月25日閲覧。
- ^ a b “一志 治夫 | 【公式】dancyu (ダンチュウ)”. 【公式】dancyu (ダンチュウ) | 「知る」は、おいしい。. プレジデント社. 2022年2月25日閲覧。