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三吉広高

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

三吉 広高(みよし ひろたか、生年不詳 - 寛永11年10月18日1634年12月8日))は、安土桃山時代から江戸時代の武将。備後国三次盆地東方の比叡尾山城を本拠とする国人三吉氏の当主。三吉隆亮の長男。通称は新兵衛。官位は安房守。

生涯

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元亀4年(1573年)、父とともに毛利輝元との盟約の起誓文を交換した。

天正16年(1588年)に父の跡目を継いだ。

天正19年(1591年)、後見人である叔父の粟屋隆信を謀殺。同年、居城を比叡尾山城から比熊山城に移した。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後、毛利輝元が周防国。長門国の二ヶ国に転封になると、所領を失った。京都で出家し、「荺斎」(きんさい、「きん」はくさかんむりに「均」)と号していたが[1]広島藩藩主浅野長晟に迎えられて広島に住み、200石を領した。墓は三次市三次町にある松雲山西江寺の境内に現存している。

脚注

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  1. ^ 観光と旅編集『郷土資料事典34 広島県』人文社、p112、1998年

関連項目

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外部リンク

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