一色範視
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時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 慶長14年(1609年) |
死没 | 慶安3年10月17日(1650年11月10日) |
改名 | 範次→範視 |
別名 | 範親(『寛政重修諸家譜』)、通称:右馬助 |
幕府 | 江戸幕府旗本 |
主君 | 徳川家光 |
氏族 | 一色氏(式部一色家) |
父母 | 父:一色範勝 |
兄弟 | 範視、範尚(左近)、範規、大橋重政室 |
妻 |
正室:榊原照久娘 後室:片桐貞隆娘 |
子 |
(『断家譜』) 則重(又十郎、元禄15年死去)、根岸直利室 (『寛政重修諸家譜』)片桐之晴(片桐貞晴養子)、榊原範武(榊原久通[1]養子)、榊原照清養女、 三宅康永室、野田勝成室、根岸直利室 養子:範風 |
一色 範視(いっしき のりみ)は、江戸時代の旗本。式部一色家当主。石高2000石。
『寛永諸家系図伝』では改名前の「範次」で記載されるが、『断家譜』より「範視」と後に改名したことが分かる。『寛政重修諸家譜』では範親。実子は諸説あり、『断家譜』では1男1女であるが、『寛政重修諸家譜』では2男3女となっている。
元和8年(1622年)に徳川家光に拝謁した後、書院番士となる。寛永10年(1633年)、父・一色範勝の死去に伴い家督を継承する。慶安3年(1650年)、42歳で死去した。
家督は義弟で養子の範風(範供)が継承した。
参考文献
[編集]- 『寛永諸家系図伝 第二』 1980年 続群書類従完成会
- 『断家譜 第一』 1968年 続群書類従完成会
- 『新訂寛政重修諸家譜 第二』 1964年 続群書類従完成会