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三川村 (新潟県東蒲原郡)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
みかわむら
三川村
将軍スギと平維茂の墓碑
三川村旗 三川村章
三川村旗 三川村章
廃止日 2005年4月1日
廃止理由 新設合併
鹿瀬町津川町上川村三川村阿賀町
現在の自治体 阿賀町
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方北陸地方
甲信越地方
都道府県 新潟県
東蒲原郡
市町村コード 15384-2
面積 249.87 km2
総人口 4,082
(2004年10月1日)
隣接自治体 五泉市阿賀野市新発田市鹿瀬町津川町上川村村松町
村の木 将軍杉
村の花 ウメ
村の鳥 ヤマガラ
三川村役場
所在地 959-4607
新潟県東蒲原郡三川村白川1182
外部リンク 三川村Internet Archive
座標 北緯37度42分48秒 東経139度22分52秒 / 北緯37.71322度 東経139.38122度 / 37.71322; 139.38122 (三川村)座標: 北緯37度42分48秒 東経139度22分52秒 / 北緯37.71322度 東経139.38122度 / 37.71322; 139.38122 (三川村)
新潟県における三川村の位置
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三川村(みかわむら)は、新潟県東蒲原郡にあった五泉市への通勤率は11.6%(平成12年国勢調査)。2005年4月1日、鹿瀬町津川町上川村、三川村の4町村の合併による阿賀町の発足により消滅した。

地理

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町の中央を阿賀野川が西流し、新谷川などの支流の流域をその町域としている。

隣接していた自治体

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歴史

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江戸時代は会津藩領であり廃藩置県後も若松県に属したが、1886年に新潟県に編入された。

沿革

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  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、東蒲原郡白川村・岩津村・内川村、北蒲原郡新谷村・行地村・岡沢村が合併し、三川村(初代)が発足。
  • 1908年(明治41年)9月1日 - 東蒲原郡綱木村と合併し、改めて三川村が発足。
  • 1955年昭和30年)1月15日 - 東蒲原郡揚川村の一部(残部は他町村と津川町を新設)、下条村の大部分(残部は五泉市へ編入)と合併し、三川村を新設。
  • 1956年(昭和31年)1月1日 - 大字小石取の一部を分離し、北蒲原郡安田村に編入。
  • 1967年(昭和42年)8月29日 - 羽越豪雨により石間地区で鉄砲水(土石流)が発生。9戸が全壊・流出、死者・行方不明者13人[1]
  • 2005年平成17年)4月1日 - 鹿瀬町、津川町、上川村と合併し、阿賀町となり消滅。

行政

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  • 村長:神田敏郎(1997年7月3日から)

経済

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産業

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  • 大谷金山(昭和初期に三川鉱山に改称)[2]
  • 持倉鉱山

姉妹都市・提携都市

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国内

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地域

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2004年10月1日時点で、三川村の世帯数は1,365世帯、推計人口は4,082人であった。

教育

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  • 三川村立三川小学校
  • 三川村立三川中学校
  • 三川村立下条小学校
  • 三川村立綱木小中学校 - 2003年3月31日閉校

交通

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道路

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鉄道

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名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

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出典:[4]

出身有名人

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脚注

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  1. ^ 屋根だけが置き去り あきらめ顔の老人 鉄砲水の新潟・三川村『朝日新聞』昭和42年8月29日夕刊、3版、9面
  2. ^ 「阿賀町新谷にあった三川鉱山について」 - レファレンス協同データベース
  3. ^ 青少年三川自然の森 8月1日オープン」(PDF)『市報にいがた』第751号、新潟市、1981年7月19日、1頁。 
  4. ^ 三川三昧(三川村) - ウェイバックマシン(2005年3月8日アーカイブ分)

参考文献

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  • 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。

関連項目

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外部リンク

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