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一龍斎貞丈

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

一龍斎 貞丈(いちりゅうさい ていじょう)は、講釈師の名跡。元は昇龍斎貞丈といった。五代目以降一龍斎貞丈。

5代目

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五代目 一龍斎いちりゅうさい 貞丈ていじょう
五代目 一龍斎(いちりゅうさい) 貞丈(ていじょう)
五代目貞丈(1955年)
本名 柳下やぎした 政雄まさお
生年月日 1906年8月13日
没年月日 (1968-07-27) 1968年7月27日(61歳没)
出身地 日本の旗 日本三重県
師匠 四代目昇龍斎貞丈
六代目一龍斎貞山
弟子 一龍斎貞鳳
六代目一龍斎貞丈
六代目一龍斎貞水
名跡 1. 昇龍斎貞一
(1925年 - 1932年)
2. 五代目一龍斎貞丈
(1932年 - 1968年)
活動期間 1925年 - 1968年
活動内容 講談師
家族 六代目一龍斎貞丈(実子)
初代山遊亭金太郎(実弟)
五代目宝井馬琴(従兄弟)
受賞歴
芸術祭賞奨励賞(1963年)

五代目 一龍斎 貞丈1906年8月13日 - 1968年7月27日)は、講談師。本名:柳下 政雄

経歴

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1906年8月13日、三重県に生まれる。早稲田実業在学中に講談師に憧れる。

1925年四代目昇龍斎貞丈に入門し、「貞一」を名乗る。

1930年4月に真打昇進。1931年12月に師匠の急逝を受け、六代目一龍斎貞山の預かり弟子になる。1932年3月、「五代目一龍斎貞丈」を襲名。なお、屋号を「昇龍斎」から「一龍斎」に変えたのは、当時落語協会の会長までつとめて勢力をふるっていた、貞山にあやかるためだという[2]

1963年芸術祭賞奨励賞を受賞。

1968年7月27日、脳溢血で急逝。墓所は墨田区西光寺

芸歴

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人物

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早稲田実業に学んだ、当時の講談界としては珍しいインテリ。新作の会も積極的に発表その数は百数十回を超える。

逸話

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1952年に乗客乗員全員が死亡となったもく星号墜落事故で漫談家の大辻司郎が死去した時、貞丈も大辻と同じく「長崎市博覧会」に出演予定のためもく星号に搭乗予定であったが、仕事があって1日遅れの出発であったため、命拾いをしたという[3]

女性に非常にもてて、死去も、柳橋の粋筋での腹上死だという[4]

家族

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同時期に活躍した講釈師五代目宝井馬琴は従兄弟に当たる。

また、実弟は落語家初代山遊亭金太郎である[5]

弟子

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廃業
  • 一龍斎貞凌

系図

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五代目一龍斎貞丈
 
六代目一龍斎貞丈
 
五代目一龍斎貞花
 
一龍斎貞弥
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
一龍斎貞心
 
一龍斎貞寿
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
一龍斎貞奈
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
一龍斎貞司
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
一龍斎貞介
 
 
 
 
 
 
六代目一龍斎貞水
 
一龍斎春水
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
一龍斎貞友
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
一龍斎貞橘
 

6代目

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六代目 一龍斎いちりゅうさい 貞丈ていじょう
六代目 一龍斎(いちりゅうさい) 貞丈(ていじょう)
本名 柳下やぎした 基一きいち
生年月日 1928年9月2日
没年月日 (2003-10-01) 2003年10月1日(75歳没)
出身地 日本の旗 日本神奈川県横浜市
死没地 日本の旗 日本東京都新宿区
師匠 五代目一龍斎貞丈
弟子 五代目一龍斎貞花
一龍斎貞心
名跡 1. 四代目一龍斎貞花
(1948年 - 1969年)
2. 六代目一龍斎貞丈
(1969年 - 2003年)
出囃子 刻太鼓
活動期間 1947年 - 2003年
活動内容 講談師
家族 五代目一龍斎貞丈(父)
所属 講談協会
落語協会
公式サイト 一龍斉 貞丈
備考
講談協会会長

六代目 一龍斎貞丈1928年9月2日 - 2003年10月1日)は講談師。元講談協会会長で、落語協会にも所属した。父は五代目一龍斎貞丈。本名:柳下 基一出囃子は『刻太鼓』。

経歴

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1928年9月2日神奈川県横浜市五代目一龍斎貞丈の息子として生まれる。法政大学商学科卒業。

1947年4月、父である五代目一龍斎貞丈に入門。翌年12月に前座となり「四代目一龍斎貞花」を名乗る。

1951年11月に二ツ目昇進。

1957年1月、真打昇進。1969年7月、先代の一周忌に「六代目一龍斎貞丈」を襲名。

2003年10月1日、急性心不全のため東京都新宿区の病院で死去。75歳没。

芸歴

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弟子

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廃業

外部リンク

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脚注

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  1. ^ 木下華声「芸人紙風船」(大陸書房)によると、「伝統ある一方の旗頭の名跡『昇龍斎貞丈』の名前を、五代目が変えてしまった」とある。
  2. ^ 木下華声『芸人紙風船』P.99
  3. ^ 木下華声『芸人紙風船』P.216
  4. ^ 木下華声『芸人紙風船』P.111
  5. ^ 彼は、3代目三遊亭金馬の弟子であった。しかし、将来を嘱望されながら、25歳で死去した。木下華声『芸人紙風船』P.109